由莉と『その子』
「んにゃ……?寝ちゃってた……」
由莉が目を覚ました時には既に家が見えている所まで来ていた。膝に重みを感じ下を見るとその子はまだ気を失ったまま由莉の膝に顔を乗せていたが、体の火照りはすっかり消え、少しばかりか呼吸が元に戻っていた。
(よかった……本当に……でも、マスターに何か言われちゃうかもしれないかな……自分勝手な行動しちゃったし……)
急に気分が沈んだような気がした。それが悪いことだったかと言われると一切そうは思わない。おかげでこの子を助けることが出来たんだから……。
由莉は車が家に着くとその子を阿久津にお願いしてマスターの元へと向かおうと玄関を開けた。すると、家の玄関から入ったところに阿久津から帰りを聞いていたのだろうか、丁度マスターが立っていた。
「マスター……」
「……由莉」
少し気まずい雰囲気が辺りを漂っていた。なんて話しかければいいんだろう……
話を切り出したのはマスターからだった。
「あの___」
「由莉、まずは依頼の完了よくやったな」
「……はいっ、ありがとうございます」
褒められたのは由莉も嬉しかったが若干歯切れが悪くなってしまった。
「それと……分かっているな?」
「はい……自分勝手な行動をしたのは……分かってます。だけど………っ!」
ここはマスターとは言え譲るつもりは由莉には毛頭なかった。
「はぁ……由莉、次からは危ない真似はよせ。今回は敵の応援もなく上手くいったかもしれないがそういかない事だってあるんだ。自分の身は第一に考えろ。いいな?」
「すみません……」
マスターの言うことは正しかった。もし、敵がもっといれば私は死んでいたかもしれない。分かっていたけど……それでも……
由莉は自分の手を強く握った。
「けど、あの子をどうしても助けたかったんです……見捨てるなんてそんな事……できませんでした……っ!」
それだけは曲げるわけにはいかなかった。するとマスターが由莉に手を伸ばしてきた。こんな身勝手なことをしたんだから平手打ちの1回、2回なら黙って受け入れよう。そう思い、由莉は目をつぶって頬への衝撃に構えた。
しかし___感じたのは強烈な頬への平手ではなく、あのいつものような優しく頭を撫でる手だった。
「……もういい、由莉。今回は無事に帰ってきたのだからそれでいい。それに、自分の手で守った子なんだろう?それなら責任を持って由莉が面倒を見てやるんだ。分かったな?」
「っ、はい!ありがとうございます、マスター!」
やっぱり、マスターは優しい。本当ならこんな身勝手なことをしたから顔の一発くらい殴られても文句なんて言えないと少し覚悟はしていた。けど、マスターはそれをせず、更にはあの子の面倒を私に見させてくれる事を許した、つまり__ここにいさせてもいいと言ってくれた。それが何より嬉しかった。
由莉の爛漫な笑顔を見てマスターは肩を竦めた。本当なら怒ろうと思っていた。身勝手はいずれ命とりになる。そして何より危険だからだ。だが……由莉はそれを重々分かっていた。それでも、とそれを破ってでも助けてやりたかったんだろう。それなら由莉にこれ以上言う必要はない、そう判断した。
「さて、私はそろそろ仕事に戻る。その子は由莉の部屋に寝かせてもいいか?」
「もちろんです!」
「だそうだ、阿久津」
振り向くと阿久津がその子を抱きかかえて側まで近づいてきていた。
「分かりました、そのように」
マスターはその子の顔や手足の傷を見て少しだけ驚いたような表情をしていた。
「傷が酷いな……由莉の部屋に連れていったら手当てしてやりなさい。放っておけば細胞が壊死する可能性がある」
「はい。……では由莉さん、行きましょう」
「は、はい!」
由莉は元気に返事をするとスタスタと阿久津のあとをついて行った。その様子をマスターは見届けたが、角に隠れ見えなくなった瞬間少し迷う素振りを見せた。
(あの子……どこかであった顔と似ている気がするのだが……気のせいか)
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由莉の部屋に入り、由莉のベットの右側に阿久津はその子を乗せた。すると阿久津は急いでどこかに行くと消毒液や氷の入った袋などを持って戻ってきた。
「この青あざは……多分まだ出来て間もないですね。とりあえず患部を冷やして次の日は温めてください、その間、少しだけ患部の周りをマッサージしてあげると少しは良くなると思います」
「分かりました!」
阿久津は素早い手つきで体中の傷の手当をした。擦り傷には消毒液を吹きかけてガーゼでばい菌が入らないようにし、炎症は氷袋をタオルに包んでそこら中の炎症部分に置いた。
「すごい……」
「戦場の手当も腐るほどやって来ましたからね。これくらいは出来て当然ですよ」
何気なくやっているがその流れるような阿久津の対処に由莉は本当に尊敬の念しかなかった。
わずか10分足らずで阿久津は手当を終えると消毒液などを持ってきた箱の中に丁寧にいれた。
「これで、今日は様子を見ますかね。これだけの傷、全部消せるか分かりませんが出来る限りを尽くしましょう」
「阿久津さん、ありがとうございます!本当に……っ、阿久津さんがいなかったら例え、この子を見つける事が出来ても……助けることが出来なかったと思います」
由莉は阿久津に改めて感謝の言葉を述べた。何を言っても足りないくらいに阿久津の存在が大きかった。
「本当に由莉さんは仕方がないですね。でも、しっかり受け取っておきますね。……それでは私もそろそろ出ますね。色々と報告などもありますし」
阿久津は由莉とおやすみの挨拶を交わすと静かに部屋を出ていった。すると、静かな空間には由莉のその子の呼吸の音しか聞こえなくなった。すると、途端に眠気が襲ってきたから由莉はそのままベットの左側から入ると寝ることにした。
(おやすみ……早く目が覚めてくれると嬉しいなぁ……)
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それから2日、由莉は未だに目覚めないその子を心配しながらもいつも通り、トレーニングと狙撃の練習をしていた。
その夕方、汗びっしょりになった由莉はヘトヘトになりながら自分の部屋へと戻った。
「うーん!疲れたぁ〜___っ!?」
するといつもなら目を覚まさずただベットに寝ていたその子が___
上半身を起こして窓の外を見ていた。
由莉は我を忘れるように駆け出すとその子の目の前まで行った。瞳も僅かながら開いていた。少し暗めの茶色の瞳と髪の色と瞳の色が由莉と真逆だった。
目が覚めたよ……この子、目が覚めた……!
由莉は涙をボロボロ零しその子に抱きついた。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。もう離したくないくらいだった。
「もう大丈夫?痛い所はない?」
「あなたは……だれ……?」
「私は大羽由莉だよ、よろしくね!」
「ここは__どこ?」
「マスターの家だよ。あなたがそこら中に傷を受けて車の中に放置されていたから助けたんだよ」
「____」
その子はすぐに黙り込んでしまった。すごく……哀しいような表情をしていた。
「どうしたの……?」
「わから……ない。何も……思い……出せない」
「えっ…………!?」
由莉はまさかと思いながら一つだけ質問をした。だが、帰ってきた答えで由莉はこの子の状態を理解することになったのだった。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「わからない……わたしは…………だれ?」
_________________
第3章~完~
次回 第4章 二人で
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