【桜の過去編】血染桜

 それから間もなく、夢見は火葬され、骨も立派な墓に入れてもらった。桜は何度も泣いたが、母上が最後の最後まで自分に託そうとしてくれたものを思うと、いつまでも泣いてたら母上に叱られてしまうと自分を奮い立たせた。



 ──夢見を火葬した次の日


「母上……今日もやってきます」


 早朝から起きていた桜は祀られた夢見の遺影に一礼し、木刀を持って外の庭へと出た。いつも、修練を積んだ場所に来ると、今でも隣に母の夢見がいるような気がしてしまう。


(っ……だめ……立ち止まってたら……母上に笑われてしまう……!)


 桜は木刀を強く握りしめ、朝練である素振りを始めた。一刀一刀、丁寧に真っ直ぐ、いつも通りやって来たことをする。例え、自分の側に母がいなくなっても、絶対に続けていこうと決めていた事だった。


「98、99、100っ! ……よし、次」


 桜は木刀を下にぶっ刺すと、腰に差していた刀『影斬桜』を抜いた。

 ……あの日、赤の紋様を刻んだ刀を桜は1日だけそのままにしてあげた。持ち主である夢見の最後の覚悟を剣に染み込ませるようにと。

 今はすっかり銀の刃を昇ってきた太陽が照らしている。そして目の前にはいつも通り、畳と竹で作った的があった。


「………はぁッ!」


 抜刀の構えから一閃、斬りこんだところに身体を捻りながらの斬撃を打ち込んだ。巻かれた畳がはだけ、残骸が2つ、桜の周りに転がっていた。


「うん、大丈夫。母上から貰ったこの力……しっかりあたしが受け継いでる」


 月牙蓮華龍、唯一の伝承者の桜は自分の身に馴染んだ技を確かめると深く一息ついた。


「さて……学校行かなきゃ」


 母の遺影がある場所まで駆け足で行き、その前に刀を据えると、再び一礼をした。


「行ってくるね、母上。また帰ってきたらね」


 縁側に用意していた自分のバックを担いで靴を履くと、父親にも言わなきゃと、玄関先から大声で叫んだ。


「父上〜〜! 行ってくるよ〜!」


 普段なら返事が帰ってきて送り出してもらっていた。だが……今日は何も返事がなかった。


(父上……そうやもんな……辛いに決まってるもんな……)


 バックを一度担ぎ直すと、桜はそのまま学校へと駆け走っていった。




 ────────────


「ただいま〜」


 桜は帰宅し、大きな声を家に響かせた。

 だが、誰の声も返ってこなかった。


(父上……ほんまに大丈夫かな……様子だけでも見ようかな)


「父上〜〜帰ったよ!」


 父の藤正の部屋を思いっきり開けながらそう叫んだ桜の先には……誰の姿もいなかった。まるで、もぬけの殻のようだ。


「……え?」


 その部屋に入ったことがほとんどなかった桜だったが、不安に駆られ、中に入って辺りを見回してみる。


(父上……? どこか出かけてるんかな。……ご飯作っておこうかな)


 桜は黙ってその部屋から出ていった。空いた窓から気味の悪い風が部屋に流れ込みながら。




 ───結局、桜は夜の間、刀を振りながら藤正の帰りを待っていたが帰ってこなかった。翌日の朝は作った藤正の分のご飯を食べて学校へ向かった。


(……どうして……父上……)


 友達と話しててもうわの空、授業を聞いてても言葉が右から左に突き抜ける。友達に心配されているのも分からなくなっていた桜は授業が終わると、真っ先に教室から飛び出し、家に帰った。


「父上っ!!」


 玄関に突っ込む勢いで入ってから喉が壊れるくらいの声で呼ぶが、家の中は閑散として、不気味な静かさを放っていた。


(おかしい……だ、だって……あたしを置いて2日もどっか行くなんて……なんか手紙くらい書いててもおかしくないのに……なんで……っ)


 昨日と同じ誰もいない家に桜は1人取り残された。その意味が理解出来ず胸が潰されそうだった。


「父上……あたし……母上がいなくなって……寂しいのに……側にいてよ……1人はいやや……」


 震える身体を引きずって、母の仏壇の前に来ると、そこで力尽きて畳に倒れ伏した。


「母上……あたしは……1人はいや……母上がいなくなってから……色々おかしいよ……父上がずっと帰って来ない……。なんで……?」


 家に誰もいない孤独感に、桜の心はたった3日で蝕まれていった。いつも母上と父上がいた桜にとってはこの状況はどんな刀の稽古よりも辛かった。


「なんで……父上はあたしを置いてどこか言ったの……なんで? あたしのことどうでもよかったん? あたし……父上に何も悪いことしてないよ……? どうしてなん……?」


 ついに桜の中で何かがぷつりと切れ、桜はそこから2日間、自分が何をしていたのか記憶がほぼ朧気になった。その日は金曜日、土日を挟んでいたのもあり、何が起きようと心配される可能性は低くあった。


 それが桜を大きく変える結果になってしまった。




 ───そう言えば母上と稽古し始めてからは、あまり父上と話してなかったし、父上もあたしの事なんてどうでもよくなった……? ……だから、父上はあたしを捨ててどっかにいった……? そんなん……そんなんが父親なんか……? あたしがそんな嫌いやったんか? なぁ……父上……なんで……




『捨てられた』


 その悲しみに囚われた桜の思考は徐々に歪んでゆく。


 ───母上が死んだからそれであたしを捨ててさよならした……そんな奴……そんな『バカ親父』なんか……


「……許さない」


 5日目、ゆらりと立ち上がった桜は刀を握りしめいつもの庭へと歩いていく。そこには5本の的があった。

 無言のまま体勢を下げ、柄を握りこんだ、その瞬間、桜の身体は的の一つへ詰め寄り、真っ二つに斬り捨てた。そのまま、10秒と経たずして全ての的が桜の影斬桜によってボロボロにされていた。


「…………」


 鞘を一切見ないままに納刀した桜はその手を強く握りしめた。───初めて覚えた『殺意』を辺りにばら撒きながら。


「今度会ったら……殺す……っ」



 ───────────────



 それから、1ヶ月の間、桜は学校に行くことをやめた。桜は自分の技を……人を殺す為に使えるようにと、より鋭く、より速く、風さえ斬り捨てるように己の剣を高めた。

 友達や先生も心配で見に来たこともあったが、その時は今は来れる状態じゃないからと謝りながらお引き取りしてもらった。


 今の桜には親を殺す、それだけしか見えていなかったのだ。


 そして、その時は訪れた。




 藤正が……帰ってきたのだ。


 ──────────────────


 藤正が帰ってきた所を桜はありったけの殺意をぶちまけながら家の玄関正面で待ち構えていた。


「お、おい、桜……」


「よう帰ってこれたな『バカ親父』」


「なっ!?」


「───月牙蓮華流抜刀術『月華』」


 桜はその1ヶ月、月牙蓮華流を『伝承した』技ではなく、『殺すための』技に自分の心を書き換えた。

 その中でも、桜が最初に母に習った技を使い、人間の急所である胴体の中枢に斬りこんだ。


 ───キィィィン!!!


「おい、どういうことだ桜!!」


 咄嗟に藤正も己の刀で対処する。が、そこに月華の二本目の牙が藤正の皮膚を軽く斬り裂いた。


「ぐ……っ」


「───月華蓮華流連術『破月はげつ-上弦-』」


 唐竹割りからの左薙への二連撃、藤正は何とか対処するが、その時には既に次の構えに入られていた。


「月華蓮華流────」


「桜ぁぁぁ!!!」


 藤正もいよいよブチ切れて実の娘へ刀を振り下ろした……その時、桜の瞳は酷く哀しく、その銀の煌めきに目を走らせた。




「遡術『虚花うつろばな』」


 桜の刀が藤正の刀を受けた───と思いきや、滑らせるようにしてその剣先を地面へと誘い込む。そしてすり抜けざまに放った返しの刃は藤正の脇腹に血の花を咲かせた。


「ぐぅ……」


「…………バカ親父が。母上の技、母上の刀に適うと思うてるんか」


 血が滲み、顔を顰める藤正を桜は血払いを済ませると半眼で刀傷を負った父を睨んだ。


「がっかりさせんといてや。もう少し苦戦するかと思ってたのに、期待外れもええとこや」


「桜……お前……っ」


「……母上を侮辱するのもええ加減にせえよ。もっと本気でかかってきいや。殺しがいがないやないか」


 ───弱い、弱すぎる。これが元の父親だったのかと思うだけで反吐が出る。

 桜はとてもじゃないが情けなくなってきて、それが一周まわってイライラを産んだ。そんなもんかと、そんな弱さでよく母上に殺されなかったなと。

 そんな中、藤正も呼吸を整えると、正面で桜と向き合った。


「……これは全力でやらなければ話を聞いてもらえなさそうだな……。それに、1つ誤解を解かせろ」


「なんや、言うてみ」


「あんまり親を舐めるな」


 ───そこからだった。


 桜もはっきりと目の前の敵の気配が変わったことに気がついた。それは間違いなく、強者の圧力だ。剣を握る手がほんの少し強ばるのを感じる。


「さて、続きをしようか。今度は……桜、お前を殺すつもりでいく」


「ほぉ? 殺せるもんなら殺してみいやバカ親父」



「月牙蓮華流───」

「巌壊流───」


 藤正は大上段、桜は地の構えに剣を向け合う。静かに日が昇り、朝露がぽたりと地面に落ちた───それが始まりとなる。


「連術『破月-下弦-』ッ!」

「『岩崩いわなだれ』ッ!!」


「「はぁぁぁぁぁッ!!!!」」






 そこからは死闘だった。剛の巌壊流と柔の月華蓮華流、その二極の流派の技が何度もぶつかる。相性で言えば、桜にまだ形勢は傾くが、藤正の経験値がその差を補う形で状況は拮抗した。


 時間にすれば───3時間もの間、死闘が繰り広げられた。


 決着は……引き分けとなった。最後は両者が一歩も動けず倒れてしまったのだ。


「…………っ」


 至る所に擦り傷や打撲傷を負い、頭から血を流している桜は悔しさに震えた。

 もう少し、もう少しで殺れたはずだった、なのに……殺せなかった、と。

 視線だけで射殺さんとするばかりの桜に藤正は血が流れている手を額に当てながらぼんやりと空を見上げた。


「桜ぁ……俺も申し訳ない事をしたと思ってる。けど……『手紙』書いて置いたの……読んでないのか……?」


「……手紙……? なんのことやて……」


「…………あぁ……そうだったのか……」


 藤正に1ヶ月間の話を聞いた桜は何も言えなくなった。ただ、自分の罪悪感に囚われた訳では無い。確かに、それは少しだけあった。だが……それと同時に藤正に対する怒りも湧いた。


「……初めの20日はずっと山の奥だった。俺はどうしても1人になりたかった。夢見を失って……俺もよく覚えていないんだ。その時のことも……、桜にもその事は手紙を書いたからと……な」


「娘を置いて……か? 自分だけが辛いなんて思わんといてや……っ! 母上が死んで自分から1人になったバカ親父には、1人にされたあたしが……この1ヶ月どれだけ辛かったか……分からんやろ……」


 自分を見捨てた訳じゃなかった、それは桜の中で少しは妥協した。……確かに、あの日、藤正の部屋の窓が空いていた。風でたんすの下に入り込んだのかもしれない。

 だが、身勝手にもほどがある。父ならば娘の辛さを分かって、側にいてあげるものじゃないのか、それが親子じゃないのか。

 桜の中では怒りは収まる気配がなかった。


「……すまなかった……」


「…………もうええ。あたしは学校卒業したら家を出る」


「っ、桜……」






「あんたはもうあたしの親じゃない」


 それだけ藤正に言うと、桜は影斬桜を支えに足を引きずりながら母の仏壇のある部屋まで辿り着くと、力尽きてその場に倒れ込んだ。


(母上、ごめん……あたしは……もう…………)


 意識が薄れゆく中、桜は自分が……もう色々遅いんだと、もう元には戻れない事を母上に謝りながら涙を零し……そこで動きを止めた。



 …………


 ……………………



 桜と藤正は共に病院へ運ばれ手当てを受けた。双方、かなりの怪我を負っていたが、重症にはなっていなかった。

 ものの1週間で退院し、桜はみんなに心配されながらも、前のように学校に行ってはいたが、家では2人は何一つ会話することはなくなった。

 そして、小学校を卒業すると、桜は言った通りに家を出て、その家から2時間以上離れた場所へと移り住んだ。

 その時に藤正に紹介されたのが、『ゼロ』と名乗る人物だった。


「藤正には、既に私たちの所で働いてもらっている。その事を桜に伝えて欲しいと藤正から頼まれた」


 そこで桜は藤正がどんな組織に入っているのかを知った。初めは桜も驚いた。

 この国の実態も、桜はなんとなくだが分かっていた。だが……その原因を作っている裏の組織を潰す……悪人ではあるが人殺しをしている事は桜の予想を遥かに上回っていた。

 しかし、桜にとってはこれはいい機会だった。この国を腐らしている組織を潰していけば、いずれ平和になる。

 その為に動くこと、即ち、自分がそんな悪人を殺れるならば、母上と交わした『月華蓮華流を人のために使う』約束を守れるんじゃないかと。


 その時だ。

 世のため、人のため、そんな綺麗事の為ではなく、ただ、母との約束を守るためだけに、裏の世界に手を入れ……そのまま入っていったのは。




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