その五十 誘拐?
シャルマの行き先は伯爵の居室しかない。年頃の女の子が男の部屋で一夜を明かしたことになる。それがどういう意味を持つのか、もちろん僕にも分かる。ただ状況として想像は出来るけど、現実味は無かった。不自然で、あり得ない事のようにさえ思えた。
「おはようございます。キョウちゃん」
ルゥちゃんの声がハモってる。見ると、ベッド脇でカウルの使い魔イフと手を繋いでいる。もう見慣れた光景だ。二人が特別に仲良しなのか、使い魔はこういうものなのか。
僕は部屋の中を見渡した。沙羅の姿が見えない。
「マスターは、オシリスと打ち合わせがあると、出掛けました」とルゥちゃん、言葉の後ろはイフとハモっている。
オシリスと打ち合わせだなんて、僕は驚いたが、他でもない僕が仕向けたことなのだろう。
「マスターの部屋にご案内します」と、イフ。
「キョウちゃん、一人でお着換え出来ますか?」と、ルゥちゃん。
今まで、毎日、沙羅が僕の着替えをしてくれた。服ぐらい一人で着られるけど、選び方が分からない。僕は正直にルゥちゃんにそう言った。
「マスターの好みに合わせて、お手伝いします」と、イフ。
「あのさ、本当に、これがカウルの好みなの?」
イフが選んだ服を手にして僕はそう言った。超ミニスカートと、丈の短すぎるキャミソール。その薄布は肌を覆うにはあまりにも小さすぎる。こんなものを着て歩くくらいなら、パジャマのままの方がずっとましだ。
イフは、ルゥちゃんと手を繋いだまま、顔を見合わせている。困っているようにも見えたが、しばらくすると二人揃ってクスクスと笑い出した。
「冗談です」と、すまし顔に戻ったイフ。
笑うことすら殆どない使い魔の口から冗談という言葉を聞いたのは初めてだ。二人揃っているとなんだか楽しそう。
「ルゥちゃんとイフちゃんは、仲良しなんだね」
僕がそう言うと、不思議な事を聞いたように二人顔を見合わせた。
「別に。普通です」と、ルゥちゃん。僕は沙羅から聞いた使い魔のオフ会の様子を想像していた。同じ姿で集まって、無言で手を握り合っている様子が目に浮かぶ。
カウルの居室には大きな本棚が並んでいて、小さな図書館のように見えた。並んでいる本の背表紙には象形文字のようなものが綴られている。ぼくは、この世界の言語を、マザータングとして理解し発音している。文字体形は表意文字のようで、簡単なものなら頭に意味が浮かんでくる。例えば本を読むとして、理解し記憶しているのは文字ではなく意味だ。キョウ=エスターシャの深層意識の一部を共有することによって、その意味を理解しているのだと思う。
初めてのデートの時と同じ空色のワンピースを着て、僕はカウルと二人きりで向かい合ってソファーに座っていた。どうしても僕から離れようとしないレイの世話はルゥちゃんとイフに任せてきた。
「ロマノフェレン子爵家から正式な打診があった。兄は既に大筋に合意している。俺が婿養子に入ると同時に爵位を継承する事を条件として」
長い沈黙の後で、カウルは短く言葉を区切る口調で話し始めた。
「君たちがランドワール領に来た目的が分かったよ。半ば仕組まれていたんだね」
「僕、そんなつもりじゃ……」
僕は言葉を詰まらせた。仕組んだのは沙羅と梓だけど、そんな事は問題ではない。
「いいんだ。騙したのはお互いさまだから。俺は庶民を装い君に近付き、君たちはネットアイドルの地方巡業を装って兄に近付いた」
「……」
「でも誤解しないで。キョウを責めているわけじゃないから。俺が君を好きだという気持ちは変わらない。沙羅を見くびっていたのは俺の失敗だけど、まだ諦めたわけじゃない。俺、絶対諦めないから」
「僕……」
「ロマノフェレン子爵令嬢がランドワールを訪問することになった」
「え?」
「三万人の軍隊を護衛という名目で伴って来るから、訪問というよりあからさまな示威行動だ。軍隊を動かすと通過地域の緊張が高まり、不測な事態も起こりかねない。それを承知の上の行動だから、相手は本気だ。もちろん、我々も本気で対応する必要がある」
「ごめん」
何について謝っているのか分からないまま、僕はそう言うしかなかった。
「キョウが謝る必要なんて無いよ」
そう言って、カウルは僕の手をとって、射るような青い瞳と真剣な表情で顔を覗き込んだ。
「謝るのは俺の方だ。キョウを誘拐するつもりだから」
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