黒鱸さん
尚が振り向くと、岸の向こう側にまた別の誰かが立っていた。
長いウエーブのかかった黒髪、切れ長の瞳にシルバーブルーに輝くマニキュア、オフショルダーで胸元がふんわりとしたレースの薄いパープル色のトップスにダークグレーのジーンズ生地のショートスカートが眩しいイケイケな感じの女性だった。
「黒鱸!!」
「私の名はヤーミよ」
ヤーミを睨んだ優実は跳びずさって尚から離れた。
「ここはあたしのテリトリーよ。勝手に入って来るんじゃないわ。鱸は鱸らしく、海にいなさい!!」
「黙りなさいよ!お前こそヨソ者のくせに!!」
「言ったわね、只じゃおかないわ‥‥だけど、そいつを譲ってくれたら何もしない」
「何言ってんの!私のものよ!!」
突如、湖の湖畔が波打ったかと思うと、優実とヤーミは同時に尚に向かって突進してきた。
「うゎぁああ夢なら覚めて!!僕はエサじゃ無い!!!」
殺される!!と思った瞬間、尚は小魚の如く逃げた。空中を踊るように駈ける水と共に執拗に追って来る優実とヤーミは湖畔沿いの岸を滑らかに泳ぐ人魚の如く突進してきたが、その時二人は、別の方向から何かを察知した。
上空から先端に何かが光る糸が二人の鱸目がけて飛んできて、彼女達はかろうじてそれを避けた。
「お前は!!」
遠くから糸をたぐりながら歩いてやってきたのは、金髪のショートカットに所々、赤のメッシュが入ったヘアスタイルの若いイケメンの男だった。白いシャツの下にくすんだ虎柄をモチーフにしたウェットスーツ、手には糸を垂らしたキャプテン・フックの鍵のように大きい銀の釣り針を持って違和感のある姿だった。
彼の視線は二人の鱸だった。
「やあ。僕はマット」
優しい笑みを浮かべるマットに優実もヤーミも何故か魅了され、釘付けだった。
「さっきから見ていたけど、不甲斐ない男だねえ。ナンデ?ナンデもっと強く行かないの?俺だったらそんな事はしない!ちゃんと攻めるだろ!!!」
マットは尚に責め立てるように捲し立てると、優実とヤーミに向けて優しく言った。
「お嬢さん方、そんなちっちゃい奴放っといてさ、僕と相手してよ」
ヤーミは呟いた。
「確かに、あっちの方が美味しそう」
ヤーミはきっ、と方向転換してマットの方に駈けだすと、はっと何かに気付いた優実は叫んだ。
「違う、あれは、偽物よ!!」
優実の声はヤーミには聞こえず、マットに向かって突進する。
大きな湖畔の水が大きくはねる。マットが水流の中で本物さながらの魚のように映し出されると、ヤーミの体は海上を蹴って一回転しながら宙に舞った。
ばしゃっ!!と飛沫があがるとヤーミの姿は一瞬消え、その途端、マットの目の前に、水しぶきの中からヤーミが踊り出た。
「行くよ!!」
ヤーミが喰らい付くようにマットに飛びかかった瞬間、マット手のあたりが煌めくと、投げた糸の先端に付いていた大きな銀の針が突如ヤーミを襲った。
「あぁっ!!」
ヤーミはマットの足下で倒れ、尚はその時ふと思った。
『僕が小魚で鱸(シーバス)、黒鱸(ブラックバス)、そして彼が、疑似餌(ルアー)なのか』
糸と針を引き上げながら足下のヤーミを見下ろしたマットは、今度は優実の方に視線を向けた。
「次はお前の番だ!!」
マットは優実目がけて糸を放つと、優実の周りを水が身を覆った。マットはその水の壁から海流の中に泳ぐ影を見つけ、一気に銀の針を振り投げた。
「やった!百メートルオーバーだ!!」
確かな手応えを感じたマットはにやっと笑って力任せに針を引こうとした。だが、そのまま彼の体はどんどん水の方へ引っぱられていった。
「このまま水の底に沈みたくなかったら離せ!!」
叫んだのは尚だった。海流の中で優実の目の前に立った尚は、マットの大きな銀の針を持った流木で根がかりさせると引っ張り底に落とした。糸が絡まって水の中で身動き出来なくし、水流の中で気絶しそうになっているマットを尻目に優実とヤーミを連れて全力で逃げた。
「怪我をしてる」
釣り竿を片付けながら尚はそう言い、優実はヤーミを手当しながら呟いた。
「小坂くん、二度も助けてくれたね」
「大体きみたち、どうしてここに来たの」
「最初にあなたに捕まった時‥‥仕返しするつもりだったの。でも、此処にきてこんな姿になったら、もしかしたらエサ?とか思っちゃって」
「私は、最初からあんたが美味しそうだったから」
「でも、もう一つ‥‥私を見ていたあなたに会いたくなった」
尚は優実とヤーミににこっと微笑むと立ち上がった。
「水に戻りな。君は外来種だけど‥‥内緒にするよ。じゃ、僕は帰るから‥‥二度と戻って来るんじゃないよ」
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