その四十四 封印ワクチン

 「初めて会った時、あなたが自分でそう言ったの。封印が解けかけていたあなたをなんとかなだめてわたしが保護したあの時よ。すでにあなたは記憶障害を持っていたから、今でも後遺症で記憶が不明瞭になるのね。シャルマから聞いた事情では無理もないことだわ。可哀そうに……」


 「封印って?」


 「エルフが人間に危害を加えないよう能力を封じることです。特にキョウちゃんのような緑色の瞳のエルフは危険種のため、魔術局による定期的な封印ワクチンの接種が義務付けられています」


 ルゥちゃんが、いつもの調子で解説した。


 「かつての終末大戦当時、戦略兵器として開発されたエルフ族の名残です。一人のエルフが機甲師団を制圧したという記録も残されています。誇張を伴う伝説的なものと考えられ、軍事的な攻撃能力を持つ個体は確認されていません。また、機甲師団というのは古代史上の名称であり、現存するオブジェクトに該当するものはありません」


 本当だとしたら僕って、かなり、やばくない? 危険なの? 実は兵器だったの? 開発って……。やっぱり、人間じゃないんだね。


 「あ、でも、キョウは、大丈夫。ほら、おつむも少し弱いし、ドジっ子だし、保護した時も、わたし平気だったし……」


 「はい、マスターは、あの時、あばら骨三本と頭蓋骨を骨折しましたが、命はとりとめました」


 僕が……、沙羅に、そんなこと……


 「サラ……、ごめん。僕、知らな……、ううん、覚えてなくって、そんな酷いことをしただなんて」


 まさか、沙羅の肌にその時の傷が残ってたりしたら、一生かかっても償いきれない。それなのに、僕、沙羅のことを守銭奴だとか、勝手に保護者面してるとか思ってた……


 「いまさら、何を謝ってるの? あれは事故みたいなもの。キョウが謝る必要なんかないの。結局、誰がキョウの封印を解こうとしたのか、どんな目的があったのか、分からないままだけど」


 「状況から判断すると、犯人はあの時すでにキョウちゃんに始末されていたものと考えられます」


 「ルゥ! あの事件についての憶測は控えなさい」


 「はい。マスター」


 珍しくしょげた様子で尻尾を垂らしてしまったルゥちゃん。今まで、ルゥちゃんの意見が間違っていたことはない。僕、この手で人を殺しているのかも知れない。人畜無害のお人形さんみたいな体だと思っていたのに、とんでもなく危険な生き物、いや、化け物なのかも。


 「あの時、わたしは、キョウを一目見ただけで、ほっとけない子だと思って、何が何でも保護しなければって、なぜか意地を張っちゃったのよね。でも、あなたが先に正気を取り戻してくれたから助かった。今でも不思議なんだけど、あの時、あなた、知らないはずのわたしの名前を呼んだの。『サラ』って。覚えてる?」


 僕は首を横に振った。もちろん、そんな記憶は無い。僕が記憶しているのはあの世界のことだけ。そして、最後に沙羅の名前の呼んだのは……


 「それって、いつのこと? 僕が保護された日っていつ?」


 「如月きさらぎの二十二日。まだ寒い日だったでしょ。わたしの誕生日だから覚えてる」


 それは二月。そして、あの世界で沙羅と如月キョウが同じバスに乗っていたのも、二月二十二日で同じく沙羅の誕生日。この世界の時間軸がどうなっているのか分からないけど、暦は、あの世界と同じなのかもしれない。平行世界ってやつ? 如月キョウとキョウ=エスターシャが平行世界の同一人物だったりもするのかな。彼女の意識が消滅したのは、彼女の誕生日……


 「シャルマ。隕石事故があったのは僕の誕生日だって言ってたけど、神無月の二十九日だよね?」


 「うん、そうだよ。あの日の事は忘れない」


 神無月は十月。そして、十月二十九日は如月キョウの誕生日でもある。如月キョウの別世界の記憶が、この世界のキョウに引き継がれたとすると、沙羅を傷付けたのは、僕自身になってしまう。


 その時、ノックと共に現れたメイドが、夕食のためダイニングルームへの移動を促した。

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