音湖の覚悟
「じゃあ、あっくん……1週間後、そっちに行くにゃ」
「えぇ、分かりました。それでは、また会いましょう」
音湖は阿久津の車を見送ると自分の店『唐柏』の中へ入るとささっと着物を脱いで、普段着に着替えると、たった1人しか居ない空間で寝そべっていた。
―――本当に……今日は生まれてから1番の日だったにゃ。うちには…………勿体なさすぎるくらいだにゃ。あっくんが会いに来てくれると言ってくれたのだけでも、うちにとっては何よりも嬉しくてたまらない事なのに、祭りにまで一緒に行けるなんて思わなかったにゃ。全部……由莉ちゃんとえりかちゃん…………特に由莉ちゃんのおかげかにゃ。
阿久津から由莉の事については大体の経緯を聞かされた音湖は全ての原点が由莉から始まっていることに気がついていた。本当に不思議な子だと思うと同時に……何故か不機嫌になった。
「でも、由莉ちゃんは……甘すぎるんだにゃ。今の由莉ちゃんに……命乞いをする敵をなんの躊躇いもなく……殺せることなんて出来ないにゃ」
誰かを救う事に関しては別にいいとは音湖も少しは思う。だが……由莉はこの世界で生き抜くには優しすぎる、そう音湖はこの数時間一緒にいて抱いた印象だった。
「うちに力を借りるのも、えりかちゃんを助けるための力が欲しい……由莉ちゃんは誰かの為に命を張って……うっかり死ぬ事を考えてないのかにゃ」
人の命なんて脆い事は音湖が由莉よりもえりかよりも……阿久津よりも分かっている自信があった。
たったナイフをひと振り、銃弾をたった1発、急所に当てるだけで人はいとも簡単に死ぬ。その様子を音湖は何年も何年も目の前で見続けてきた。だから……少し由莉の考えには否定的だった。
「……でも、うちは由莉ちゃんの事は嫌いにはなれないかにゃ。あの純粋さは……人が好きになる性格にゃ。多分、うちが由莉ちゃんを本当に好きになればもう本気で相手が出来なくなるかもしれないにゃ。だから……あっくんは負けたんだと思うにゃ。……本当に殺す気のあっくんと由莉ちゃんが勝負したら……模擬戦だとしても由莉ちゃんは……殺されるにゃ」
阿久津と本気で殺しあった音湖しか分からない、阿久津の強さ。由莉はそれを知らなかった。
「あれをすれば……一歩間違えば……最悪の事態になるにゃ。けど……まだナイフを握って少ししか経っていない由莉ちゃんと、万が一、えりかちゃんの記憶が本当に人殺しの時のもので、由莉ちゃんに襲いかかった場合、普通にやってたら……まず勝てないにゃ。経験、体つき、才能は分からないけど……由莉ちゃんには不利なことが多すぎるにゃ。だから……うちが確かめるしかないにゃ。あっくんもえりかちゃんも……恐らくあの方も今度うちがやる事はできないにゃ」
音湖は少しナイフを抜くと部屋の灯りに照らしていた。その目は……本気で人を殺す目だった。
「由莉ちゃんに、その覚悟と……うちが予測した事が当たっているならば……もしかしたらえりかちゃんにも勝てるかもしれないにゃ。……試させてもらうにゃんよ、由莉ちゃん。もし、うちの予想がはずれてたら……………………」
唐突に音湖は立ち上がり奥の部屋に行くとその壁に思いっきりナイフを突き立てた。割と硬いはずの壁が……いとも容易く突き破られた。
「悪いけど、その時は由莉ちゃんには死んでもらうにゃ。そして…………うちも殺されるにゃ」
こんな事、阿久津になんて話せる訳がない。話せば、来ることも拒否され……最悪、殺されるとも思っていた。
バレれば阿久津に殺される。動く前に阿久津に斬り殺されてもだめ。えりかが庇おうと前に出たら勢い余ってえりかを殺しかねないからダメ。
寸止めなしの……本気で由莉の命を断ちに行かなければならない。誰一人動けないタイミングを作って、だ。
仲間殺しなんて真似は音湖もしたくはない。けど……出来ない話ではない。以前の組織では……嫌という程、抜けた人の暗殺を繰り返してきた。知り合いだっていた。でも、それが命令ならば殺すしかなかった。
つまり……今の状態ならば、まだ由莉を殺そうと思えば殺せるのだ。
「由莉ちゃん……もし、本当にその虐待を受けきったなら……予測通り出来るはずにゃ。だから、」
音湖は多少の不安はあったが、それでも音湖は覚悟を決めた。
「由莉ちゃんとうちの命、その2つを賭けて……来週、殺しに行くにゃ。失敗すれば、由莉ちゃんが死んで、うちも殺される。成功すれば……由莉ちゃんの持っているものが分かるけど……もしかしたらうちだけは殺されるかもにゃ? にゃはは……」
呑気に笑っている音湖だが、本音を言えば今、命が絶たれても何も後悔は残っていないのだ。
「あっくんが優しく接してくれた事だけで……私は生きてる事の全てを満たされた気がするのにゃ。まぁ……生きられることに越したことはないんだけどにゃ。さて……やっぱり、うちも由莉ちゃんのために動く事になっちゃったにゃんね」
つくづく不思議だと笑いながら音湖はナイフを壁から抜いて鞘にしまうと、もう布団も敷くのも面倒だと、畳の上に寝転がった。
「由莉ちゃん……これで受けた恩の少しは返すつもりでいるから……うちも由莉ちゃんを殺したくないから……頑張るにゃ」
微睡む意識の中、音湖は自分の命と仲間の命を賭ける事をもう一度心の中で確認すると真っ暗な闇の中へと意識を投げ込むのだった。
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