由莉の念い、音湖の想い、えりかの思い

「ね、音湖さん……」


「2ヶ月ぶりにゃんね、由莉ちゃん」


 開けた窓に月夜に佇む猫のように座っていたのは……音湖だった。由莉はやっぱり生きてたんだと安堵を見せようとしたが、警戒を怠ることなく一歩下がって身構えた。そして、由莉を心配して後ろからこっそりついてきたえりかも音湖の姿を見た途端に一瞬は驚いた表情を浮かべるも目の色を変えて睨みつけた。


「……なんでいきてるの」


「まぁ……確かに危なかったにゃ。下手すれば間違いなくあそこで死んでたけど、うちはこの通り元気だにゃ」


 軽い口調でいなめるように話す音湖にえりかはますます怒りと殺意を部屋全体にぶちまけていた。

 もう、由莉が隣にいる事すら忘れてしまうくらいえりかは怒り狂い始めていた。


「きえてよ! ゆりちゃんをころそうとした人の言葉なんてききたくない!」


 ―――銃かナイフがあれば……っ、今すぐにでも殺せるのに……!


 そんな殺意に塗れたえりかは心臓を抉りとるような視線を音湖に向けていたが、音湖は相も変わらず窓の桟に座っている。


「……あれはうちも言い訳出来ないにゃ。けどにゃ……謝るつもりはないにゃ」


「…………っっ! 殺す……殺してやる……っ!」


 えりかは悪びれもせずにそう言い放った音湖に完全にぶちギレ寸前だった。あの時の事が思い出され今でも手が怒りに震えている。銃もナイフもないなら手でもいいから殺してやる……っ! 完全に荒れ狂いかけたえりかを由莉は片手で静止した。


「……えりかちゃん、この場は私に任せてもらえない?」


「!? ゆ、り、ちゃん…………っ。………わたし……もう、ねこさんを見てるだけで殺したくなる……だから…………っ!」


「わかってる。私のために怒ってくれて……ありがとう、えりかちゃん。後は……任せて見てて」


 感情を抑えきれないえりかを由莉は力いっぱい抱きしめてあげた。えりかも必死に感情を抑え込むように、由莉に全てを託すようにして由莉より遥かに強い力で抱きしめた。


「おねがい……ゆりちゃん……っ」


 えりかが抱くのをやめたタイミングで由莉も離すと、いつも通り……という訳にもいかなかったが、落ち着きを見せたえりかを由莉は1回頭を優しく撫でると、くるりと半回転して音湖と対面した。


「それで、なんですか? また私を殺しに来たんですか? ……なんで私を殺そうとしたんですか」


「…………由莉ちゃんに聞きたいことがあるにゃ。それからじゃないと……全てを話せないにゃ」


 こっちの質問に答えるのが道理じゃないの? と、由莉は音湖を見たが……音湖の目は鋭く、少しも妥協するつもりは無いと言っているようなものだった。


「…………なんですか。話してください」


「単刀直入に言うにゃ。由莉ちゃん、今……もし自分が銃を持っていて、由莉ちゃんを殺そうとしたうちが目の前にいる。そして……あの方からうちを殺せと命じられたら……由莉ちゃんはどうするにゃ」


「…………ふざけないでください。何でそんなこと、」


「いいから黙って答えるにゃ!!」


 バカバカしさも大概だと由莉は怒ろうとしたが、音湖が激昴するように怒鳴り声をあげた。


「っ! それは……私は…………っ」


 結論から言えば、由莉には答えが分からなかった。殺すべきか殺さないべきか…………。マスターの命令なら……仲間殺しが出来るのか由莉には分からなかった。その様子を見た音湖は不意に部屋の中に入ると由莉の目の前まで足音を踏み鳴らしながら近づいた。


「由莉ちゃん……はっきり言わせてもらうにゃ。由莉ちゃんはこの世界で生きるには優しすぎるし、甘すぎる。死にたくないならやめるにゃ」


「なっ…………っ!?」


 そう由莉に吐き捨てるように言った音湖はまるで由莉を見下すようであった。そして……初めて由莉は人に否定された。自分の性格を……存在意義を。


「私は……ただ、音湖さんを殺すべきなのかって……………」


「っ!!」


 未だにそうボヤく由莉に音湖はぶちギレて由莉の服の胸ぐらを掴んで上に持ち上げた。由莉はジャージの襟で首を絞められ、咄嗟に音湖の手首を持ってなんとか気道を確保した。


「だーかーらー……それが甘いって言ってるんだにゃ!! 仲間殺しすら出来ないやつがここにいればいつかは死ぬ。敵に同情すれば死ぬ。……由莉ちゃんは分からないのかにゃ!?」


 だが、それも長くは続かず、徐々に由莉は苦しみだし、本能がまずいと警鐘をならした。


「あが……っ、こほっ……っ」


「っ、ゆりちゃんを……ゆりちゃんを放せぇぇぇぇぇーーーーーーー!!!!!!」


 由莉が苦しそうに音湖に絞められているのを見たえりかは頭の中で何かが弾け飛ぶ感覚と共に理性がぶっ壊れ、近くにあったベットに飛び乗り跳躍すると、由莉に当たらないように音湖の顔面を全体重を込めて顔にめり込ませた。

 耐えきれなかった音湖は軽い脳震盪を起こしかけて、由莉を手放すとそのまま倒れ込んだ。すかさず、えりかは音湖を押し倒すようにして上に乗ると音湖の顔を何度も殴った。自分の右腕が悲鳴を上げようとやめようとはしなかった。


「ゆりちゃんをっ! これ以上ッ! 苦しめるな!! 銃が無くたって!」


 そんなえりかの打撃を音湖は庇うことはしなかった。


「ナイフが無くたって!」


 拳が音湖の左頬を捉え首が折れるくらいの強さでねじ込む。


「この手だけで……殺してやるっ!!!!!」


 音湖の顔面からは血が出ていて鼻血も止まらないくらいに流れている。そしてえりかの拳も真っ赤に腫れ上がり、そこについている血が音湖の物なのか、えりかの物なのかもはや見分けがつかなくなっていた。


「ごほっ、ゴホッ……えりかちゃん…………やめ、て……」


 気道が締め付けられたことで、咳が止まらなくなっていた由莉はえりかを止めようとするも、えりかは気付かぬうちに由莉を夜叉のような目で睨みつけていた。


「ゆりちゃん……これは敵だよ!? また……またゆりちゃんを殺そうとした! ゆりちゃんもゆりちゃんだよ……なんで、敵をかばうの!? もう殺そうよ、ねぇ!? ゆりちゃんが言ってくれればすぐにでもやるから……おねがい……っ、殺させて!!」


 返り血を顔面にべっとりつけたえりかはその目に涙を零し、涙と血が頬で混ざり合い気味の悪い色をしていた。


「えりかちゃん……まだ、分からないの? さっきの瞬間……音湖さんは私を殺せた。首の骨だって折ろうとすれば、コホッ……折れた。なのに、首を締めるだけ……それも私に問いかけながら。殺そうとしてやる事じゃないって……分かってよ……」


「……甘いよゆりちゃん……そんなの……っ、あますぎるよぉ…………」


 今度こそは由莉に自分の行動が正しいってえりかは言ってもらえると思っていた。今度こそ……2度も殺そうとした音湖を自分の手で殺してやると思っていたのに……それが由莉に否定された。



 もう、訳がわからない



 そんな表情でえりかは腕の痛みに悶え苦しみながら声をあげて泣いた。また、由莉のために動けなかった。自分の行動がいつも由莉の足枷になる。それがどうしようもなく、辛くて辛くて……痛くて痛くて……苦しくて苦しくて…………


「うぅううぅぅ……うあああぁあああーー!!!! ああぁぁ……あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあああーーー!!!!!!」


 ついにえりかは発狂した。この世のものとは到底思えない叫び声で泣くえりかを由莉は止められなかった。言葉が見つからない、あれは……マスターの期待に応えられなかった時の由莉の苦しみ方と合致していた。同じ苦しみを……えりかに味わわさせてしまった。胸が引き裂かれそうだ。自分まで狂いそうだ、と由莉までおかしくなりかけた時、「パチンっ!」と甲高い音が響き渡った。



「……いい加減にして。えりかちゃんになら殴られてもいいと思ってたけど……2人揃って……」


 その音は……音湖がえりかの頬を思いっきり振りかぶってぶっ叩いた音だった。それはえりかの殴打の数倍の威力を伴いえりかの狂った声を一瞬にして止ませ、元の世界に引きずり落とした。


「これが、あっくんと一緒にいる? ……落胆するな、これは。あっくんの弟子とは思えない……はぁ、見損なった」


 えりかを軽々と持ち上げ由莉へ投げ捨てるようにして音湖は立ち上がると……人格が変わったように由莉たちを見下していた。


「一体どんな育て方をすればこんな腑抜けができるんだろう。あっくんも所詮その程度か」


 その言葉を聞いた途端……由莉の中での制御リミッターがぶっ飛んだ。


「―――バカニシタナ? イマ、えりかちゃんと阿久津さんを……馬鹿にしたか!?」


 音湖の猛烈な殺意のオーラが部屋全体をつつんでいるのも関係なく、由莉は音湖に初めて殺意を抱いた。


「私を……馬鹿にするなら好きにしろ。けど……」



 〜〜いつも「ゆりちゃんっ」と自分を慕って、くれる笑顔が可愛いえりか



「えりかちゃんを…………」



 〜〜ちょこっと意地悪だけどそれでもいつも自分のために気をつかってくれる阿久津



「阿久津さんを…………」



 立ち上がった由莉はえりかをそっと置いて音湖のすぐ側まで寄ると服の胸ぐらを掴み思いっきり自分へと引き込んだ。



が……語るなぁぁあぁぁァァァァーー!!!」



 自分の額を音湖の額に思いっきり叩き込む。それで自分の額が裂けて血が流れても一向に由莉の殺意はとどまる所をしらない。



「さっきの答えだけど、お前が本当に私を殺そうとしたなら容赦なく撃ち殺す。敵に同情? するわけなんてない。けど、お前が明らかに私を殺そうとはしても殺す気はなかった。だから私は殺さない。……私が仲間を殺せないって思ってるなら間違いだから」


 額から流れた血が目に入りかけ、痛むのも忘れるように睨んでいると音湖はさっきまでの濃厚な殺意を0まで落とすと、そのまま地面に倒れた。もう音湖の顔面は酷い有様だった。だが……口だけは笑っていた。


「やっと……分かった……にゃ。由莉ちゃんが……人を信じて人の為に動く理由……仲間が大好きだから……なんだにゃ…………そんなすぐ近くにあるものだったのかにゃ…………っ」


「……答えて。なんで私を殺そうとしたのか。それを聞かないと……収まらない……」


「……いいにゃ。うちが……由莉ちゃんを、殺そうとしたのは…………由莉ちゃんの中の力を見るためだったにゃ」


 ――――――――――――――――――


 それから音湖は今までの経緯の全てを由莉と、なんとか意識を取り戻したえりかに話した。


「由莉ちゃんは絶対に死なないように……なってるにゃ。じゃなかったら……由莉ちゃんは最低4年の虐待なんて耐えられるわけがない、うちはそう思ったにゃ。今までに親から殺されかけた瞬間、思い出してみるにゃ。その記憶が……欠落してることに気づくにゃ」


 思い出したくもないことを思い出せと言われ顔を顰めつつ、由莉は殺されかけた時の事を思い出そうとした。だが…………


「………ない。本当に……殺されるって思った時から、落ち着いた時までの記憶が……ない……?」


 音湖の言う通り記憶がなかったのだ。そんな様子の由莉をえりかは少し驚きながら見ていた。


「……理由は言わないようにと言われたにゃ。誰かも言わないにゃ。……約束、だからにゃ」


「…………分かりました。だから……だったんですね」


「ゆりちゃん……どういう事? わたし……よく分からないよ……うっ、いたい…………っ」


 真っ赤に腫れて痙攣を起こしている腕を見た由莉は流石にまずいとすぐに阿久津を呼んでくると言ってドアを飛び出していった。えりかと音湖を2人にする結果になったが、もう大丈夫だという確信がある故の行動だった。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「……えりかちゃん」


「………………」


 2人になった音湖とえりかの間には気まずい雰囲気が広がっていた。えりかはなんて音湖に声をかければいいのかも、声をかけられたらなんて反応すればいいかも分からなくなっていた。


「…………うちを恨んでるかにゃ?」


「……わかりませんよ……わたしの方が……ねこさんを傷つけたのに……ねこさんの方こそ……うらまないんですか」


「なんでえりかちゃんを恨むのかにゃ。されて当然のことをした。恨まれても仕方がないにゃ。だから……えりかちゃんに殴られるなら思う存分殴って欲しかったにゃ。けど、結局は傷つけてしまったうちを……許してとは言わないにゃ。理解してとも言わない。ただ……由莉ちゃんの敵にはなりえないことは信じてほしいにゃ」


 えりかは血とあざ塗れの音湖の顔を見てどうにかなりそうだった。こんな事を本当に殺そうとしてやろうとしたわけではない音湖にしてしまったことに……でも、


「しんじられませんよ……そんなこと。ゆりちゃんが殺されそうな所を2回も見せられて……っ。でも……もう、殺す気はありません。でも……ねこさんのことはきらいです」


「…………それでいいにゃ。そこまででもうちは嬉しいにゃ、ありがとにゃ…………えりかちゃん」


「………っ」


 ここまで優しくしてくれてるのに、えりかは素直に仲直りは出来なかった。殺そうとした相手にそんな急に仲良く……なんて出来なかった。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 由莉が阿久津を連れて走ってくる頃には音湖もえりかもぐったりとしていた。死んではいなかったが、痛みははっきりと顔に出ていた。


「はぁ……派手にやってくれましたね、ねこ。こんな事でしか解決出来ないのですか」


「……ごめんにゃ、あっくん。でも、これでうちは全てをやり終えたにゃ……」


「どれだけ殴られればそんな傷になるのですか。さっさと傷の手当をするので3人とも待っていてください……最近、手当てばっかりしている気がするのですが……」


 ため息をつきながら阿久津は持ってきた救急セットで3人の傷を一気に手当した。由莉は額だけとすぐに終わったが、えりかは手の激しい炎症、音湖に至っては顔の腫れと裂傷と流石に1日で治せるものじゃないとえりかには幹部を冷やすように言って、いつもの氷袋を手渡した。


「ねこ……しょうがないですから別の部屋で手当しましょう。3日ほどは腫れは引かないですから……ここに泊まっていってください。これは命令です。そんな顔で出歩かれても気味悪がられるだけですよ」


「にゃ…………毎度申し訳ないにゃ……」


 その目にはうっすらと涙を浮かべながら阿久津の腕に抱かれて部屋から出ていった。




 こうして、3人のわだかまりは終わりを告げるのだった―――――

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