その四十九 夢の世界
目を覚ますと、沙羅は、僕と同じベッドの中で静かな寝息を立てていた。肌の温もりが心地良い。寝顔を見ていると、旋律魔法で魔物を狩る彼女とは別人のようだ。
魔物も血の通う生き物だ。狩ることは命を奪うことに他ならない。ゲームのように倒した魔物が光の塵になって場に帰るなんてことはない。沙羅は狩った獲物を魔法で小さく縮め、集めて、市場に売りに行く。狩人でもある。そして、僕は……
「眠れないの?」
「うん」
沙羅の言葉に、僕は肯いた。彼女はいつの間に目を開けて、澄んだ瞳で僕の顔を覗き込んでいた。常夜灯の蝋燭の揺らめきを受けて、目だけが別の生き物になったみたいだ。
「色々あって」
「カウル君のことを考えていたとか?」
「シャルマ、まだ帰ってこないね」
僕は、沙羅の問いに答えなかった。
「否定しないのね」
「否定できないから」
「エルフが、将来のロマノフェレン子爵の愛人にでもなるつもり?」
問いに答えなかった僕への報復のような響きを伴う言葉に、僕は口を閉ざしたが、訪れた沈黙に不快な余韻はなかった。
「ごめんなさい。酷いことを言っちゃった」
こんなに素直に謝る沙羅は初めてだ。
「サラのことを考えていた」
僕は、あえて、脈絡の無い言葉を続けた。
「サラのために、男になりたかった。意味分からないと思うけど、夢だと思って、聞き流して。でも、女になる。サラのため」
「決めたのね。女の子になるって」
「知ってたの?」
「毎晩こうやって一緒に寝てるのよ。あなたが普通の女の子じゃないことも、それを隠そうとしてることも分かってたわ。エルフだからはっきりした性別が無くても不思議じゃないって思ってた。あなたがその姿でわたしの目の前にいる事実は否定しようがないし。わたしにとってはキョウはキョウなの」
「僕、サラが好きだった。あの世界でも」
「あの世界?」
「僕の記憶の中だけに残された世界。その世界では僕、男子だったから」
「夢の世界のことを言ってるの? 夢でもあなたが自分のことについて語るなんて珍しいわね」
夢? そうかも。僕の記憶は、キョウ=エスターシャの見ている夢の世界かも。傷付け合う必要もなく、誰の命を奪うこともない平和な夢の世界。
それが本当にあったことなのか、僕には分からなくなってきた。平和という幻影を見せられていただけかもしれない。僕の知らないところで、常に何億もの人間が飢え、何千万もの人命が理不尽に奪われていながら、平和そのものに見える虚構世界だったのかも。
「この世界の僕の記憶は失われているみたい。ううん。魔法で封印されているのかも。僕、サラだけじゃなくて、たくさんの人に随分酷いことをしてきたみたいだから」
「封印ワクチンは、エルフの力を封じるもので、記憶を奪うことはないはずだけど、あなた自身に事故や色々酷いことが起こっているから、無理ないわね」
「僕、サラの名前を呼んだんだよ。あの事故の時」
沙羅は珍しく曖昧な笑みを浮かべて、言葉の間をとった。
「覚えてる。バスの事故の時でしょ」
駅馬車で移動するこの世界にバスという移動手段は存在しない。僕は、ベッドの中で沙羅の手を強く握り締めた。勢い余って顔が触れ合いそうな程近付いた。
「覚えてるの? バスの事故の事!」
「何のこと? バスって、どこかの地名?」
「今、サラがそう言ったんだよ」
「わたしが言ったのはエルフの事。何かの聞き違いじゃないの?」
聞き違いだろうか? 沙羅が嘘をついて誤魔化している様子も無い。それとも夢? 夢のような温もりに包まれて、僕の意識は淀みに浮かぶ木の葉のように夜の闇に呑まれた。
その夜、シャルマは部屋に戻ってこなかった。
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