三時間目 音楽

「なあ石原。俺、剣道始めようかな」

「……なに突然」


 柳瀬は気まぐれな性格だから、突拍子のないことを言い出すことは、ままあった。だが彼はテニス部員で、テニスに心底熱中していた。まるで他のスポーツを始めたら、テニスが嫉妬するとでも言わんばかりに、毎日毎日テニス漬けの日々だった。

 特に今、彼は引退試合を控えていて、ここ一年でも類を見ないほど熱中して練習をしていたはずだ。


 だから、柳瀬からそんな言葉を言われ、石原はこの日一番驚いた。


「え? だって剣道は武道だろ? スポーツじゃないじゃん。だから大丈夫。嫉妬されない」

「テニスが嫉妬するって発想に至ってる時点で、かなり手遅れ感あるんだけど。

 ……まあいいや。柳瀬だし。

 で、なんで剣道なの? 臭いらしいじゃん、あれ。お前そういうの苦手でしょ?」

「だってほら、現世で少しでも剣に慣れておかないと。いざって時にゴブリンに遅れを取るかもしれない」


 一時間前の会話をまだ引きずっているらしい柳瀬に、つい石原は吹き出した。


「お前、ホラー苦手すぎでしょ」

「苦手じゃねえっつってんだろ」


 食い気味に柳瀬が否定してくる。

 石原は「はいはい」と適当にいなして、後ろのロッカーから楽譜と資料集を取り出した。


「次、移動教室だよ」

「あー、マエストロの授業だっけ」


 マエストロとは、この学校の音楽教師の渾名だ。頭髪が残念じゃなかったら、それなりに格好良かったんだろうなって顔をしている。


 二人で教室を出て、音楽室に向かう。特に会話もなく、石原は前を、柳瀬はぼーっとリコーダーを眺めていた。


「そういやさ」


 二分ほど続いていた沈黙を破って、柳瀬が言った。


「たまに楽器を武器にして戦う奴とかいるよな」

「……あー、いるね。吟遊詩人とか」

「あれ、どういう原理で攻撃してるんだろ」

「まあ、魔法もアリの世界だし、いくらでも理由は付けられるんじゃない?」


 魔力を音に乗せて飛ばしているとか。物理法則がそもそもこの世界と違うから、少し考えれば、理由などいくらでもこじつけられる。


「楽器……楽器か!」


 突然、顔を輝かせた柳瀬が、リコーダーを掲げた。


「俺、楽器使いの勇者になろうかな! どう思う?」

「どうって言われても……」


 キラキラした瞳に気圧されて、石原はちょっと黙り込んだ。それからゆっくりと、諭すように言う。


「良い病院、紹介してやろうって思うかな」

「ガチで返すのやめてくんない?」


「まあ、でも……楽器かぁ……」

「あれ? なんか否定的。良くない? ミュージシャンとかかっこいいじゃん。お前軽音だし、そーゆうの好きかと」

「いや、まあね……。いいんだけどさ。楽器武器って、シリアスできる?」

「できないかな?」

「難しくない?」

「んじゃ、やってみるか。お前、敵ね」

「……やっぱりそうなるか」





****************





 村には、血の匂いと糞尿の匂い、それから死臭が漂っていた。


「くそっ。間に合わなかった……!」


 俺はユウイチ。歴代勇者の中でも極めて稀な、音を武器として戦う勇者だ。俺の武器は、俺の魔力を音に変換して魔物に叩きつけ、人間には祝福を、魔物には破滅をもたらすことができる。


 通る道すがら、美しい音楽と魔物の屍体だけが残る。そんな噂が一人歩きして、俺はいつしか、ミッドナイト・レクイエムと呼ばれるようになった。


『ぶふっ!!』





****************





「おいなんだよ石原! 今いいところだったのに邪魔するなよ」

「いや……ごめん……でもお前、ミッドナイトレクイエムって……」


 あんまりにもあんまりなネーミングに、石原は腹を抱えて苦しそうに呻いていた。笑いすぎて頰が攣りそうだ。


「え? なに? なにが変なんだ?」

「お前マジか。……なんでもない。続けよう。

 でも頼むから、その二つ名は封印して。多分俺がシリアスできない」

「? そうか? まあ、それじゃあ」

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