由莉とえりかは背を向けました

 えりかが勢いよく駆け出してくる。さっきと同じ行動かと思いつつ、油断しないように一挙一動をよく見ていた。そして、自分のリーチ内に入ってきたと思った瞬間___っ


 ……膝が崩壊した


 何が起こったのかよく分からず倒れる中、自分に何かが起きたのは確かだった。そして……、


 それを仕組んだのがえりかだと言うことも。


 かろうじてえりかの足元を見ることが出来た由莉はその立ち位置に思わず目を見開いた。自分のリーチ内に


 ___どういうこと!?確かにあの瞬間は入ってきていた。低い体勢でもなく、普通の状態で……なら、あの一瞬に何が…………っ!


 受身をとる時間もなくそのまま倒れ込もうとする由莉がその直前に見たのは___目を虚ろにして笑っているえりかだった。


(何?あんなえりかちゃん見たことない……っ)


 普段一緒にいたからこそ、えりかの異常さが分かった。これじゃ、まるで…………



 殺し合うのを楽しんでるみたいだよ……っ!



 一旦体勢を立て直そうと右に転がろうと試みた由莉だが、それも無駄だった。

 えりかはそこから、由莉ほどではないがそれでもかなりのスピードで詰め寄り左肩を抑え込むと流れるように後ろに回り込んで逆手に持ったナイフを首筋にそっと突きつけた。



 ……………………たった7秒


 阿久津とも何分かに渡らないと決着が付かなくなってきたから少しは強くなったと思っていた由莉だったが………


 そのプライドは自分の大好きな人にめちゃくちゃにされた。


 今まで培ってきたものを全否定されたようだった。


 ___秒殺なんてされるって思ってなかった。ましてや、自分が僅か1時間ばかり教えた大好きな人に負かされるなんて考えてもみなかった。阿久津さんにされた方がまだ納得行くと思ってしまった。

 悔しかった。悔しくて悔しくて、叫びそうになった。納得がいかなかった、いくわけがなかった。1ヶ月と1時間……単純比較で……720倍。いや、毎日4時間やってたんだからそれでも……120倍。この差は……なんなの!?


 これが……才能の差なの……?


 由莉はどんどん負のループに巻き込まれていった。悪い方向に考えれば考えるほど悪くなっていく。自分の悪い癖だと思っていても……


「わたしの勝ちか……な…………?ゆりちゃん、どうしたの……?」


 えりかは気づけば由莉を押し倒してナイフを首筋に突きつけている現状に戸惑いを隠せなかった。事実、えりかも動こうと思って動いたわけではなかった。


 ___あの頭痛が終わってから、何となく次はゆりちゃんに勝てるかも、って思った。それから自然に身体が動いた。自分でもあの動きは覚えてるけど、今やれって言われても……多分できないよ。でも、勝っちゃった。ゆりちゃんに勝てるなんて思ってなかったから少し嬉しかった。さっきは悔しい思いをしたから余計に……。ゆりちゃんにも褒めてもらえると思ってた。なのに…………


 どうして変なものを見るように泣いてるの……ゆりちゃん…………


 ボロボロと涙をこぼす由莉にえりかはなんて言えばいいのか分からなくなった。勝った嬉しさも由莉の涙で流されていってしまった。そんな嬉しさより、大切な人を泣かせてしまったことが申し訳なくて仕方がなかった。


「ごめん、なさい…………わたし、ゆりちゃんを……」


「っ!、違う……そんなつもりじゃ」


 口では違うと言っていても本心はそれを肯定していた。油断はしていなかった、だけど、少しでも勝てるとたかを括っていた私が悪いのに……っ


「ごめ……ん、…………ちょっと一人にさせてっ」


「えりかちゃん!」


 ふらっと立ち上がったえりかは歯を食いしばりながらその場から逃げるように走り去った。由莉も止めるように手を掴もうと思ったが、それも宙を切るだけになってしまった。

 階段を駆け上がる音の中に嗚咽の音が混じる。えりかも由莉もたまらなく胸がはりさけそうだった。勢いよく、地上へと繋がる扉が閉まる音がすると由莉は無言で壁の方へ向かい寄りかかるようにして膝を折った。


(また……またえりかちゃんを……今まで、ずっと私のせいでえりかちゃんを泣かせて……それなのに、また全部自分のせいで……っ)


 こんな自分がえりかのために涙を流す資格なんてない……由莉は自分を激しく責め立てるように壁を左手の拳で何度も殴りつけた。

 血なんて滲んでも関係ない。痛くても関係ない。骨が折れたとしても……関係ない。



 自分の事なんて…………もうどうでもいい。



 ____________________


 由莉から逃げ出すように階段を駆け上がるえりか。そして、その身に起きつづけている異変が心を少しずつむしばんでいた。


(なんなの……?わたしは……誰なの?ゆりちゃんに勝ったのは……わたしじゃない。あれは……きっと『本当のわたし』なのに…………っ)


 えりかは地下に通じる扉を思いっきり閉じるとその扉にもたれこむようにしゃがみ込んだ。


 えりかの疑問は確信に変わっていた。

 ___自分の今は本当は存在することのない性格だってことも何となく分かる。本当の自分は……今も眠り続けている。いつそれが目覚めるか分からない。もし……その時、



 本当にわたしの記憶が消えちゃったら……っ



 怖い。おかしくなりそうなくらい怖い。どうすればいいのかわたしにも分からない……ゆりちゃんとの記憶が消えるのなんて……嫌なのに……っ。


 いずれ来てしまう『今の自分』と由莉との別れ。それがえりかには何よりも怖かった。自分の来ているジャージの胸の部分を思いっきり握りしめ、そんな怖さを掻き消そうとうずくまった。



…………えりかを傷つけ自分を激しく攻める由莉

…………由莉との記憶が消えることが怖いえりか



 二人を繋ぐ、その要になったのは___またしてもあの人だった。

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