第7節 滾る心、覚める力
由莉の覚悟と音湖の覚悟
第7節 滾る心、覚める力
思いと思いが交錯する時、それは互いに変化を産み、新たな場所へとたどり着く。
…………残り1節
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―――あれから2ヶ月が経った
その間に、由莉は何十戦かに1回はなんとかナイフを当てることが出来るようになるまでに実力を伸ばしていた。一方、えりかは由莉のような狙撃の才能がなったものの、少しずつではあるが自分のライフルと向かいあいながら実力を伸ばしていった。狙撃も200mが限度だったものが、500mまでは安定して当てられるようになったのだ。
また、音湖の事に関しては2人には行方がもう分からなくなっていて、えりかはいつまでも殺した相手を思っても仕方がないと割り切っていたが、由莉には何だかんだ言っても忘れられずにいた。
そして、練習の内容にも変化があった。それは―――
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「……甘いっ!」
「ぐぅ……っ!」
えりかがナイフをほんの一瞬だけ鍔迫り合ってしまいその隙をついた阿久津の蹴りがえりかの庇おうとした手をすり抜けて右脇腹にめり込む。声にもならない叫びをあげたえりかはそのまま意識を一瞬飛ばされて倒れこむ。
だが、阿久津はえりかがこのまま倒れると、頭を打ってしまうと本能的に察知し、床に倒れこもうとした直前にえりかと床の間に肩を支えてあげて事なきを得た。
「えりかさん、大丈夫ですか?」
「は、はい……少しいたみますが……」
「そこに氷と水が入った袋が入ってるので冷やしてくださいね」
「わかりました……」
と、こんな感じで毎日、練習の最後に1戦ずつ由莉とえりかは阿久津とある条件で戦っている。
『どちらかが一瞬でも気を失う、もしくは戦意を喪失するまで』
はっきり言えば、由莉とえりかには無理ゲーに等しかった。2人とも阿久津に捨て身でならば一撃を加えられるようにはなったが、それでは阿久津の格好の的にされるだけで、かつ、阿久津がさらに攻撃の手を緩まなくなったせいで防戦しか出来なくなってしまっていた。
そんな様子を由莉はえりかが傷つけられるのを耐えるように拳を握りながら見ていた。……もともと、2人で阿久津にお願いをした事だった。2ヶ月も練習してきたのだからより実践的に阿久津と戦いたいと懇願したのだ。
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そうして、由莉とえりかは今日も阿久津に叩きのめされてしまった。始まって一週間以上経つ中で2人には傷が目立つようになってきていた。打撲傷が脇腹やお腹、肩にまで薄くだが2人の体に残っている。
「阿久津さん、今日もありがとうございました」
「ありがとうございました……」
「2人ともかなり強くなりましたね……もう体術抜きでは5回に1回は負けそうですね……」
今はまだ由莉とえりかをいなしている阿久津だが、そろそろ2人まとめての戦闘が苦しくなり始めていた。……と言うのも、由莉とえりかの連携が完璧すぎて、いつ打合せしたのかと言わんばかりの息の合った攻撃に若干翻弄されかけているのだ。
「さて、今日は早めですがこれで終わりましょう。2人とも部屋に戻っていてください」
「はい……えりかちゃん、行こ?」
「うんっ、ゆりちゃん……もうヘトヘトだよ……」
えりかは氷袋を脇腹に当てつつ、2人でお互いの体を支えるようにして階段を登っていった。疲れた体には重力の何倍もの力がかけられているように思うように動けなかったが、それでも、なんとか登りきると自分の部屋へと戻っていった。
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「さて、ねこ。今日は2人にはいつも以上に厳しくして疲れてさせているので気づかれないと思いますよ」
「……ありがとにゃ、あっくん。ずっと今日のためにやってくれてたにゃ?」
2人が出ていった後、阿久津はこっそり家の裏、絶対に2人が行かないところに言って、会う予定だった音湖と話していた。
「まぁ……2人を傷つけるのは私も心が痛いです。でも、いずれこんな事をしなければいけないのですから、今のうちに慣れさせるのも1つですよ。……さて、ねこ。これが上手くいかなかったら2人との関係は二度と修復不可能だと思ってください」
「分かってるにゃ。けど、うちはまだ由莉ちゃんから聞きたいことがあるにゃ。うちは……それをどうしても聞かないと気が済まないにゃ」
「また強情を張りますね……言っておきますけど、時間が経ったとはいえ、えりかさんはまだねこを一切許してませんし、由莉さんも同様ですよ。武器は外に持ち出しを許していないので大丈夫だとは思いますが……覚悟は持ってください」
「…………分かってるにゃ、そんなこと。うちは何時でも覚悟はあるつもりにゃ。……これにうちの全てを賭けるにゃ」
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「疲れたぁ〜……」
「もう、クタクタだよ……」
なんとか部屋にたどり着いた由莉とえりかはそのままゆかのカーペットにスライディングした。もう、ただの1歩さえ動きたくない気分だった。
「えりかちゃんは脇腹……私は……今日は太ももの擦り傷かぁ……」
「あくつさん、てかげんしなくなったよね……」
五体投地して真っ白な天井をぼんやりと見上げていたが、体の火照りが収まってきた頃になって急に汗の気持ち悪さが体を蝕もうとしていた2人は服を脱衣所で脱ぎ捨てると速攻でお風呂に飛び込んだ。疲れた体にこの暖かさは本当にたまらない。全部……という訳には行かないが、それでも疲れの塊がだいぶ溶けたような気がしてきた。
「…………」
だが……由莉の心は晴れなかった。最近、由莉自身が自分の成長がそろそろ止まりそうな気配をうっすらだが感じていた。
―――阿久津さんの教え方が悪いんじゃない。決してそうじゃない……けど、私にはやっぱり音湖さんがどうしても必要なんだと思う。あの身のこなし……私なんか全然追いつけなかった。阿久津さんが剛と柔だとしたら、音湖さんは……速。どうしても音湖さんに教えてもらいたい。どこにいるの、音湖さん……?
「音湖さん……」
「………………」
ボソッと呟いた由莉の声はえりかの耳にはっきりと届いていた。その様子にえりかは少し俯きながら自分のやった事が……もしかしたら由莉を苦しめているのかもしれないと思った。えりかだって音湖を殺したことは今も正しい事だと自信を持って言える。だからこそ、2つ考えが矛盾してしまっているのだ。
「ゆりちゃん……わたし……わたし、」
「さて、明日はもっと強くなれるように頑張らないとねっ!」
ラベンダーの入浴剤で紫に染まった水に浸かりながら、えりかは由莉に対し何か言葉をかけなくちゃと声を振り絞ったが、由莉は強引に話をぶっちぎるとえりかの側にさらに密着し肌と肌をくっつけた。
「ゆ、ゆりちゃん……」
「えりかちゃん、元気だして? えりかちゃんは笑っている時が1番可愛いよ? それに……心配しなくても私はえりかちゃんより絶対に強くなる。だから、もう少しだけ待ってて?」
「……うんっ」
由莉の側にはいつでもえりかがいる。それを崩さないように守るために……今がどれだけ苦しくても頑張るんだ。そう由莉は意志をしっかり固めると、もう少しだけと、ついつい長風呂をしてしまった。
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結局、5分くらい入ってしまった2人は少し冷水で顔を洗い、ボーッとしそうな頭を押さえつけて風呂場を出ると、タオルで体を吹いて新しいジャージに袖を通した。
「ゆりちゃん……今日はフラフラだよ……」
「私も……特にする事もないし……寝る?」
「そうだね……ふわあぁ……」
段々と眠気が襲いベッドに倒れこもうと寝室まで行こうとすると……近くの窓に映る人影がちらっと見えた。
さっきまではなかった物を見てしまい、2人とも緩い眠気が吹き飛んでしまった。
「っ! ゆりちゃん、あれ……」
「…………えりかちゃん、静かに。ちょっと様子見てくるけど、もしも、何かあったら……その時はお願い」
「でも……ぁっ」
由莉はえりかを置いていくと、敢えて大きな音を立てて注意を引き付けた。後手に回るよりは先手を打って出ることが今の状況では正解なのだと由莉は判断した。そして……意識的に出すのは少し大変だが、出来るだけ気が強そうな言葉遣いで……
「動くな! いったいだれ…………っ!?」
「にゃはは、大人にそんな強気な言葉遣いは少々頂けないにゃんよ?」
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