由莉は謝りました

 暫くして頭の痛みは収まった。が、心はもう憔悴しきっていた。罪もないうさぎを撃ち殺したこと、知らない自分の記憶、懐かしい声、知らない女の子……そして『血』。

 全てを受け止めるにはあまりにも重すぎた。それは体にも出ていた。冷や汗がダラダラと出て、呼吸のリズムも既に狂っている。

 そんなボロボロの状態でも……自分がどうしたいのか分からなくても……今はとにかくマスターに謝りたかった。自分のことをいつも思ってくれたマスターに……酷いことを言ってごめんなさいと___



「行かなきゃ……あそこへ……もう時間過ぎちゃってる……」



 由莉はフラフラと立ち上がるとクローゼットの中にある服に着替えた。動きやすい服装がいいだろうと通気性のいい素材で作られたものをマスターが揃えてくれたのだ。



「こんな風じゃダメだよね……もう大丈夫だって所、マスターに見せなきゃ……また心配かけちゃう……」



 ボロボロの心を辛うじて繋ぎとめていたのはマスターへの思い、ただそれだけだった。早く行かなきゃと、由莉は重い体を引きずって部屋を後にした。



 ___________________




 地下の射撃場にいるマスターは時間になっても来ない由莉に焦りを感じていた。やはりショックで来れないんじゃないかと、自分のことが嫌いになったんじゃないかと。

 いてもたってもいられなくなったマスターは由莉の様子を見に行こうとしたその時、階段を降りてくる音が聞こえた。音は明らかに阿久津のものではないことからすぐに由莉だと分かった。だが、階段を降りる音でマスターは確かな違和感を感じていた。

 いつもの由莉ならトトトトっとかなり早いペースで降りてくるのに今日だけはドン……ドン……とまるで身体を引きずっているような遅いペース、重い音だったのだ。

 そして、由莉の姿が見え、目があった瞬間__あぁ、やってしまった。とマスターは自分の判断を悔やんだ。

__目はほぼ虚ろで顔の血の気も薄い。身体も限界なのか今にも倒れてしまいそうなくらいフラフラしていた。

 もうマスターは見ていられなかった。由莉の元へ一直線に駆け寄るとそのまま由莉を抱きしめた。



「マ……スター……」



「由莉……なんでそんなボロボロの状態で来たんだ……!」



 マスターが尋ねると由莉は大粒の涙を流しながらマスターに自分の思いを言った。



「だって……私……私、昨日、マスターに……酷いことを言っちゃって……マスターは……いつも私のために動いてたのに……もう嫌われたんじゃないかと……怖くて怖くて……っ」



 由莉の言葉を聞いてるうちにマスターは自分の目から一筋の涙がこぼれていることに気がついた。泣くなんて何年してこなかっただろうな……。

 そんなマスターが涙を流したのは由莉を歌鈴と影を重ねたとかでなく、由莉のあまりにも純粋なマスターへの気持ちからだった。



「由莉……そんな事はない……私は由莉のことを嫌いになる事は決してない……そう約束する」



「マスター……ますたぁ……うっ、ううぅ……」



 由莉にとってその言葉は救いそのものだった。もう、その言葉以外もう何もいらない。そうとまで思えた。



「由莉……今日は休め。そんな身体では……」



「マスター、気分も良くなりましたし……大丈夫ですよ。少しくらいなら……出来ます」



 確かに由莉の顔には血の気が戻り呼吸も安定している……まだ身体はよくないみたいではあるが。



「だが……」



「やらせてください、マスター……だめ……ですか?」



 なおも粘る由莉の願いを断り切れなかったマスターは何発かだけ撃つことを許したのだった。



(何もなければいいんだが……)



 由莉がバレットの元へ向かう姿を見てそれだけを願うばかりだった。








 しかし、マスターはその判断が失敗だったと気づくのに時間はかからなかった。



 地獄はまだ終わったわけではなかったのだ___

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