二度と戻らない日常


 葛葉は天音と由莉と3人で話したいと言い、天瑠と璃音を待合室で待機させた。菫にもくれぐれも喧嘩しないようにと言いつけて同じ場所にいさせることにした。


「色々と話さなきゃいけないことがあるね……けど、まずお父様と会ってからにするね」


 歩きながら由莉と天音は改めて気持ちを入れ直した。どんな人なのだろう……と、緊張しつつ部屋へ入った……瞬間にほんのりと線香の香りが身体を包み、そこがどこなのかを把握した。


「……お父様。前に言ってたお友達、連れてきたよ。びっくりしちゃった。本当に……仲間だったなんて……、それでね、これから私のことみんなに話すよ」


 正座して父親の前でそう話す葛葉の後ろで、由莉と天音も同じように正座をする。


「すぅ……ふぅ……。うん、大丈夫。じゃあ、またね、お父様」


 そう綴った葛葉はゆっくりと立ち上がる。その背中は凛々しくもあり、孤独を感じた。


「……葛葉ちゃん……」


「最初はね、お父様から始めたんだよ」


 振り返らず、静かに葛葉は話を始めた。


「お父様はこの世界が間違ってると考えていた。富裕層が得をして、普通に暮らす人達が損をする制度も、金で歪んだ親に育てられて傲慢な態度を取る子供が生まれることも、裏の組織が日本に巣を作っていることも。この時代を作った大人たちは何もかも間違ってる、私はそうやって教えられたよ。最初は言ってることが分からなかった。……けど、生きれば生きるほどそれが嫌ってくらい分かるんだよ」


 葛葉は平然と話す装いを見せる。

 だが、それが外殻だけであることは由莉も天音も何となく分かってしまった。


 ─── 大人って本当に汚い。


 初めて会った日、そう口にした葛葉には怒りが滲んでいた。それと同じ雰囲気があるのだ。


「お母様も同じ考えを持っていた。……このままだと、いずれ国が滅ぶ。そこに暮らしている人達がどうなるか……そんなものは火を見るより明らかだった。そんな時に、お父様がRooTへの出資を内密的にやっている事を私が10の時に教えられた」


 僅か……4年前。何も知らない少女の見た地の底はどれだけ深かったのだろうか。

 葛葉は若干の間を空けると、身体を反対へと向かせて歩き出した。由莉たちもそれに続く。


「……私は暴力を暴力で解決するなんて間違ってるとは思っていた。やっている事があちら側だと一緒じゃないのかって、初めは反対した。けれど……お父様は正しかった。それを……11歳になってから思い知らされた」





 ……



 …………



 ………………



 記憶は曖昧だけどいつだったかは……覚えている。3年前の2月、まだまだ寒くて外は雪が降っている頃だった。


「はぁ〜疲れたぁ……」


 語学の勉強をしながら部屋にいた私は少し欠伸をしながら足を伸ばして手を思いっきり上に上げる。疲れた時にすると1番気持ちが良くて、この日もずっと勉強していて若干寝不足だった。


「ふわぁあ……そろそろ寝よ───!?」


 突然家の中に誰かが入ってくる音を聞いた。不思議と胸騒ぎがした。心に深い溝が作られたような気がして私ははしたない事も顧みず、部屋を飛び出して急いでお母様の所へ走った。昔から体力がない私はそれだけでかなり息が上がっていた。


「お母様! 一体何が……っ!?」


 部屋に着くと仮面を被る男と女がいて、男の腕の中にはぐったりとしたお母様の姿があった。

 怖かった。けれど、お父様は外に出ているからお母様を何とか出来るのは私だけだった。怯える身体を奮い立たせて、お腹に力を入れて侵入者に立ち向かった。


「あなた達……何者なの!? お母様に手荒な真似はやめなさい!」


 無駄な抵抗なのかもしれないけれど、せめて堂々としていなければならない。これでも財閥の娘、人の上に立つ立場なのだからと。

 だけど、その去勢は2人の声に掻き消された。焦っていたのは間違いないけど、声は仮面に変声機をつけているのかよく分からなかった。


「この子……! 急ぎなさい、直ぐに来る!」


「だから分かってる! あぁ……もうっ、話してる余裕もないし、強引だけ……ど!」


「何を……ひゃあ!?」


 金魚を掬うみたいに担がれると、有無を言う暇もなく私とお母様は連れ去られた。そのままどこから知ったのか分からないけれど、私の家にある隠し通路を使ってたったの10分で家が遠目にしか見えない場所まで来てしまった。


「な……んな……のっ!! 私たちをどうするつもり!?」


 なんとか反抗を試みて、男の方を睨みながら声を振り絞った。すると、根のように枝分かれした仮面をこちらに向けて、


「……受け入れることが出来ますか? 例え、それがどんなに辛いことでも」


 激しく嫌な予感がした。胸が突き上げられるようで、横隔膜が上手く動かないせいか、呼吸さえままならなかった。さっきよりもっと強く、もっと激しかった。

 直後、さっきまで私たちのいた家屋から黒い煙が吹き出すように空へと昇るのが見えた。


 その時、私の中で『何か』が壊れようとしていた。分からない。どうしてこうなっているのか、11歳になってもこの状況だと訳が分からなかった。

 それでも……最悪のシナリオだけは頭に浮かんだ。想像に想像を重ねた悪夢だった。バクなんて生き物がいるのであれば食べて欲しかった。


 けれど、現実は残酷だった。


「……栢野崇志さんが殺されました」


「…………ぇ?」


 目の前が真っ暗になった気がした。嘘だと思っても信じることなんて出来ないまま、私とお母様は連れていかれた。


 それから数時間の記憶はほとんどない。事実を飲み込むことが出来たのは……お父様の死体を見てからだったと思う。ニュースでも取り扱われたみたいだったけど、その記憶もなかった。後で調べて、お父様が帰路を襲われて車内で殺害されたことを知った。



 ………………



 …………



 ……



「その瞬間、私にとっての『日常』は壊された。もう二度と取り戻せない。大切に思っていたものが一瞬で奪われた」


 3人は別の部屋へとやってきた。扉をノックして開けると、葛葉の部屋より一回りほど大きな場所には先客が既に居た。


「お嬢様……」


「渡辺さん、いつもありがとう」


「いえ……これも私の役目ですから」


 黒髪を編み込んで使用人らしくメイドの姿をした女性、渡辺は由莉達へと目を向けると立ち上がり、片足を斜め後ろの内側へ引きもう片方の足を曲げ、背筋を伸ばしたままスカートの裾をつまむ、お手本さながらのヨーロッパ伝統的な挨拶『カーテシー』を見せた。


「お久しぶりです、お二方」


「こちらこそ、お久しぶりです、渡辺さん」


 2人も頭を下げて挨拶を交わすと、ほんの少しの躊躇いを見せながら、天音が渡辺に尋ねた。


「あの……その人は…………」


「…………お嬢様」


「いいですよ、渡辺さん。そのつもりでここに連れて来たのですから」


「……分かりました」


 まるで隠しているかのように渡辺の影になっていた人物だったが、渡辺が1歩横に引くと容貌が顕になった。


「こちらはお嬢様の母君、栢野愛香かやの あいか様でございます」


 葛葉と同じ髪色、

 葛葉よりも長い背中を隠すほどのロングの髪の毛、

 普段着姿ではあるが、それでも美しさは変わりない。

 だが、見れば分かるほどの唯一のに由莉と天音は目を逸らせずにはいられなかった。


「そんな……っ」


「…………っ」


 葛葉の母は目に意思が灯っていない───まるで人形のように成り果てていたのだ。


「……お母様はお父様を失ったショックで精神喪失状態になった。この2年間、色々試したけれど……いつものお母様は戻ってこなかった。事実上……父も母もあの事件で奪われたんだよ」


 葛葉はゆっくりと近づき、ベッドに呆然と座る愛しい母と視線を合わせた。愛娘が目の前にいるのに、何一つ反応を返してはくれなかった。


「お母様……私のお友達だよ。お母様に紹介出来るくらい優しくて強い子達なんだよ」


 それでも葛葉は手を握り、目から視線を離すことなくなるべく優しく語りかける。だが、それも長くは続かなかった。


「……絶対取り戻してあげるからね……お母様とお父様の娘なんだから……諦めたりなんてしないんだから……っ」


 ……初めて、葛葉は声を震わせ握った母の手を自分の額に当てた。渡辺も「お嬢様……」と胸を痛め、由莉も辛さになんとか耐えていた。

 だが、天音だけはそれが出来なかった。


「…………っ」


 目には既に涙が溢れかえり、流れた涙が床のカーペットに飛び散る。葛葉はほんの少し聞こえたしゃっくりに振り返ると、天音へと近づいた。


「……そっか、天音ちゃんも……」


「ご……めん……っ、パパとママのこと……思い出しちゃって……っ」


 天音も6年前に両親を同時に失っている。僅か7年、だが覚えているのは4年程度だ。それでも沢山の愛を受けた事は忘れることなど出来なかった。だからこそ、葛葉の心の辛さも幾分かには分かってあげられるつもりだった。


「……天音ちゃんのお母さんとお父さんもRooTに所属して……殉職したんだよね。……ごめんね……本当に辛い思いをさせてしまって」


「違う……っ、悪いのは……全部あいつらだ……っ、だから……」


「うん……もう終わらせよう。私たちみたいな思いをする子がいなくて済む世の中にするためにも、絶対に」


 天音を優しくなだめながら、誓うように口にした言葉には場の空気を変えるくらい強い意志が込められていた。涙が止まった天音も、それを見ていた由莉も葛葉の言葉にはっきりと頷いた。

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