六時間目 道徳3
「すみません。やはり……レベル一では難しいかと」
「そう、ですか……」
俺は何度目ともわからないため息を漏らす。ここは王国屈指の、低レベル者向けダンジョンが存在する都市。そのギルドだった。
俺がアリスに転移してもらった先が、この街の裏街道だった。あの日、炎に包まれた王都でアリスは「まさか初日で、こんな事態になるとは思ってもおらず、まだ緊急避難先を決めていなかったのです。すみません……」涙ながらにそう語っていた。
不意に寒気がして、両腕をさすった。
王都が落ちた。その事実を知った時、俺は目の前が真っ暗になった。国王は無事だったらしいが、ロバートは? アリスは? 国王は俺の現在地を知らないのだろうか。詳しい情報は俺のところに入ってこない。大勢の犠牲が出たようだし、怪我人も多いと聞く。アリスが話せる状態にないのなら、俺の居場所を把握していないのも納得だ。
だから俺は、まず王都へ行くことを目標にした。
幸い俺は幾らかの金を持ってた。しばらくここで生活するには十分だが、王都まで安全に帰る旅費となると、足りない。
この世界での旅費は、現世に比べて異常に高い。それは都市と都市を移動するのに、魔物の脅威が存在するからだった。護衛を雇わず都市間を移動できるのは、冒険者だけだ。そしてレベル一の俺にとって、護衛を雇わずに都市を出ることなど不可能だった。
それを知っていたから、おそらくアリスは俺をここに送った。レベルを上げろ。そういうことだろう。
しかしいくら低レベル向けのダンジョンであっても、レベル一というのはあまりに低い数字らしく、俺を連れて行ってくれるパーティーは一つもなかった。当然だ。戦闘には貢献度によって経験値が入る。俺のレベル上げを手伝ってもらうということは、それだけ手間がかかるということ。そもそも俺は王都へ行けるレベルになったら、パーティーを離脱することを前提としているのだ。なかなか快諾してくれるパーティーはない。
しょげ返る俺に、ギルドの受付嬢は、哀れみの視線を返す。普通この国の人間は、親から手伝ってもらって、レベル五程度までは育てるらしい。レベル一の俺が彼女にどう見えたのか、想像に難くない。
「よければ、これを」
そう言って彼女が差し出したのは、一枚の紙切れと幾らかの葉。
「地図と薬草です。ここが、今いるところ。そしてこれが、ダンジョンです。ダンジョンの適正レベルは五〜二十。ですが、おそらくこの国に、ここに出るより弱い魔物はいません」
「はあ……」
レベル五。レベル一の俺には、それすら遥か高みだ。表情を曇らせる俺に、受付嬢はそっと微笑んだ。その笑顔に、低レベル冒険者をバカにした様子は微塵もない。
彼女はそれから、十数枚の巻物を差し出した。
「これは、スクロールです。読めば魔法に近い奇跡が起こせます。スクロールの強さは読み手に影響されません。書き手の強さで決まります。これは決して強力な魔法ではありませんが、ダンジョンの浅層に出る魔物くらいなら、一掃できるでしょう。
レベルは、低ければ低いほど上がりやすいですから、これだけのスクロールがあれば、最低限のレベル五までは、上がるかと思います」
俺は受付嬢とスクロールを交互に見た。
「もらって……いいんですか?」
受付嬢はにっこりと笑った。
「これは、先行投資です」
「先行投資?」
「はい。レベルの高い冒険者は、国の宝です。いつか高レベルの冒険者になってこの国に貢献してください。そのための、先行投資です」
「……はい!」
俺は地図を片手に、意気揚々とダンジョンの入り口を見上げた。もらったスクロールと薬草は背負ったリュックに入っている。鎧にリュックというのは、なんともミスマッチだったが、両手が空くというのは素晴らしい。治安の悪い街中では不用心とされるリュックも、ダンジョンでは必須アイテムだ。
俺は地図をリュックの奥に押し込んで、代わりにスクロールを何枚か取り出した。結ぶ帯の色で、込められた魔法の属性がわかるようになっている。どれが適しているのかわからないから、とりあえず一属性一枚ずつを、剣帯に挟み込んだ。それから万一の時に対応できるよう、薬草の類も取り出しやすいところに入れておく。
俺がダンジョンの入り口わきで支度をしていると、何組ものパーティーが、談笑しながら通り過ぎていった。彼らにとって、このダンジョンの浅層とは、警戒に値しない程度のものでしかないのだろう。
俺は首を振って、油断を振り落とす。
彼らの装備をよく見てみろ。あちこちに傷が付いているが、丁寧に磨かれている。年季が入っている。この世界では低レベルと称されるかもしれないが、日本で暮らした俺に比べれば、彼らは歴戦の猛者だ。
一方で俺の鎧には、一切の傷らしい傷がない。あたりまえだ。俺のためにこしらえられた、最上級の鎧なのだ。未だこの鎧は戦闘を経験していない。
……よし。行こう。
俺は覚悟を決めて、ダンジョンの入り口をくぐる。
初心者用ダンジョン、ブルージュエルの洞窟。
その特徴は、浅層にはブルースライムしか出ないという初心者仕様であることだ。もっとも、深層に潜ればもう少しレベルの高いレッドスライムとか、状態異常を付与してくるポイズンスライムとかも出るらしいが、俺は一階から下に行くつもりは毛頭ない。
ごく稀に、この初心者ダンジョンでも死者は出る。原因は深層に潜りすぎて、遭難したからだと言われているが、なにせ証人は死んでいるから真偽は不明だ。実際つい先日も、それなりに手練れのパーティーが、ダンジョンの奥に消えた。俺は死にたくないのだ。いのち大事に。
それにしてもこの洞窟。ブルージュエル、なんて名前が付いているから、よほど綺麗な洞窟なのかと少し期待していたのだが、なんてことない、普通の岩肌じゃないか。キラキラ輝くどころか、所々に明かりが置いてなければ、少し先さえ見通せまい。
この様子から察するに、ブルースライムばかり出るから、こんな名前にしたのだろうが……。
なんでジュエル。詐欺かよ。
あわよくば加工して装飾品にして売れないか、と考えていた俺は小さく舌打ちをした。高値で売れれば、レベル上げを待たずして冒険者を雇い、王都に帰れたかもしれないのに。まあでもよく考えれば、ここにそんな宝石が眠っているのなら、すでに冒険者によって取り尽くされているだろう。
一歩一歩、足元を確認するように歩を進める。受付嬢からダンジョン内部の地図はもらえなかったが、このダンジョンの地下五階までは、階段までの最短ルートが舗装されており、道ができている。変に横道にそれさえしなければ、迷うこともないだろう。
俺はダンジョンで遭難なんてごめんだし、今日の目的は最低限のレベル上げだ。スクロールがなくなるまでは、ひたすら道をなぞってスライム退治に勤しむつもりだった。このダンジョンに未開封の宝箱なんてあるはずないから、横道にそれる必要性も感じないしね。
それにしても……全然でないな、スライム。
もっとぽこぽこ出てきてサクサク倒してレベル上げて、聖剣で戦う訓練したいんだけど。ああ、人生とはままならないものだ。
「……ん?」
遠くで、物音が聞こえた。金属音? 剣がぶつかる音じゃないな。そもそもこの洞窟にはスライムしか出ないから、敵が剣を持っている可能性は極めて低い。
音が近づいてくる。やはり剣ではない。これは、鎧の音だ。重い鎧を着て走る、剣士の音。がっちゃんがっちゃんとやかましいことこの上ない。
一体なんだ? トイレか? 全く情けない。寝る前と授業前とダンジョン前にはトイレを済ませておくことは紳士の嗜みだというのに。
肩をすくめる俺の目に、とうとう鎧の主たちが姿を現した。戦士二人、魔法使い、僧侶のパーティーだ。彼らは俺を見つけると目を丸くした。そして僧侶姿の男が俺の腕を掴み、一緒に走らせる。
「来いっ!」
「は? え、ちょっ」
数歩たたらを踏むが、男たちは走る速度を緩めない。俺は抵抗しようとするが、これがレベル差なのか、僧侶の腕力にさえ逆らえない。
「なんですか、急に!」
文句を言う俺は、その時初めて彼らのことをちゃんと見た。そして異変に気がついた。
僧侶の顔が、真っ青だった。
それは気分が悪いとか、そういう次元の問題ではない。話にだけ聞いたことがある。僧侶は、神の奇跡を使用して精神力を使い果たすと、手が震え、血の気が引き、ひどい時には心停止を起こすと。
俺は自分の顔から血の気が引くのを感じた。今の僧侶とどちらが血色がいいだろうか。それから彼らパーティーの様子を観察する。
魔法使いの女は、額から脂汗を滲ませ、目が虚ろだ。これも魔力の使いすぎの症状だろう。
一方戦士の男。片方の男は、特に変わったところはなさそうだった。ただ、なぜだか鎧の右側が壊れており、男の逞しい腕がむき出しになっていた。ノースリーブの服を着ているのか? 肌に直接着たら、鎧が当たって痛いだろうに。
もう一人、先頭を走る戦士は、見るからに傷だらけだった。服も鎧もぼろぼろで、荒い息をついている。
俺はぞっとして、彼らが来た方、背後を振り返った。しかしそこにあるのは闇ばかりで、彼らが何に追い立てられているのかは分からない。
……闇?
おかしい。明かりは、どうした? 浅層はレベルの低い冒険者がくるから、一定間隔で明かりが用意してあるはずなのに。
ちょうど俺のすぐ脇にも、魔力の明かりがぼんやりと輝いている。
しかし俺が見ている前で、何の前触れもなく明かりが消えた。まるで闇に飲み込まれるように。
「ぎゃああああああっ!!」
前方から悲鳴が迸る。弾かれるように視線をやると、ぼろぼろだった戦士の男が倒れ込んでいた。
「ロイド!!」
魔法使いが戦士の名を叫び、屈み込んだ。地に伏した戦士が苦しみにのたうちまわっている。
その時、戦士の側に、恐ろしいものが落ちているのが目に映った。
鎧のついた、足だ。
「くそっ!」
無事だった戦士が、槍で何かを突いた。黒い影は戦士をからかうようにうねうねと曲がり、その槍を避ける。それから影は背後の闇に、溶けて消える。同時に、何か得体の知れないものの足音が、聞こえてきた。
僧侶が、俺をかばうように前に出る。
「残念だったね。あと少しで出口だったのに」
それは、少年のような、あどけなさを残す声だった。
声の主はゆっくりと、まだ残っていた明かりの範囲内に歩いてくる。コツコツと響く足音が、これが幻ではないのだと知らせていた。
それは、少年の姿をしていた。村人と称されても疑いの余地のない姿。そのミスマッチ感に俺はむしろ恐怖を覚える。
少年は四人の冒険者を、順に指差す。
「残念ながら、君たちはハズレだった」
ぺろりと舌舐めずりをして、邪悪に笑う。少年は動かない。なのに、少年の足元から伸びる影が形を変え蠢く。先の攻撃の正体は、これか。
「けれど、一つ良いものを見つけてくれた。お礼に、楽に死なせてあげるよ」
ひゅんっ。俺の耳に届いたのは、軽い音だけ。それだけで、視界が随分クリアになった。なぜかって? 僧侶の体が、ぐらりと傾いで、倒れたからだ。凄まじい血臭が場に満ちる。思わず吐きそうになった。
俺を動かしたのは、勇者であるということの矜持だけだった。
選んでいる余裕もなく、一番最初に触れたスクロールを広げる。
「た、太陽の娘が地上に堕ちた。その熱は全てを巻き込み灰と化す! うわっ」
スクロールを読むと、途端にスクロールが燃え上がった。それは凄まじい熱量でもって、化け物じみた少年に襲いかかる。
少年が炎に包まれた。俺は少年に背を向け、そこにいるはずの冒険者に声をかける。
「今です! 逃げま……」
そこには、生きている者などいなかった。喉から、頭から、腹から、致命的な量の血を流して地に伏している。
目を大きく見開く俺に、静かな笑い声が届いた。
「スクロールか。
あははっ。舐められたものだなぁ。この俺を、そんなもので倒せるとでも?」
少年は無傷だった。それどころか服に焦げ目さえない。炎はもう消えていて、熱も感じない。まるでスクロールが幻術だったかのように。
「お前、何なんだよ」
恐怖もあった。でもそれ以上に、目の前の少年が許せなかった。彼はすでに四人殺している。殺しているのだ。なのに、どうしてそうも楽しそうに笑っていられるのか。
「……ああ、そうか。
俺はお前を知っている。ああ、知っているんだよ。けれど、お前は俺を知らないんだな。確かにそれは不公平かもしれない」
少年は両手を広げた。ばさっと音がして、漆黒のマントがたなびく。完全に丸腰だ。武器など持っていない。それから片足を前に出して姿勢を低くする。嫌味なくらい丁寧な挨拶だ。
「俺はマオ。種族は悪魔。身分は……魔王だ」
「なっ! ま、魔王!?」
「そうとも。俺はお前を待っていた。勇者、ええと、ユウイチ? だったかな」
「そ、そんなわけあるか! ここは、ブルージュエルの洞窟だぞ!」
まさか、そんな馬鹿な。俺は少年の言葉の意味を測りかねていた。だって、魔王がこんな初級ダンジョンにいるなんて、有り得ない。
しかし俺の叫びを聞いて、マオは嬉しそうに喉の奥でくつくつと笑った。
「そう、それだよ。よくぞ聞いてくれた。実は話したくて仕方なかったんだ」
マオはパチンと指を鳴らした。どこからともなく真っ黒いテーブルと椅子が現れ、そこに腰掛ける。どうぞ、と身振りで進められるが、俺は首を振って断った。怪しすぎる。
「別に罠じゃないのに。まあいいや。
そうそう。それでね、俺がここにいる理由だけど、それはもちろん、お前を殺すためさ」
「俺の後をつけてたのか!?」
「いや、それは違うよ。んー、そうだなあ。……正直に言うとね、お前が来るのが、ここである必要はなかったんだよ」
「は?」
マオはさらにどこから沸いたのか知れないティーカップで、得体の知れない液体を飲んだ。小指が立っているところがむかつく。
「この国には、比較的初心者の冒険者がレベル上げに用いるダンジョンがいくつかある」
それは知っている。ここブルージュエルの洞窟。東のリーヴァルの森、南のレイド湿原など、強力な魔物が出にくく、レベルアップ向きとされるダンジョンはいくつかあった。
「どうしてそんな場所があると思う?」
「どうしてって……たまたま、なんじゃ」
俺の答えに、マオは心底愉快そうに、声を立てて笑った。
「あははっ! そんなわけないじゃん!
仮にも魔王であるこの俺が、人間のレベルアップに利用されていることを知りつつ、何の対策もせずに放っておくと思う? おめでたいなあ。
わざとだよ。わ、ざ、と。レベルアップに適した場所があると知れば、召喚直後の勇者は確実にそこに来るだろう? しかも今は、王都との連絡も絶たれているから、完全に孤立した状態でね」
マオは飲み終えたカップをテーブルに置いた。それから拳を振り上げて、カップ目掛けて振り下ろす。黒いカップが、カシャンと音を立てて砕け散った。
「そこを、殺すのさ」
俺は一歩飛び退く。油断なくマオを見た。マオはゆっくりと立ち上がると、呆れたように首を振った。
「抜かないの? 聖剣」
言われて初めて、俺は聖剣の存在を思い出した。抜こうとしたのだが、長い剣はなかなか綺麗に抜けず、もたついてしまう。
「……ほんっとに、初心者なんだね」
そんな俺の様子を、マオが興味津々といった様子で見ている。俺はようやく聖剣を構え、その切っ先をマオに向けた。
「運が良かったね。お前が転移したのがここで。少なくとも、湿原に向かってたら最悪だった。あそこを担当したケルベロスは見た目は可愛いけれど、拷問好きでね。彼に捕まったら、楽には死ねなかったよ」
警戒もなく、マオはすたすたと間合いを詰めてくる。
……なめやがって!
「やああっ!!」
俺は聖剣を振りかぶって、マオに叩きつけた。しかしマオは半身だけひねって軽くかわすと、あろうことか聖剣を、しかも刃の方を掴んだ。
聖なる結界が発動し、バチバチと火花が散る。マオの表情が少しだけ曇った。でも、それだけだった。
「……っさすがに、痛いな」
マオが聖剣ごと俺をぶん投げた。背中をまともに打ち付けて、一瞬息が詰まった。マオが頭を抱え、大仰にため息をつく。
「はあ……。まあ、分かってはいたよ。分かってはいたけれど……。ひどすぎる。
なんだよ、その体たらく。張り合いも何も出ないじゃないか。ここまで綿密に計画していた俺が馬鹿みたいだ。……いや、文句は言わないよ。これも全て、魔族の繁栄のため。そう、それだけだ。これはゲームじゃない。難易度は低いほどいいんだ。たとえ手応えがなさすぎて、つまらなくてもね」
ボロ雑巾みたいに倒れ込んだ俺の視界に、影が差し込んだ。マオが屈みこんで、俺の顎に手をかける。無理やり顔を向けさせられた。至近距離にマオの顔があった。
「言い残したことはある? 勇者」
「……次は必ず、俺がお前を、倒す」
「あっそ。じゃあ生まれ変わりにでも期待したら?」
マオの手が離れた。マントを翻して踵を返すのが見えた。それからマオの影が伸びてきて、俺の喉に……。
「さようなら、勇者ユウイチ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます