三時間目 音楽2

 俺の目の前に広がっている光景は、まさしく地獄そのものだった。


 勇者などという職業に就いていれば、人が死ぬところに居合わせるというのも、決して珍しくない。むしろ勇者は、いつだって死と隣り合わせの仕事なのだ。

 だが、今回のこれは、あまりにも……


「むごすぎる」


 俺はぐっと拳を握りしめ、こみ上げてくるものを無理やり飲み込んだ。悪臭に鼻が麻痺してくれれば、この吐き気も治まるだろう。

 俺はとにかく、怪我人の元へ向かった。


「状況は!?」


 叫ぶと、シスターと思しき女性が、涙顔を向けてくる。


「ゆ……勇者様?」


 俺はざっと辺りを見回す。小さな村だというのに、横たわって苦しんでいる人間の数は、ゆうに二十を超えている。うち何人かは、この距離から見ても、すでに事切れているのが分かった。


 彼らの苦しみを想像して、つい顔が歪んだ。しかし俺はすぐに笑顔を貼り付ける。俺が笑わなければ、彼らは安心できないだろう。


「大丈夫。俺に任せて」


 恐怖と痛みの混じった顔に、少しの安心がブレンドしたシスターの頭を、俺はぽんぽん、と撫でた。今日ここに、仲間が来ていないことが悔やまれる。僧侶がいれば、俺よりも適切な処置ができただろうに。


 しかしいないものを悔やんだところで、何になるでもない。俺は覚悟を決めて、懐の楽器に手を伸ばし……

 それを抜き放つと同時に、ばっと後ろを振り向いた。いつでも音を出せるよう、楽器をくわえる。


「ほう、さすがは勇者、といったところか。俺の気配に気付くとは」


 俺は油断なく敵を見据えた。黒い全身にコウモリのような翼、頭からはツノ、長い尾。……魔族だ。


「それが、伝説の楽器、リコーダーか」

「ぴー」

「なるほどたしかに、並々ならぬ力を感じる」

「ぴぴぴ。ぴっぴぽーぺぺぺ」

「はっ。しかし俺に遭遇するとは、貴様も運のないことよ」

「ぴぴ。ぴーぽう」

「くっくっく。いつまでそんな減らず口が叩けるかな?」

「ぷー。ぴーぺぽ」


 魔族は羽織っていたマントを、ばさっと広げる。その中で、どす黒い魔力球が四つ、渦を巻いていた。


「さあ、戦おうぞ、勇者よ!」

「ぴぴょーっ!!」





****************





「……石原」

「なに?」

「リコーダーじゃなきゃ、ダメ?」

「お前リコーダーくらいしか吹けないでしょ。俺ならベースとかドラムとかでもいいけど。ああ、ドラムはないな。持ち運べない」


 ちなみに柳瀬は歌も下手だから、歌も無理だ。某国民的アニメの主人公の同級生のように、破壊的歌声で相手を攻撃するのなら話は別だが。


「じゃあせめて、戦いの前口上くらい、普通に話したいんだけど」

「いいけど……俺間違いなく、勇者が武器構える前に攻撃するよ」

「ずっる!」

「ずるくない。なんで敵が待ってくれると思っているのかの方が不思議」


 どうやら戦隊モノとか魔法少女モノでは、『敵味方に限らず、決め台詞を吐いている相手に攻撃することを禁じる』という法律があるらしいが、異世界転生モノにおいてそのルールは絶対ではない。

 それから二人はまた黙ったまま、廊下を進む。数分後、遠くに音楽室の札が見えてきた。


「俺さ……」


 柳瀬がぽつりとこぼす。


「なに?」

「やっぱり普通に、剣で戦おうと思う」

「うん。俺もその方がいいと思うよ」

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