剣術小町さんの場合


「お願いします」


 少し離れた所からまたか、と聞こえるが気にしない。

 作法に則り、構える。


「ヤーっ!」


 勢いよく、真っ向勝負で斬りかかる。

 ヤツに小手先は通じないからだ。

 ばしっと竹刀と竹刀が弾ける。

 受け止められた瞬間に急いでその場を離れ、間合いをとる。

 続けて打ち込む。

 相手に反撃されないように矢継ぎ早に。

 ヤツはそれを挑発するかの如く、いとも簡単に受け流してくる。

 面越しでもわかる、ヤツの涼しげな表情かおが。

 二年違うだけでこんなにも違うのか、自分が弱いだけなのか。

 ぎりりと奥歯がなった。

 無意識に食い縛っていたらしい。


 今日こそは、る。


          ○


「あーもう、まーたこんなになるまでやって」


 苦い顔をしながら、弥生やよいの小言を聞き流す。


「それはたまたまけそびれてできたものだから」


 何て事はない、と言うと弥生は赤く走る蚯蚓腫みみずばれに湿布を張りながらまだぐだぐだと言っている。


涼香すずかは女の子なんだからもっと自分の体をいたわりなさい」

「わかった」

「絶対わかってない。前も同じこと言ってたよ、なのに治らなかったし」


 ならいっそ諦めてくれ、と喉元までり上がった言葉をぎろりと般若も真っ青になりそうな程に睨まれ、無理矢理飲み込む。


「ていうかいつまでこれをするつもりなのよ」


 毎日同じ質問をしてよく飽きないな、と思う。

 いろんな人から同じことをおよそ、四年間、言われている。返事などあの屈辱の日より決まっている。


「無論、るまで」


          ○

 私は小六という中途半端な時期に今の家に引っ越してきた。母方の祖母が体調を崩し、母さんが面倒を見る為で、その上、丁度兄さんが高校に上がるということもあっての事だった。

 兄さんが剣道をしていた事もあり、とても身近なもので私も幼い頃から兄さんの通っていた道場で教えてもらっていた。

 私はすぐに才能が開花させていき、瞬く間に道場の他の子より強くなっていった。ただ、年齢的な関係もあり、昇級、昇段試験はあまり受けれなかったが。

 もともと喘息持ちで弱かった身体も剣道をしていくうちにましになった。

 教わり始めた頃は全然だったがそのうち、誰からも一本も取らせなくなった。

 それに比例するように一度でも剣を受けたら、それ即ち、死と同義と思うようになっていった。

 年齢が上がるにつれ、沢山の事を知るようになった。武士はもういなくなってしまったが私は武士よりも武士らしい高潔なる魂でいたかった。

 だから、涙を溢すこともなかった。

 質実剛健、常に冷静であれ、誠であれ。

 確かにあの日までの私は。


 忘れもしない三月の一番心地よい気温の日。

 引っ越しの片付けも終わり、引っ越しの挨拶をして回った最後の家だった。そこは今ではそうそうなくなってしまった道場を家業としてた。

 母さんとその家の奥さんは似た者同士らしくすぐ意気投合し、招き入れてくれた。

 兄さんは高校に上がる前の宿題に追われていて挨拶どころでなかった為に私一人。

 女三人寄れば姦しい、とはよく言ったものだがあれは間違いだと思う。女の人というのは二人だけでも集まったら姦しい、というか話の終着点がなくなる。

 小一時間ほど隣で話を聞いてそろそろ限界への挑戦になった頃、ヤツが姿を現した。

 ここの長男でこの頃から四年後、師範代を務めることになるヤツ、河上かわかみはじめ

 初めて名前を聞いた時はズルいと思った記憶がある。

 名字は仕方ないとしてもこの“一”という名前は新撰組で無敵の剣と称された斎藤さんと同じだ。私が一番憧れているのは沖田総司さんだからまだいいと言えばいい。

 ともかく、母さんたちはこれ幸いと私に道場に行ってくればいいわ、といいまた話しを再開した。

 私も長話には飽き飽きしてたところだったから丁度よく着いていった。

 道着も何もなかったので竹刀を借りて練習試合をしている片隅で素振りをしていた。

 今思えばあれが悲劇の始まりだった。


「何か」


 すぐ隣で気配を感じ、素振りを続けたまま聞いた。


「いや、上手いなぁと思って。涼香ちゃんだったよね、うちのやつらと一つ、やってみない?」


 先にも言っていたように今まで負け知らずだった。それこそ年上にだって勝っていた。

 もともと通っていた道場の先生には二回に一度だけだったけども。けれども、同年代なら男子も女子も関係なく勝てた。

 この日も同じだった。

 向かってくる相手に一本も取らせずに勝っていた。


「俺ともやってくれる?」


 私は大きく頷いた。

 久しぶりに試合をして楽しかったのもあったのかもしれない。

 おごっていたのもあったのかもしれない。

 油断していたのかもしれない。

 全てはかもしれない。

 だがあの日、確かに私は負けた。

 あまりにも美しい太刀筋だった。

 そして今までに見た事の無い程、真っ直ぐな光の宿った瞳だった。

 思わず見惚れてしまうほどに美しく、魅せられた。

 私は暫く、その状況が飲み込めなかった。だが、段々と理解していくにつれ、腹の奥から何かが沸々と沸き上がり、目頭が熱くなる。

 この気持ちが悔しさだと気づくのにもう少しかかる。

 どんなに心の中がぐちゃぐちゃでめちゃくちゃでもあの太刀筋は美しいと認めている自分もいた。ただ確かに言えるのはこのまま、負けたままというのは絶対に嫌だという事だった。


 必ず、殺る。


 そう決めたのだった。

          ○

 最終下校は七時。

 いつもぎりぎりまで残って素振りや相手を想定した練習をする。流石にこの時間までやっている人はいない。

 最初は勝ちたくて練習量を増やした。

 敵情視察じゃないがいろんな人に話を聞いたりした。

 そこで誰よりも努力をしていることを知った。

 そこで気持ちが変わった。

 私を負かした敵ではなく、尊敬に値する人だというように。

 弥生が私の事を天の邪鬼だと言った。


“素直に教えを乞えばいいのに。きっと先輩は優しいから教えてくれるよ。”


 確かにそうだろうけど剣を交える事でしか分からない事だってあると思う。


“本当は好きなんじゃないの?”


 私は憧れなのだと言ったが本当の所はどうなのだろうか。

 自分でも解からない。

 昔は何も考えずにぶつかっていけた。なのに、今はどうだ。

 余計な事で頭が埋まっていく。

 らしくない。

 それも分かっている。


「ぶれてるよ」


 道場の入り口から声が聞こえた。

 素振りを止め、小さく高く結い上げた毛先を揺らすと黒の瞳に私の茶色が絡まる。


「河上、センパイ」


 ほらね。

 昔は河上って呼び捨てだったのに成長するに従って変わっていく。変えたくないとは思っていても変えなければならない。

 どんどんとしがらみが、鬱陶しい程に違う立場が私を天の邪鬼にする。


「時間」


 そう言われてようやく気づいた。

 三十分前だ。


「すいませんでした。すぐ片付けます」


 この部の部長でもあるセンパイは施錠もしなくてはいけない。ついでだからと言って私を家まで送っていってくれるのが常となった。

 私は一人でも平気だと言ったのだが女の子なんだから、と弥生が言うような事を言われて気恥ずかしかったり、慣れない女子扱いに戸惑った。

 だが慣れとは恐ろしいもので今では一緒に帰らなければ違和感を感じるようになった。例えば試験一週間前から終わるまでとか。

 帰り道に全く関係のない事を話すのも常となっていた。


「センパイは好きな人はいますか」


さっきまで考えていたことを問い掛けてみる。

 突然の事でかごほごほとせている。

 それとも私の口からそんな言葉が出てきたのがそんなにも驚く事だったのか。

 これを聞いたら解決するんじゃないかと思ったのとただの興味だった。深い意味はない。


「突然何を言うかと思ったら恋バナか」


 苦笑い混じりにそう言うのは友達としたら?と言われて少しむっとしながら続けた。


「センパイはイケメンという部類に入っているそうじゃないですか」


 私はそういうのには疎いので分からないがそうらしい。周りの女子がきゃあきゃあ言っていた。


「クラスメイトもアナタを慕っているって人は何人もいますよ」


 何度もどこぞの誰々がセンパイを好きらしいといっているのを聞いたことがあるし、最悪の場合としては告白場面に遭遇、若しくは女子の修羅場に遭遇しかけたこともあった。あれには流石にぞっとした。

 家の近所まで来る頃には辺りは暗くなっている。今日は暗い空には黄金こがね色をした月はいない。


「いるよ」


 胸に違和感を覚える。

 少し遅くなった足に叱責をし、無理矢理歩み続ける。

 少しずつ距離が開く。


「どんな、人、なんですか」


 少し乾いた唇で言葉を探しながら聞く。

 うーん、そうだなあ、と空を見ながら指を折りながら数えるように言う。


「すっごい不器用で強がりで負けん気も強いじゃじゃ馬かな。でも、誰よりも真っ直ぐで自分の決めたルールを決して曲げる事なんてしない。そんな可愛らしいひとだよ」

「そう、ですか」


 もやもやとした黒い影が落ちる。

 今、漸く気づいた。

 こんな感情は無用の長物だと思っていた。

 それだけで心が掻き乱されてしまう。

 こんなあやふやな気持ちのままではぶつかっていくのさえ躊躇ためらわれる。

 人生とはそう簡単ではないらしい。

 たぶん、私は知っていたんだ。

 あの、瞳に魅入ってしまった時から。

 世界が歪んで見える。

 ああ、暗くて良かった。


 私が私でいられる。


「ここまで言って気づかない?」


 くるりと振り向いたセンパイはぎょっとしている。

 そりゃ、思っても見なかったであろう事態が起こっていたらそうなる。

 傷のついた何かにしょっぱさが滲みる。

 こんなつもりじゃなかった。


「あー、泣かないで。どうしたの?」


 困ったように訊かれる。


「何でも、ありません。それに、センパイには、関係無い事です」


 嘘。

 本当はセンパイの事です。

 いつもみたいに察して何も言わないで。

 誤魔化すように荒く頬を擦る。


「関係無い事は無いよ」


 普段何気無い時のような掴み所の無い瞳では無く、今、この瞬間の竹刀を握っている時の真っ直ぐとした射貫くような瞳が私は好きだった。


「好きなひとが泣いているのに関係無いってことはないでしょ」


          ○


「涼香っ、あんた、噂でだけど聞いたわよっ!何で親友の私に一言もないのよっ」


 はぁはぁと荒く息をしている所を見ると授業が終わって直ぐ、走って剣道場まで来たらしかった。

「弥生、しー」


 自分の唇に人差し指を当てるようにして静かにするように言う。

 するとばっと自分の口を押さえている。

 単純だな、と思いつつも続きを言われる前に胴着を着込む。

 何かぐだぐだと言っているようだが聞こえない振りをし、素振りを始める。いつの間にか沢山の人が練習を始めていた。


「お願いします」


 少し離れた所からまたか、という声が聞こえる。今日は別の声も聞こえてくるが気にしない。

 作法に則り、構える。

 いくら関係が変わろうとも私は私が決めた事を破るつもりはないし、変える必要もないだろう。

 だから、今日も全力でりにいく。

 私が惚れ込んだ太刀は、瞳は、ひとはこんなものでは殺らせてくれないのだから。



 天の邪鬼なじゃじゃ馬は恋をしては駄目なの?

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