マスターは過去を語りました
うさぎを撃ち殺した後、由莉がおぼつかない足取りで練習場を去る様子をマスターはただ見ていることしか出来なかった。
「はぁ……」
マスターはコンクリートの天井を見上げていると由莉とほぼ入れ代わり立ち代わりで阿久津が入ってきた。
「マスター、やはり由莉さんにはまだ早すぎた気がします」
「かも……しれないな」
「 「…………」 」
双方にも色々と思うところがあった。時期を焦りすぎたと後悔するマスター。すれ違いざまに虚ろな目で涙をこぼしていた由莉を見てマスターのしたことが正しかったのか分からなくなった阿久津。二人の間には気まずい雰囲気が漂いしばらくの間、沈黙が空間を支配した。
「……あの、マスター。ひとつ聞いてもいいですか」
「どうした?」
阿久津は一度深呼吸すると少し違和感を感じていた事をマスターに聞いた。
「マスターって……由莉さんに何か思うところがあるんじゃないですか?」
「…………」
「図星……ですね。マスターが由莉さんの実力を認めているのは分かっていますし、実際に彼女の成長速度、才能は……はっきり言うと異常です。けど、そうは言ってもマスターにしては急ぎすぎてる気がしますよ?」
「……そうかもな」
マスターは認めるしかなかった。阿久津の言うことは正しい。そして、その理由は___
「マスターらしくないですね。何かあったんですか?」
マスターは軽く息を漏らすと阿久津にその理由にもなる、ある事をポツリポツリと話し始めた。
「……13年前の話だ」
「13年前……私がマスターに出会ったのが11年前ですからその2年前ですね」
「そうだな……その頃は普通に仕事しながら裏で殺し屋家業をしていた。そして……妻と娘が1人いた」
「えっ、マスターに妻と子供いたんですか!?」
衝撃の事実に阿久津は目を見開き、同時に少し羨ましくも思ってしまった。
「話を逸らそうとするな、阿久津。……まぁ、2人にはこの事は隠していたよ。引け目を感じない訳ではなかったが……知らない方が妻たちも幸せだろうと思った」
マスターは少し目を閉じると再び息を吐く。そして、哀愁篭った声で過去について話し始めた。
「妻はな……優しい人だったよ。綺麗で気前も良くて……そんな彼女に私は一目惚れした。プロポーズも私からだった」
「マスターって結構ロマンチストだったんですね」
「……阿久津、次変なこと口走ったらその口縫い付けるからな」
「はい、すみませんでした」
マスターの口調が本気なのを察した阿久津はもう黙ろうと心に決めたのだった。
「……彼女は快く了承してくれた。結婚式は……お互いの事情で二人でやった。それでも、あんなに幸せな時間を過ごしたのはもう後も先もあの1度だけだろうな。……それからすぐに子供も出来た。これが17年前のことだ。女の子だったから名前は歌鈴(かりん)と名付けた。それはもう活発な子でな……いつも笑顔が絶えない子だった。私は家にいない時も多かったが、家族でいる時間は幸せそのものだった……しかし、それも長くは続かなかった」
マスターの顔は次第に険しくなっていき、その13年前の事について語り出した。
「その4年後……ある事件で仲間を2人失った……それと同時に海外の組織から自分の周りを嗅ぎ回られていることを……知った」
あまり思い出したくない事だったからなのか、簡潔に話すとマスターは苦虫を噛み潰すような表情を浮かべ手は血が出そうなくらい強く握っていた。
「私だけならまだいい……しかし、妻と歌鈴にまで被害が及ぶのかと思うと私には……耐えられなかった……っ!だから私は二人から離れる事にした……そのまま海外で事故にあって亡くなったという事にして……」
阿久津はここまで苦しそうなマスターを初めて見た。顔からは汗が吹き出し、微かに震えているのも分かった。
「身のよじれる思いだった……妻や歌鈴の事を思うと毎日毎日苦しくてどうにかなりそうだった。けどな、何よりも苦しかったのは……己の力で愛する家族2人すら守れずただ突き放す事しか出来なかった自分の無力さだ……!」
マスターは自分に対する苛立ちを声に込めて手を痙攣しながらは空を仰いだ。
「だからな……私はもう二度と大切な人を無くさないようにと心に誓ったんだ」
「そういう……事だったんですね」
阿久津はマスターの話を聞いて納得が行く部分は多かった。仲間を何よりも大切にする理由も、裏切りに対して誰よりも厳しい理由も。
しかし、まだ核心には至ってはいなかった。
「でも、由莉さんをあそこまでやる理由がまだ……分かりません」
「……似ている気がしたんだ。あの子……歌鈴に」
「…………」
阿久津は声が出なかった。あぁ、そういうことかと。
「分かっている。由莉は一人っ子だと言っていた。その言葉に嘘はなかった。由莉を歌鈴に重ねてはいけないのも分かっている。だがな、由莉が笑った時は特にあの子にとても似てるんだ。……自分の中では妻や歌鈴に対するせめてもの罪滅ぼしのつもりなんだろうな……きっと。だから由莉には少しでも早く自分で自分の身を守れるようにと躍起になっていたのかもしれん……」
マスターは自虐的に笑うと階段の方へと向かっていった。阿久津もそれについていった。
「私はな……今もあの判断が正しかったのかどうか分からないんだよ」
「私も……聞いてて正しいのか分かりませんでした。けど、一つ言えると思うのは」
突如、阿久津の足音が聞こえなくなりマスターが何事かと後ろを振り返ると阿久津はマスターに対して頭を深く下げていた。
「何もなかったこんな私を拾い、生きる事を教えてくれたのは間違いなくマスター、あなたです。」
「よせ、阿久津。お前自身の意思があったから今のお前があるんだ」
「ふふ……謙虚な所も似ていますね……」
「ん?何か言ったか?」
「いえ、何も?……由莉さんにもいつかその言葉、かけてあげてくださいね」
「あぁ、そうだな……由莉……ここを耐えきれないときっとこれからやっていけない……頑張れよ……」
思わず心の思いをダダ漏れにしているマスターに阿久津は少し顔を緩めつつもいつも大切な人の事を思い続けるマスターはやっぱりマスターだと安心するのであった。
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