由莉の心配は杞憂でした

 阿久津の車はスピード制限ギリギリで家まで走っていた。事は一刻を争う、と由莉は動揺を隠しきれなかった。



(熱中症で意識がない……どうしよう……っ、水分も取らせてあげられないしこのままじゃ……!)



 熱中症でここまでくるともう命の灯火が消えてもおかしくない危険な状態だった。由莉はその事を知っていたから尚更顔を真っ青にしていた。嫌だ……目の前で死んじゃうなんて……もう……っ!



 ………『もう』?



 ……ううん、余計な事を考えるのは後でだって出来るから……!それよりも___っ



「阿久津さん……どうすればいいですか……?水も飲ませてあげられないしこのままじゃ……!」



 由莉はどうする事も出来ず弱々しい声で阿久津に助けを求めた。すると_____





「その子なら、もう大丈夫ですよ」






 ……えっ?聞き間違い……だよね……?この状態が『大丈夫』……?



「何でですか……?この子意識がなくて……」



「確かに意識は失っていますしかなり弱っています。だけど、すぐに命の危険という訳ではないですよ」



 ますます訳が分からなくなった。だって……熱中症で意識不明なんてもう……っ!



「だって……!この子……熱中症で……」



 すると、阿久津は「あぁ……そういう事だったんですね」と何かを分かったらしく頷くと落ち着いた声で一つの事実を由莉に伝えた。



「その子は熱中症には『まだ』かかっていませんよ?気を失っているのは__その直前に標的だったやつから殴られたのでしょう」



「えっ……?でも……この子、さっきまですっごく熱かったですよ?」



「けど、今はかなり熱も引いてきたでしょう?うまく熱が発散できている証拠ですから、あとは安静にしていればいずれ目を覚ますと思いますよ」



 唖然と聞いていた由莉だったが、ようやく理解が追いつくと、こと切れたように背もたれにもたれかかった。



(この子、助かるんだよ……ね?良かった……本当に……良かったぁ……っ)



 ようやく訪れた安堵と共にまた涙が溢れてきた。この約3ヶ月の間に一生分の涙が出てきたのじゃないかと思いつつ、とにかくこの子が助かる事の喜びをひたすらに噛みしめた。

 阿久津は運転中だったから後ろにいる由莉の様子は分からなかったが、鼻をすすっている音が微かに聞こえてきていた。誰かのためにこれ程の涙を零せるのは本当に由莉さんが優しい人だからなんだろうと思いつつ、由莉にもう一つだけある事を伝えた。



「由莉さんは……自分の力でその子を助けられなくて悔しかった。そう思っていますね?」



「…………はい」



「それは違います。間違いなくその子の命は由莉さん、あなたによって助けられました」



「えっ………?」



「まず、由莉さんが通り過ぎたワゴン車への違和感を持ったこと、これを聞かされてなければ私は違うルートで逃げる予定でした。……それに、ここまで由莉さんが必死にならなかったらやってませんよ、こんなこと」



 少し阿久津は笑うと由莉には見えなかったが感慨深い表情をもらしていた。



「それにですね……その子を連れ出すのがあと10分遅れていたら危なかったんです。由莉さんの言う通り熱中症を発症していました。そうなっていたら弱っているこの子には恐らく耐えられなかったでしょうね……。念の為に急いで冷房を強くして少しでも体温を下げようとしましたけどね。だから由莉さん、自分に自信を持ってください。自分の手で誰かを守ることが出来たことに」



「………っ、はいっ」



 由莉は涙を零すのをぐっと堪えるともう一度その子の事をよく見た。自分より同じくらいの歳っぽく、髪の毛が自分以上に茶色くとっても綺麗だった。長い間髪を切ってなかったからか無造作に髪が伸びていた。でも、間違いなく……可愛い。



(この子が起きたら……一緒に色々と話したいなぁ……その後は……うん、その時決めようかな……)



 どんな声なんだろう、どんな話し方なんだろう、どんな性格なんだろう。そんな事を思いながら由莉はシートにもたれると幸せそうな表情で眠りについた。

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