四時間目 社会2

 俺、勇者ユウイチは、久方ぶりに緊張していた。数分おきにトイレに行って髪型を整える。そわそわと忙しなくドリンクを口に流し込んだ。


 ちなみにここは酒場だけれど、これは酒ではない。俺は体が資本の勇者だからね。酒もタバコもやりませんよ。

 俺の視線は、オレンジジュースと酒場のドアとを、行ったり来たりしている。


「マオ……まだかな」


 今日は俺のパーティに、新しい仲間が増える予定だった。

 僧侶のマオが、どんなツテを使ったのか知らないが、エルフの王女さまを仲間に引き入れることに成功したらしい。


 エルフ!

 そう聞いただけで、胸が躍った。だってエルフといえば、美男美女の代名詞! 魔力が強い種族としても有名で、しかも王女さま! さらに優秀な冒険者で、かつてエルフの集落を苦しめたワーウルフの巣を、たった一人で壊滅させたという猛者でもある。

 もう彼女は、勇者パーティに入るために生を受けたと言っても過言ではない。そしてさらに勇者パーティとくれば、ハーレムが王道である。彼女いない歴十五年の俺だが……へへへっ。


 からんからん。

 妄想に浸っていた俺を正気に引き戻したのは、酒場のドアが開く音だった。俺はきゅっと顔の筋肉を引き締める。


「お待たせ、ユウイチ」

「おう、待った。……あれ? 王女さまは?」


 マオは一人だった。もしかしてとても小柄な子で、マオの背に隠れてしまっているのかとも思って、マオの後ろを覗き込むが、そんなことはなかった。


「ああ、外で待機してる」

「なんだよ、もったいつけて」


 ムッとする俺に、マオは楽しそうに笑った。


「あははっ。そう言わないでよ。

 ……彼女さ、恥ずかしがってるんだよ」


 マオはそこで言葉を切って、俺に顔を近づけた。他の人間に聞こえないよう、手を衝立にして呟く。


「お前に気があるんだって」

「えっ。なっ。そんvpうdっkt」

「動揺しすぎ」


 マオは笑いながら俺の額を小突いた。いやそりゃ、動揺もするよ。ワーウルフ倒しちゃうような女の子が、恥ずかしいって何そのギャップ。

 しかも俺に気があるって、急にそんな……。俺困っちゃう。


「まあ、いきなり恋仲になれとは言わないよ。

 ただ、あんまり自信家な子じゃないんだよ、彼女。少なくともチェンジとかは、やめてあげてほしい。傷つくと思うからさ」

「しないしない絶対しない!」

「約束だぞ。

 ……おーい、王女さま、入っていいよ」


 マオが扉の外に声を響かせる。


 ごくり。俺は生唾を飲み込んだ。


「は、はい……」

 鈴を転がしたような、可愛らしい声が聞こえてきた。


 どくどくと、早鐘のように脈打つ心臓がうるさい。彼女に聞こえたらどうしよう。


 ひょこりと、彼女が顔を出した。

 絹糸のような白銀の髪。現代にはない、ルビーのような朱色の瞳。自信がなさそうにへの字を書いている眉。噂通り、耳は尖っているが、どれを取っても可愛らしい。


 ん? でも、あれ? 彼女、随分と背が高いんだな。あの位置に顔? 身長一八〇センチとかあるんじゃないか? えっ? しかも顔を横向きに出してるってことは、膝を曲げてるってこと? エルフってそんなにおっきいの? ああ、あれか。モデル体型ってやつか。大丈夫。俺は守ってあげたくなるような子がタイプだけど、俺より背が高くても、こんな可愛い子なら守ってあげたくなっちゃう。全然おっけー。ノープロブレム。


 マオが彼女を手招きした。


「ほら、大丈夫だって。チェンジなんかされないから、こっち来なよ」

「はいぃ……」


 彼女が、すっと手を扉にかけた。

 みしっ。途端、扉が軋んだような音を立てる。


 ……え?


 彼女が全身を晒した。そのとき、なんだかあたりが暗くなった気がする。

 それは気のせいでも何でもなかった。実際に暗くなったのだ。入り口の戸から入ってくる陽光が、彼女の巨躯に遮られて。


「は……はじめまして。エルフの、モルトワールですぅ」


 彼女は、はち切れんばかりに膨らんだ長掌筋を俺たちに見せつけて、母指内転筋(親指付近の筋肉)を口元に当て、もじもじとしていた。タンクトップから見える上腕二頭筋は、一朝一夕で身につくものではなかろう。短いスカートの下からは、極限まで膨れ上がった大腿筋がはみ出している。


 モルトワールは、美しい顔を俺に向け、手を差し出した。


 いや、わかってる。冒険者が筋肉質でも、何の不思議もない。それに俺は、筋肉質な女の子が嫌いというわけでもない。

 でもこれは、そういう次元を超えていた。……本能的に恐怖を掻き立てられるほどの筋肉というのは……さすがに……。


 俺が戸惑っているせいか、モルトワールが心配そうに眉をひそめ、「あの……」とつぶやいた。


 そうだ、握手。握手しなきゃ。そう思うのに、体が蛇に睨まれたカエルみたいに動けない。


 マオが耳打ちする。

「ほら、ユウイチ。手だして。大丈夫。握りつぶされたりしないから」


 その助言は恐怖を助長するだけだ。


「よ……よろしく、お願いします」


 タメ口で話すことは、どうやらできそうになかった。

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