読書好きさんの場合


 地味で陰キャ。


 あの頃の私を言い表すのにぴったりな言葉だと思う。今でも結構そうだと思うが6、7年前の私は今よりももっと目立たない存在だった。

 唯一、誰かに誇れるものと言えば成績ぐらい。ただし、数学を除き。

 数字の羅列を見れば目眩・吐き気・頭痛がしてしまうアレルギー症状。

 それさえなければ学年一位も夢じゃない。だって毎回毎回トップ十位以内に早川はやかわ小夜さよの名前がある。

 数学が他の教科と同じぐらい、とまでは言わなくても八十点後半なら確実に一位なのだ。


 友達は…まあ、いない。

 同じ中学校出身の親友は別の学校に進学したからここにはいない、という意味だ。決して一人ぼっちの寂しいやつ、と思わないこと。

 そこ、重要。

 クラスでは常に本を読んでいる堅物の静かなやつ、と思われていると思う。だって、クラスメイトと必要以外しゃべらないし。

 ちらりと聞こえた噂によると私の好きな人は二次元の人だそうだ。

 いや、確かにその人はかっこいいけど。あの信念を曲げないところとか最高だと思うけど。

 そこまで重症ではないはず。…たぶん。

 まあ、一度、休み時間に携帯で漫画が実写化をするとなったときは興奮しすぎて大きな声を上げてしまった。でもリアルとバーチャルの境界線は忘れていないし、見失ってもいない。

 その噂が流れたのが入学して一週間も経たないうちだった。で、人がもともと苦手だったのに輪をかけて苦手になった。

 人前にでるのも駄目。誰かと話すのも駄目。

 駄目、駄目、駄目。

 まさに駄目のオンパレード。

 けれども、そんな私にも転機は訪れる。


 いつもと変わらず放課後、図書館に行った一年生もそろそろ終わりの二月のこと。久しぶりに推理ものでも読むかな、と思いつつ棚を眺めていた。

 結構山の方にあるこの学校は二月にもなると雪がちらちらと降る。窓の外はあまりにも寒そうで顔を顰めた。

 まあ、図書館の中はぬくぬく快適なんだけども。

 あっ、面白そうなの見っけ。

 誰も触っていないのかよれよれになってはおらず、少しだけど埃を被っている。

 題名は『0』。

 粗筋はわからないが推理小説の棚にあるのでそうなのだろう。

 0って始まりとかを表すんだっけ。

 前に読んだ数字の神秘とかなんとかいう本の知識を引っ張り出す。

 この本はコンプレックスである低身長では届かない位置にある。高いところにある本をとる用の梯子は少し離れたところにある。

 梯子と本の間を二回ほど目で言ったり来たりをしてみる。その距離を確認する度にめんどくさがりの自分が取りに行くことを拒否する。

 一度トライしてみて諦めよう。

 ふぬー、と奮闘してみるが敢えなく撃沈。

 わかりきってたけども。どうせ私の身長じゃあ上から一番目なんて届きっこないことなんて。

 悔しがっている私を尻目にすっとその本が動いた。

 え、ポルターガイスト現象?

 その動いた先を見ると男子先輩がいた。

 先輩とわかったのは胸に組章くみしょうに“2‐A”とあったからだ。

 そりゃ誰かが動かしてるよね。

 でも、この前、丁度その類いのホラー小説を読み終わったところだからイタイ子と思うのは勘弁してほしい。

 髪型に詳しくないからわからないが先輩はさらさらとした少し茶色がかった黒のボブのような髪型で健康そうな肌。きっちりとしてるんだろうなと思わせる雰囲気を持っている。キリっとした焦げ茶色の瞳に幼いような大人びているような年齢不詳な顔をしている。

 世に言うイケメンという人種だ。

 誰だっけ、この人。

 どっかで見たことあるなぁ、などと呑気に考えているとはい、と渡された。


「これ、取りたかったんだろう?」

「あ、はい。でもいいんですか」

「ん?」

「いえ、何でも。ありがとうございました」


 軽く頭を下げて受けとり、そのまま借りにカウンターまで歩く。

 誰だっけ。

 うーん、と頭を悩ませながら司書さんを呼ぶ。

 そういえば首もとにもピンが留まってたよな…。

 あ、もしかして副会長?

 ああー!と大声をあげそうになるのを我慢する。

 もしかしなくても、だ。

 二年A組八雲やぐもおさむ先輩。

 サッカー部のエースと呼ばれ、成績も学年トップ。全国模試も一位をとったと言う噂が流れている。何をやらせても完璧でピンチをチャンスに変えられるような人。

 まさに主人公体質。

 その上、人当たりもいいらしい。生徒会のことになると結構厳しいらしいけど。

 天は二物を与えず、とはいうが天は二物も三物も与えるらしい。


 ファーストコンタクトはそれ。

 で、二年に上がるまでの間に頻繁に会うようになり、そのうちに話すようになった。

 八雲先輩は推理小説が好きらしく、よく読んでいる。

 たまにお互いの好きな本を薦めあったりするような仲になった。あと苦手な数学を教えてもらうようにもなった。

 そんなことが続くうちに八雲先輩に想いを寄せるようになっていた。

 私が知らないことも知っているし、その生徒会なんかにかけている信念というか情熱に揺さぶられた。決して見た目が超絶かっこいいとかタイプ、とかいう理由ではない。

 女子先輩方は私たちがよく一緒にいる様子を見ているが地味な子だから大丈夫、と判断したらしく、特に何もアクションはない。

 妹を可愛がる優しくてかっこいい兄、的な構図に捉えたのだろう。

 まあ、八雲先輩もそうとしか思ってないだろうけども。


 先輩みたいにかっこいい人になりたい、という思いから生徒会に入ることにした。先輩と一緒にいたいという不純な動機は一切ない。

 …嘘。

 少しだけはある。

 でも、先輩みたいに、という気持ちに嘘はない。

 八雲先輩と一緒にいたい、という理由で生徒会に入る人はいない。先輩はそういうのを一番嫌っているのを知ってるからだ。

 そういうこともあり、私はめでたく生徒会副会長になることができた。

 最初は執行委員とか書記がいいなぁ、と思っていたのだがその事を担任の先生にに相談するとまだ役職を悩んでいるのなら是非とも副会長を、と強く押された。

 先輩が生徒会のことになると人が変わったようにとんでもなく厳しくなるので元生徒会メンバーで引き続き生徒会に入るつもりの人は副会長だけは嫌だと別の役職に立候補しているらしかった。それでもって新たに立候補する人はいないらしかった。

 そして、私が先輩と仲良くしている所をよく見ていたらしく、上手くいくかもしれない、と思ったそうだった。

 私としては特別にこの役職じゃなければ嫌だ、ということはなかったのでなら、と副会長に立候補した。

 どの役職にも対立候補はでず、信任・不信任投票になった。

 その結果、私は副会長になった。

 私が立候補した時の先輩の顔はとっても面白かった。

 そう簡単に驚いたりしない人なのにあの時だけはとんでもなく驚いた顔をしていた。

 そのうち、今まで以上に先輩と話す機会も会う機会も増えていった。当たり前だけど。

 最初はどうしたらいいのかわからず、あわあわとしていたけど丁寧に教えてもらううちにできるようになった。

 確かに先輩は生徒会の仕事に対して厳しいがそれはメンバーのことをとっても信用していてもっとこの学校をより良いものにしたいと強く思っている、ということがわかってきた。

 先輩のことが少しでもわかることが出来た気がしてなんだか嬉しい。


 あれは先輩が進路の最終決定をするよりも何ヵ月か前の勉強をおそわっている時だったと思う。

 先輩は自分の勉強だけでも忙しいはずなのに私の勉強を見てくれていた。忙しいだろうからと断ろうかとしたが自分の復習にもなるから、と。


「先輩は何かなりたい職業ってあるんですか?」


 先輩は国公立を目指している。しかも全国で一、二を争う学力のところ。

 そんなところを受けようとしている人がなりたい職業とはなんなのだろうか。


「ボク?そうだなぁ」


 どうしようか悩むように喫茶店の天井を仰ぎ見た。

 勉強を教わるようになってから常連となった喫茶店の入口すぐの角の二人席。

 ここは私たち二人の特等席。

 日の落ちるのが早くなった窓の外はだいぶ暗くなっている。ビルの隙間から覗く眩しいほどの強い柘榴色が私たちを包むように照らす。


「早川、秘密にできるか?」


 光にあたる顔が悪戯っ子のような笑みを浮かべている。こういう顔でさえも様になっている。なんかズルい。


「はいっ、勿論です」


 それでも素直に頷いてしまうのは想ってしまったからだろうか。私の気持ちを察することもなく笑いながらこう言った。


「公安だ」


 公安…。

 あぁ、あれだ、あのアニメとかであった、警察の。

 詳しくは知らないが家族にも自分が公安であることは言えず、死んでから伝えられるような秘密な仕事、というふうに記憶している。それから危ない、お仕事。

 取り合えずは日本という国を守る組織だ。

 だいぶ大きなスケールだ。


「すごい、ですね」

「秘密組織みたいに考えてるんじゃないか?」


 時々、私の考えを読んだように言われる。前にエスパーですかって聞けば顔に出ている、と言われた。


「ま、どう考えててもいいが言い触らすなよ。もし、なれたとしても秘密にしなきゃいけないのに顔とかがバレたら面倒だろう?」


 こくこくと頷くと満足したように私に問いかけた。


「この国とそこに住む人の、笑顔を守りたいんだ」


 夢を語る先輩の瞳はいつもの生徒会のことを話すときよりも輝いていて。

 それが何よりも綺麗で。

 珈琲を口に含む姿も素敵で。


「そういう早川は何かないのか?」


 見惚れていたことがばれないように咄嗟にオレンジジュースを飲んで誤魔化す。


「私、ですか?」

「ああ」

「ないです。でも公務員がいいかなぁ、なんて」


 安定してますしね、と茶目っ気たっぷりにいうと確かにそうだが、と苦笑いが返ってくる。

 警察でしょ、消防士、区役所職員、あとはー。

 そうやって指を折りながら公務員の種類を挙げてみる。警察と言ったときに眉が寄っていたように見えたが気にしないでおこう。


「なら教師はどうだ?高校教師とか」

「だったら教科はなんでしょうか?一番得意な社会科の歴史ですかね」

「それもいいが数学科なんてどうだろう」

「数学科ですか」

「早川はこれが一番苦手だったからこそ一番頑張って勉強をした。だからこそ、どこをどう間違いやすいのか、どこが難しいのかよくわかってる。そういう人の方がその教科を教えるのに向いていると思うけどな。少なくとも、お前は誰かに数学を教えるのは上手いと思う」


 いつもキリっとしている先輩が少し柔らかい雰囲気を漂わせているように見える。

 そんな顔をする先輩を知っているのは私だけだなのか。

そうだったらどれほど嬉しいか。

 それでもその顔は真剣そのもので本気で私の将来のことについて考えてくれるように感じる。

 少しは私の中でもよぎった。八雲先輩みたいに数学を教えることができたらって。

 でも、私は苦手だからだめかなって思っていたが、まさか先輩がそういう風に思っていてくれたなんて。


「私、きっと数学教師になります。決めました」


 なんだかそれが嬉しくて、思わず頬が緩む。


「なら、今以上に勉強しなきゃだな」


 にやりと笑った顔に目を見つめ返しながら大きく頷き、この日から私は八雲先輩の言葉通り、今まで以上に勉強した。

 それと前々から少しは考えていた次の生徒会への立候補。それを決意した日だった。

 先輩の跡を継ぎ、この学校をより良いものにする。

 そう決めたのもこの日だった。


 なんの進展もないまま、私は会長になり、先輩は卒業していった。

 卒業ということもあり、八雲先輩に同期、後輩関係なく、告白しにいったりしてたらしいが先輩はその全て断ったらしい。

 私はもともと告白するつもりはなかった。先輩の大事な夢の邪魔はしたくなかった。

 その代わりではないが本当にもうどうしようもないほどにわんわんと泣いた。もう、先輩に怒られることも褒められることもなくなると思っていたからだ。今、思い出しても恥ずかしい。

 他の新生徒会メンバーの中でも一年生の頃から入っている子や私と同学年の子、元生徒会メンバーになってしまった先輩、じゃなかった卒業生はあぁ、早川は会長に一番なついてたからな、仕方ない、というような顔をされた。


「また勉強教えにくるから、別に二度と会えなくなる訳じゃない」

「…本当ですか?」


 嘘ついたことがあったか、とぽんぽんと頭を撫でながら、慰めるように言ってくれた。


「さっ、早川会長も泣き止んだことですから写真撮りましょう」


 会長二人は真ん中ですからね、と新たに副会長となった清水くんが言う。

 彼は私の同学年の男子で生徒会は一年生の頃から入っているから手慣れている。

 この時の写真は今でも大事に保管してある。

 日焼けしないように特殊な袋にいれていつも持ち歩いている手帳に挟んでいる。

 若干泣いた様子が誤魔化しきれていない私の隣に珍しく笑顔な先輩がいる。

 そしてもう一枚、忘れられない写真がある。

 清水くんがこっそり撮っていたらしく、あとからこっそりとくれた。諸事情により、カメラのデータからも消したらしく、この世にあるのはこれだけだと思う。

 困ったように笑う先輩と涙を拭われながらも笑っている私の写真。

 さすが写真部なだけあって映画とかドラマとかのワンシーンのようだ。もっとも私が美人、もしくは可愛い場合に限るけど。

 先輩は約束通りに私に勉強を教えてくれた。それは先輩が大学を卒業するまでの間続いた。

 その後、警察学校か何かに入ったかなんだとかで会うことも連絡を取ることもできないと告げられた。

 そういうことなら、見かけたからと言って声をかけるのは不味いんだろうなぁ。

 私は3年前から北高で教鞭を執っている。

 先輩に宣言した通りに晴れて数学教師となった。

 たくさんのことが目まぐるしく変わった。それでもやっぱり、今でも私の人生をいい方向に大きく変えてくれた先輩への想いは変わらない。

 いつもの時間、いつもの電車、いつもの帰り道。

 けど、この“いつもの”が“特別な”に変わるまで、あと一歩。



 物語の主人公みたいに可愛くないけれど、また、巡り会うのはダメですか?

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