🍸季の美さん

 約束が違う。


 だあれも約束なんかしていないのだが、森伊蔵さんは気絶しそうになる意識を保つため、念仏のように唱え続けた。


 約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が違う約束が……。


 獺祭だっちゃんが愛くるしさを振り撒く『獺祭かわうそまつり』の真っ最中。

 陽が落ちると途端に冷え込み、世のサラリーマンたちが背を丸め、赤い提灯の前で立ち止まる。ビールよりも熱燗が恋しくなる季節。

 また新顔がやって来た。


 洋モノのくせに、と笑い飛ばしたい。

 ちょっと場違いだから引っ込んでなさいよ、と言ってやりたい。

 なのに! 何故か漂う和の佇まい。嫋やかで物静かでありながら、芯の強さが窺える。そしてハイカラで垢抜けている。

 礼儀正しく菓子折を差し出す仕種にケチをつける隙はない。



 季の美さんが京都からやって来た。

 認めたくはないが大層な男前だ。何でもイギリスの血がちょっぴり混じっているらしい。



 森伊蔵さんは今にも倒れそうな己を必死で鼓舞した。大好きな月桂冠ちゃんの前で醜態は晒せない。つい先日だっちゃんと月桂冠ちゃんのあまりの愛らしさに鼻血を吹いて倒れた記憶は、もちろん抹消済みだ。


 でも。


 先ほど黄桜ちゃんから聞かされた新事実の衝撃を、森伊蔵さんは受け止めきれない。





 季の美さんは月桂冠ちゃんの許嫁なんだって。




 嘘だって言って!!



 森伊蔵さんはもう、虫の息。

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