弱い子じゃない


「……落ち着いた?」


「うん……」


 天音がなんとか泣き止むと、葛葉はもう一度よく天音と由莉を再び自分の部屋へと連れ込んだ。


「さっきははしたない姿……見せてしまったね。お母様の部屋に行くと、どうしても感情が抑えきれなくなる。……慣れないものだよね」


「っ、ううん……気にしないで?」


「そうだよ。ボクだって……」


「……うん、ありがとう。……はぁ、伝えることが多すぎて呼吸することも忘れてしまいそうになるよ。でも……頑張らなきゃね」


 2人に腰をかけるようにと、自身のベッドを貸した葛葉は部屋にあったホワイトボードの前に立った。


「端的に纏めるよ。まず、決行日は5月22日。時間はそちらの指定で始めてもらって構わないともう伝えてある。この日に、私も動くからそれで全部終わらせる」


 2週間と少し。それほどの時間があればと由莉と天音は頷いた。


「周辺の地図と地形、各建物の構造は全部送ってあるから、後で見て。作戦の考案に使えるはずだよ。後は───」


 葛葉は必要な情報全てを提供してくれていた。出来ることの全てを尽くすつもりなのかもしれないが、由莉達にとっても情報は値千金の価値があった。


「助かるよ、葛葉ちゃんっ」


「……いいよ、私にはこれしか出来ない。また会う時に誰か一人でも欠けてたら……きっと素直に笑えなくなってしまう。本当は大人数で制圧なんて方法も取れたのだけれど……犠牲は確実になる」


「……」「……」


「かと言って、みんなを人柱のように死ねなんて言えるほど、私は冷酷にはなれない。……みんなはまだ死ぬには早すぎる。誰一人死なないように私も最大限の協力をするよ。……それが、由莉ちゃんの思いなんだよね」


 そこまで言い終わると、葛葉は眼鏡越しに由莉の瞳を見据える。閉じ込められた覚悟の意思が灯る琥珀に葛葉は数秒そのままでいるとようやく口を開いた。


「……けれど、人は死ぬ時は死ぬよ。……言うのもなんだけど、死者は出ると思った方がいい」


「……うん」


「…………けれど、由莉ちゃんがしてきたことを見るなら、信じてみたくなった。だから見せて頂戴。誰一人失うことなく、また私の目の前に全員が来ることを」


 一転した葛葉の言葉は今まで聞いた中で1番優しい声だった。

 死者ゼロで戦いを終わらせる。口だけで言うのはなんと簡単なことか。そして、実行した時にその難しさに気づいた時、夢幻の世界は崩れ去る。

 大切なものを失っている身だ。一瞬で奪われる人間の命の軽さは百も承知のはずだ。

 それでも信じると言ってくれた葛葉に由莉は精一杯頷く。


「うん! 絶対にみんなは死なせないよ。私がスナイパーでいる限り、誰からも近づけさせない」


「……うん、やっぱり由莉ちゃんの声は聞いてて気持ちいいし、真っ直ぐで優しくて、何より強い。由莉ちゃんがいるからみんなが変わっていったのはよく分かる」


 この先、幾度の苦しみが襲おうと、折れることのないであろう少女たちの絆にどうか祝福を。

 葛葉はそう願いを捧げると、ふと由莉達の予想の範疇を超えた言葉が迸った。


「それでさ、2人は後ろに幽霊がいることに気がついた?」


「っ!?」「!?」


 背筋を伝うような寒気と共に2人が振り向くと、ベットの裏からじーっと見ている菫の姿があった。


「影薄すぎない……?」


「気配のけの字も分からなかった……っ」


「まったく……人を驚かせたらだめだって言ってるのに……まぁ、丁度いいね。幽霊にも伝達すべき事があるし」


 葛葉は肩を竦め、伸ばされた髪を指の間で梳くと気を取り直した。


「由莉ちゃんに天音ちゃん、幽霊もその戦闘に参加させてくれない?」


「っ! 本当に……言ってるの?」


「葛葉ちゃんの……部下みたいなものでしょ?」


 危険であるし、命の保証も出来ない。遠回しな表現ではあったが菫にも伝わったようで、しかめっ面をして2人を睨んだ。


「そうだね……さっきまでは普通に遊撃役で行かせようと思っていたけど……気が変わった。さて、別客がいるけれど……幽霊に命じる」


「……はい、なの」


「5月22日、戦場へ赴き、みんなの援護をしてあげなさい。ただし、基本的には配給役として、積極的な戦闘は禁止。幽霊としての役割を最大限に果たしなさい」


「……承った、なの」


「通達は以上、下がっていいよ」


 菫は葛葉の指示に不服を一切言うことなく頷くと、そのまま部屋を出ていった。勢いのままに、決められてしまい、由莉たちは一切手が出せなかった。

 扉が閉まって少し経つと、葛葉は安らかな笑みを2人に向けた。


「これは私の独断。けれど、みんなが気負うことはない。死んだらその時は仕方ないこと。だから、「捨て駒になったとしても?」」


 だが、その言葉を理解出来ないと由莉は声をあげ立ち上がった。


「あんなに……慕っているんだよ? なのに……死ぬ事が当たり前みたいに言わなくても……っ!」


「弱かったら死ぬだけだよ。強ければ強いほどこの世界では好き勝手が許される。その強いの定義にも強さだけじゃない、情報や統率力とかも含まれている。幽霊が死んだ時は、私の力不足か幽霊の力不足なだけ。……人の命なんて、銃弾が1発当たっただけで消えるかもしれないほど脆くて弱い。脆弱なんだよ、人っていうのは思った以上に、さ」


 葛葉は自分を曲げようとはしなかった。人の理念というものは変えようと思っても変えられないものだ。価値観の違いで由莉と対立する葛葉は悲しそうにしながらも、言葉だけはハッキリとしていた。


「……さっきは由莉ちゃんの事を応援しているって言ったけどね、私は戦って死んだ人をもう何人も知ってる。だから、由莉ちゃんの目指しているものの難しさは分かっている。私なんて襲われたら確実に殺されるくらい弱い生き物だよ。……それでも、私は皆とは別のやり方で戦っているんだよ。誰かを使う能力も強さだし、いざと言う時に仲間を切る選択をするのも一種の強さだよ。覚えておいて、私はむざむざ幽霊を殺したくて送り出すんじゃない。勝つ見込みのないことに投資するほど、私は愚かではない。


 あまり私と、私の大切な……友達を舐めるな。あの子は───『菫』は弱い子じゃない」


「……」


「……」


 2人に返す言葉はなかった。

 今、自分たちのしたことは葛葉への罵倒と何ら変わらなかった。そんなことをされれば誰だって怒る。

 ───そんなことも分からなかったのか。

 自分たちの菫への過小評価が招いた間違いにはただただ謝るしか術はなかった。




 ─────────────────────




 ー待合室ー



 天瑠と璃音、そしていつの間にかいなくなり、いつの間にか帰ってきた菫は同じ部屋の中で少し……いや、かなり気まずい雰囲気になっていた。


「……あのっ、」


 と、そんな状況を見かねて璃音が立ち上がる。


「何か……話しませんか? 仮にも味方だし、コミュニケーションは必要だと思うのですけど……」


「……」


「え、えっと……一緒に座って……」


「……」


 寡黙な菫に璃音はそれ以上会話を続けられなくなった。

 璃音は寂しそうに表情を曇らせ天瑠が座っているソファーの横に座った。


「璃音……」


「上手く……いかないね。由莉ちゃんならきっと出来るから……5ヶ月近くにいるから出来るかなって思ったんだけどね」


 くたりと天瑠の膝を借りて横に倒れた璃音は深くため息をついた。


「璃音は頑張ってるよ。天瑠から見てもすごい分かる。お姉さまのサポートも完璧にこなして、ももさんを由莉ちゃんと一緒に変えて……本当に自慢の妹だよ」


「……天瑠に言ってもらえるなら嬉しいっ」


「……でもね、自分と璃音を対比すると少し寂しくなるんだよ。嫉妬じゃないけどさ」


「えっ?」


 零された弱音に璃音は顔の向きを変えると、天瑠は哀愁を漂わせながら妹の頬に手を当てた。


「……天瑠はさ、由莉ちゃんと密接な点が1つもない。お姉さまは由莉ちゃんの1番の仲間で親友でライバルだし、璃音は由莉ちゃんのスポッター、相棒としている。けど、天瑠に何かあるかな?って思った時……ないんだよね」


「それは……でもっ……」


「あ〜あ、天瑠も何でもいいから由莉ちゃんと強く結ばれないかな〜? 天瑠だけ仲間はずれっぽくて嫌だな〜っと」


 天瑠は少し身を前に出し、机の上にあった菓子籠の中にあったチョコレートを1つ頬張った。


「あっ……これ美味しい……! 璃音も食べる?」


「うん、いただきます……んんっ」


 凹んだ心を癒すかのような上品な甘さに璃音も心做しか表情が晴れやかになった。ぽりぽりと噛み砕きながらチョコレートを口の中全体で感じつつある璃音はふと閃いたように体を起こす。


「あの、菫さんも一緒に食べませんかっ。チョコレート好きですよね?」


「…………」


「あう……これでもだめ……かな……」


 悲しそうに璃音が見ていると、脇腹に手を当てて明らかにため息出してます感を出すと、足音1つ立てずにゆらりとやってきた菫は籠の中にあるココアパウダーがまぶされたチョコレートをマスクの隙間から口の中に放り込んだ。


「……仕方ない、なの。年上だからしょうがない、なの」


「菫さん……!」


 辛抱してやったかいがあったと璃音はきらきらした表情を取り戻した。その姿は姉には眩しく映った。

 それならと、天瑠もさっきまでの事は水に流して……とは行かないまでも、妹の成果をみすみす壊してはならないと対話を試みるのであった。




 ─────────────────────


 話を再び葛葉の部屋に戻す。


 由莉たちは2度目の謝罪しなければいけない立場でどうすればいいのか分からず、体を震わせながら再び頭を下げようとする。

 すると、上から柔らかい声が2人の元へと落ちてきた。


「……分かってくれた?」


「っ! うん……」


「うん……ボク達が……馬鹿だった。本当に……ごめん」


「いいよ、卑屈にならなくて。私の気持ちと覚悟を分かって欲しかっただけだから……辛い思いさせちゃったね」


 2人から目線を外し、そう話した葛葉は近くの椅子に座ると深くため息を吐いてぐったりとした。

 辛い場の空気はいい事など何一つない。互いに苦しみ合うだけだ。それが年齢の近い、まだ成年にもなってない子たちなら尚更だ。親友同士だからこそ、なお辛い。


「……私もまだまだだなぁ……」


 RooTへの出資をし、その身が粉塵になるほどまでに努力を重ね続けているのだとしても、葛葉も1人の女の子なのだ。辛さなんて下手をすれば自分たちよりもしている。それを分かってあげられなかった悔しさに由莉と天音は互いの手を強く握りしめあった。

 そんな状況が1分もしない内に気持ちを整えた葛葉は椅子に座りながら2人に1つの質問を投げかけた。


「さて、最後の話をしよっか。……みんなはさ、疑問に思ったことなかった? どうして黒雨組が一向に潰されなかったか」


「それは……うん。音湖さんは厄介極まりないけど、こっちに寝返ったならすぐにでも潰せそう……ボクだって事実上の一番上まで行けたくらいだから───あれ? じゃあ、どうして……」


「言われてみれば……あれ? 確かに……考えたこともなかった……!?」


 寝耳に水といった表情の2人に葛葉は表情を曇らせながら覚悟を決め、話の堰を切った。


「私たちが今まで黒雨組へ手を出せなかった理由、そして幽霊の秘密を教えましょう。それらは全て……一つのある計画が関与している。



計画の名称は『Project:Select Inherit Nexter 』、またの名を……『S.I.N.計画』」




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