その四十一 仮想世界の蕾

 「肝心なことはもう言っちゃったけど、俺、本気だから。そのつもりで、今夜、兄上に君を紹介する。キョウには予め、そのことを言っておきたくて。その……、また、倒れられたりしたら困るから」


 綺麗な花と水路に囲まれて迷路のような城内の庭園を歩きながら、カウルはそう言った。倒れるようなことを言うんだ。と僕は思った。なんとなく予想はしていたから心の準備は出来ている……と思う。


 カウルは、この世界の街頭で見かける中世風の男性の軽装に着替えていた。華美ではないが、しっかりと気品が感じられる姿だ。沙羅が毎晩念入りにとかしてくれる髪を風になびかせながら、沙羅が選んでくれたドレスを揺らして花の小道を歩く少女に、カウルは歩調を合わせてくれる。 


 カウルは、花の名前や花言葉を交え、庭園の設計について分かり易く説明してくれた。その言葉に、微笑みながら相槌を打っている自分自身に僕は気付いた。そうすることがごく自然な事のようにさえ思えてきた。キョウ=エスターシャという純真無垢な少女そのままのように。


 「見て。キョウ。この景色を君に贈りたかったんだ」


 そこは小高い丘の上だった。背後には、登ってきた花の小道と迷路のような水路に続く石造りの城。そして、前方には眼下に広がる城下町と田園風景。夕焼けに染まり始めた空の境界まで地平線が広がっている。薄く色づいた雲が音符のように、遠い空に旋律を描いていた。


 その美しさに僕の心と体は息を呑んだ。世界の全ての事象は共鳴する楽器が奏でる波動で出来ていて、その振動によって影響を及ぼし合っているって聞いたことがある。そんな話に納得出来るような景色だった。振動とは円運動、巡っては帰り、形を変えながらも巡り合う。自然に僕の頬を涙が伝っていた。




 「絶景と人気のネットアイドルを独り占めとは、贅沢なひと時だね、カウル」


 突然の声に振り返ると、背の高い優雅な青年の姿が逆光の中に浮かんでいた。生まれついた品位が生い立ちの中で純粋培養され、威厳と風格を形作る。そんな天然オーラを感じさせる人物が誰なのか、名乗られなくても、僕には分かった。


 「キョウ。私の兄のランドワール伯爵だ。兄上、こちらが……」


 「紹介だなんて、野暮は要らないよ。あなたのことは何でも知っているつもりだ。実際に動いている姿を見るのは初めてだけど」


 いや、それ、梓が勝手に作ってるブログだよ。かなり偏見と捏造があると思うから。僕、思わずカウルにしがみついて後ろに隠れてしまった。あの子爵令嬢に求婚するような男だ、見かけは思ったよりずっとまともに見えるけど、どんな危険人物か知れたものじゃない。外見がまともなだけに余計に怖い。うん。自信に満ちた笑顔に、本能的な恐怖さえ感じる。


 「怯えられているの……かな?」


 伯爵は苦笑を漏らした。


 「兄上の権力に媚集まる世間一般の女性とは違うのです。そんなに急に近づいたら警戒されても仕方ありませんよ」


 「相変わらず手厳しなカウル。しかし、今は、礼を言おう。私も、簡単に手折れる美しいだけの庭園の花には飽きていたところだ。仮想世界育ちで世間擦れしていない蕾を摘み取るとは面白い趣向だ」

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