すずきさんと黒すずきさん
嬌乃湾子
すずきさん現れる
小坂尚は中学二年生。今日は日曜日で近くの湖に釣りに来ていた。わりと大きな湖で、この時は自分一人しかいない。キラキラと波が穏やかに揺れる湖に釣り糸を垂らしながらリールを巻き、それを繰り返しながらぼーっと眺めていると、突如釣り竿が大きく撓った。
「来た!」
やった!という表情で尚は釣り竿をぐん、と引いた。湖面の遠くから張る釣り糸を魚がばれないようにリールを巻き何度も竿をしゃくると、どんどん湖面を浮かぶ糸と共に何かが浮かび上がる。それが足下に辿り着いてばしゃばしゃと音を立てながら魚が姿を現した。
「やった!鱸だ」
小さめだけど目がくりっとした丸鱸は銀色の鱗が綺麗だった。尚はひっかかった針を外しながらしばらくその魚を見とれていたが、水の中に魚を浮かべてそのまま逃がすと魚は水の中に消えていった。
尚が再び釣り竿を振ったがしばらくは何も釣れなかった。場所を変えようかな?と思ったその後の事である。突如海面が音を立ててはねると、湖畔の向こう側の岸辺に一人の女の子が立っていた。
「!?」
目の前の少女は自分と同じ位の年齢で、黒髪のショートカットが僅かに風に揺れている。淡いセピア色の制服に空を映したような水色のリボンとスカートという姿。
突然誰かが此処にやってきたのかと思ってすぐ視線をそらそうとしたが、大きく丸い瞳で見つめられて思わず目を合わせた。
「こんにちは」
「だ、誰?」
「きみと、ついさっき会ったよね」
「いえ‥‥初めてだけど」
「すずきです」
尚は頭の中を必死で探っていた。すずき、鈴木?‥‥さっき会った。と、いえば‥‥
「鱸」
「そう。名前は優実(うみ)」
優実は尚を見つめながらこっちへやって来る。
「すずきさん‥‥僕に何か」
「ところで、あなたの名前は?」
「小坂尚」
「そう!その名!」
優実は突然尚に近づいて、かがみながら顔を見上げた。
「ね、また私と勝負しない?」
「え?きみと?」
「さっきは負けたけど、私が勝ったら、私のえさになってよ」
「‥‥餌!?一体なにを言うんだ」
「私、鱸だけど‥‥あなたは人間、ううん、でも問題無い。わたしがこんな姿になったんだから、あなたは私の世界に戻ればえさになれるのよ」
「‥‥‥違うと思います。それに、魚だったらいいけど君みたいなのと勝負なんて」
「違わないよ。こ・ざ・か・なお、さん」
笑みを浮かべていた優実を見て、尚は夢を見ているのかと思った。現実逃避にふける為に釣りに来ていたので、とうとうこんな妄想を描くようになってしまったのか‥‥
その時はまだぼーっとした目で目の前の少女を見つめていたが、夢なら夢で開き直る事を思いついた。
「じゃあ、勝負しよう。僕が勝ったら僕の言う事を聞いてよ」
「やった!」
優実が立ち上がると、尚は突如優実の手を掴んだ。
「捕まえたよ。僕の勝ちね」
「違う!それは無しよ!」
「さっき僕に捕まったっていうのなら、ケガしてるでしょ」
尚はまじまじと見つめながら優実の口元を覗いた。やっぱり怪我してる。と尚は優実の唇のしたの方に持っていた軟膏を塗り付けた。
「これ、怪我にきくんだよ。じゃ、そこでおとなしくしてね」
優実は急に全身が熱くなり動悸を感じると、振切るように尚を突き飛ばして後方に跳びずさった。
「嫌!!」
「ごめん、悪気はないんだ」
尚はまさか自分が不審者にされるのかと焦って弁解しようとしたが、優実は尚を睨んで叫んだ。
「鱸をなめないでよ!」
優実の体は湖畔の水を巻き上げ身をまとうように覆うと、尚を見るなり、それを生き物のように放った。
「うわっ!!やめろ!!」
「いただき!!!」
びしゃびしゃになった尚に優実はうねる波と共に突進したその時、さらに大きな飛沫が湖面を覆った。
「お前は!!」
優実の目線が鋭く変わり、尚の顔を逸れて睨んだ。
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