和史擬人伝・撚!

あきのななぐさ

第1話事、古都、異なる歴史たち

桜の花が舞い散る季節は、出会いと別れの季節である。

春。

この国で最も愛されているであろうこの季節に、僕はここにやってきた。

タイム魔神の魔の手から、この国の歴史を守る最後の砦。


内務省歴史保護監査局。通称、歴保監れきほかん

総務省正史編纂委員会から出向を命じられて、局長への挨拶も終わった今。

僕がすべきことは、彼女たちへの挨拶だった。


『個性的な達だからね。ちょっと驚くかもしれないけど、よろしくね』


局長に挨拶した時の別れ際の言葉。

わざわざ僕の所にやってきて、背中をバシッと叩かれて言われた言葉。


そんな事、言われなくても分かっている。何しろ一般的には知られていないが、彼女たちこそこの国の歴史そのもの。

タイム魔神の魔の手から、時代が時代を守るために顕現した存在。


時代娘クレイオなのだから。


その存在を知った時、そして内示を受けた時。どれほどこの時を待ち遠しく思った事だろう。

局長室から建物を出て、同じ敷地内の別の建物に向かう道。穏やかな日差しも桜の木が遮ってくれている。普段なら桜舞う花道に感じるであろうこの道も、僕の高鳴る胸の鼓動に押されたのか、凪ぎのように静かだった。


さあ、いよいよだ。


見上げるのは、このいかにも古風な温泉旅館風の建物。

この中に、人類の歴史を守る英雄ヒロイン達がいる。


ますます高鳴る胸の鼓動を抑えるのはもう諦めよう。

扉を開けて、入る。

ただそれだけの事なのに、なかなか思うようにならない。

それでも震える手――まるで僕の手じゃないような感覚だったけど――で、その扉をそっと押し開けた。



扉を開けてすぐ、目の前に大きな玄関が広がっていた。

誘われるように数歩歩いても、まだそこは土足のエリアだった。


本当に温泉旅館と言っていいほどの広々とした玄関口。スリッパもきちんと揃えられており、左手には懐かしい個別の靴箱が、木製の鍵と共においてあった。

右手は部屋になっているのだろう。閉められたドアには管理人室と書いてある。


そして中央に置いてある衝立――そこには龍と虎が描かれていた――の前で、三人の少女たちが――お互いに一歩も引かない意思をみせながら――言い争っていた。


「いや、明らかにそれはおかしいよ、平安へいあんちゃん。知名度で考えてみてよ。アスカが奈良ナラちゃんに負けるわけがないじゃない」

「それはないし。第一、奈良には奈良ナラって名前がついてるし。平安ちゃんだって、そう思うから、そう言ったんだし」

「それは仕方がないからだよ。どう考えたって、知名度はこっちが上。大化の改新を知らない人はいないよ。歴史上の偉人だってたくさんいるよ。聖徳太子しょうとくたいしだよ? 小野妹子おののいもこだよ? ついでに言うと中大兄皇子なかのおおえのおおじ中臣鎌足なかとみのかまたり蘇我入鹿そがのいるかだっている」

飛鳥アスカは大化の改新を代表して説明したでおじゃる。なのに、中大兄皇子なかのおおえのおおじがついでなのでおじゃるか!?」

「ちっちっちっ。甘いよ、平安へいあんちゃん! 聖徳太子しょうとくたいし小野妹子おののいもこに比べたら、そんなのついでに決まってるよ」

「なぜでおじゃる? 大化の改新でおじゃる。歴史の転換点だと思うでおじゃる。 中大兄皇子なかのおおえのおおじ中臣鎌足なかとみのかまたりはその主人公。言ってみれば、後の貴族文化の開祖でおじゃる。蘇我入鹿そがのいるかはラスボスでおじゃる」

「だから、平安ちゃんは『おじゃる』なんだよ。いいかい? 歴史の転換点の大きさで語るなら、『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや』だよ! なんて偉そうなんだろうね! 小野妹子おののいもこも『OH! NO!』だね まあ大化の改新も大事だよ? でも、そんなのアスカにとっては会心の一撃程度だよ」

「それはつまり、飛鳥あすか時代がそこで終わるからだし。飛鳥アスカが認めたくないだけだし。それに、奈良といえば大仏だし。その大仏は奈良なら時代のものだし。それに、行基ぎょうき鑑真がんじん、ついでに言うと道鏡どうきょうもいるし」

「僧でおじゃるな。奈良は僧があついでおじゃる。やはり地名の優位というものがあるでおじゃる。それにしても、会心の一撃がその程度の扱いだったとは、初めて知ったでおじゃる」

「そんなことないよ! 何と言われても、奈良の主役はアスカだよ! 奈良ナラちゃんじゃないよ。大仏なんか、ほっとけ―だよ! 行基ぎょうきは行儀がいいけど、鑑真がんじんなんて命がけだよ。がんじージャンプだよ。ついでの道鏡どうきょうなんて、ナンパだよ。『どう? 今日?』ってついでに言うなんてサイテーだよ! あと、平安へいあんちゃん。そんな事言うなら、京都の主役は平安へいあんちゃんじゃないよね。室町むろまちちゃんだよね! 室町むろまちちゃんは地名だよ!」

「うん。飛鳥アスカが正しいでおじゃる。奈良の主役は飛鳥アスカでおじゃる。地名は関係ないでおじゃる」

「全部罰当たりだし! そんなの絶対おかしいし! 平安へいあんちゃん、節操なさすぎだし!」


これまでの話の内容から、奈良の主役の座をめぐっての言い争いだというのは分かる。しかも有史以来、かつてここまで奈良が熱く語られたことがあっただろうか?


――残念ながら、その答えは――正史編纂委員会のこの僕ですら――持ってはいない。

ただ、飛鳥アスカの罰当たりな発言を放置していいはずがない。少なくとも鑑真がんじん和上に関しては、頭を地面にこすり付けてでも謝罪させるべきだろう。


しかし、それは別にしても時代娘クレイオ達は生き生きとしている。


気負って主張していたのは飛鳥あすか時代の時代娘クレイオ。名前の飛鳥アスカ飛鳥あすか時代からついているのだろう。


ゆったりとしている鶯色の上着の下に、ストライプ柄――白、黄、緑、青、赤と結構派手な色がついている――のスカートのようなとよばれるものをはいている。長い髪はゆったりと後ろでまとめられていた。


それに対抗していたのは奈良なら時代の時代娘クレイオ。名前も同じく奈良なら時代からくる奈良ナラだと思われる。

上は、薄い藍色の服。その上に背子はいしと呼ばれるベストを重ねて着ている。飛鳥あすか時代と同じように、スカートのようなを着ているが、その色遣いは全く異なっている。そして、帯が見えているのも特徴的だ。肩からはショールをかけており、手には扇も持っていた。長い髪は後ろだけでなく、前にも髪飾りをつけてまとめられていた。


飛鳥あすか時代の時代娘クレイオ奈良なら時代の時代娘クレイオ


服装の違いは着ている服の種類もあるけれど、その色使いが大きく違っていた。飛鳥あすか時代は全体には単色だが、の部分に様々な色を組み合わせている。一方、奈良なら時代は全体的に様々な色を用いていた。似ているようで似てない二つの文化。


しかし、時代娘クレイオとして顕現した彼女たちの性格は、全く似てはいなかった。


そして間に入ってとりなしていたと思われるのが、平安へいあん時代の時代娘クレイオ。名前も同じように、平安へいあん時代からついた平安へいあんというのだろう。

十二単を着こなす姿は、まさに平安貴族そのものだ。長い髪をふんわりと結い上げ、頭全体を大きく見せている。飛鳥あすか時代と奈良なら時代には見られなかった模様を生地に取り込んでいる。重ねることで単色を複数の色として演出する方法は、この時代ならではのものだろう。


時代娘クレイオはその時代を反映しているとは聞いていたけど、ここまでとは想像していなかった。文化が推移していくのは、その時の服装や食べ物を見ていけばよい。

恩師から教わった言葉がよみがえる。

そして、目の前にはそれを体現したかのような時代娘クレイオたちがいた。

感動で涙が溢れそうになった時、不意に平安へいあん時代の時代娘クレイオと目があった。


「ちょっと待つでおじゃる。ソチは何者でおじゃる? いつからいるでおじゃる? 勧誘ならよそに行くでおじゃる。新聞もテレビも、向こうで一括で払っているでおじゃる」

平安へいあん時代の時代娘クレイオ誰何すいかの声をあげていた。その声に、残りの二人も顔をこちらに向けている。


――君、さっきから真正面で僕を見ていたはずだけど……。


確かに目はあったのはさっきが初めてだ。でも、視界には入ってたと思うんだけど……。

――ああ、完全に無視されていたんだね。

でも、まさか視界に入っていても、気づいていないふりが出来るとは思わなかった。


「ああ、ごめんよ。勧誘でも、取立てでもない。ついでに言うと配達でもないよ。あまりに熱い議論だったから邪魔したら悪いと思って待たせてもらっていたよ。僕は正史編纂委員会からきた――」

「そうでおじゃるか。では、いいでおじゃる。それと、奈良ナラ。節操がないとはおかしいでおじゃる」

人の説明を最後まで言わせない上に、まるで興味が無くなったかのように話を戻す平安へいあん時代の時代娘クレイオ


そのあまりのマイペースさに、飛鳥あすか時代の時代娘クレイオ奈良なら時代の時代娘クレイオもふきだすように笑っていた。


平安へいあんちゃん。それじゃあ、この人がかわいそうだよ。なになに? 精子変身いいんかい? いくら少子化だからといって、出会ってすぐの乙女に名乗るのがそれじゃあ引くよ? セクハラだよ? いや、ひょっとして。新手の露出魔かい?」

「字が違うだろ! 委員会も何故疑問形になる? 正史編纂委員会せいしへんさんいいんかい! いくら少子化が社会問題でも、出会って早々挨拶する言葉じゃないよね? それに、露出魔ってなんだよ。あんなの顕微鏡で見ないとわかんないだろ?」

言葉は態度を示すように、飛鳥あすか時代の時代娘クレイオは一歩僕から遠ざかっていた。


「そうだし、平安へいあん。この人かわいそうだし。でも、飛鳥アスカはやっぱり間違ってるし。バカだし。精子減算委員会だし。そして、ナラは社会問題も無視しないし。いや、無視できないし。それにしても、かわいそうに……」

「何気に社会問題から、個人の問題にすり替わってない? 減ってないよ? それにそう言いつつも避けてるよね、それ? 僕から離れるんじゃなくて、精子という話題から離れてくれないかな?」

「じゃあ、何だっていうんだよ。それに何の用だよ、精子変身」

「変に略すな! それに、全く変わってないよな? まあ、変身されてもこまるけど……。って、いい加減離れろよ、その話題!」


一歩、また一歩。彼女たちは僕から離れ始めていた。

いや、だから……。

その話題から離れてほしいんだけど……。


しかし、まずい。

これは最悪の出会いになってしまっている。

このままじゃ、深刻な社会問題を語る変質者の一員になってしまう。しかもそれは、正史編纂委員会そのものが、時代に誤解されてしまうことになる。


「なになに? どうしたの?」

しかも、状況は悪い方に向かっていた。

奥からも、二階からも、様々な時代娘クレイオ達が集まってきた。


見るからに狩りしてますって感じの時代娘クレイオや家の中なのに稲もってる時代娘クレイオ。さらに、あれは埴輪はにわか?

その時代にあった服装や感じで時代娘クレイオは顕現するらしいけど、本当にこの眼で見ると感慨ひとしおだと言わざるを得ない。


「皆、静まるでおじゃる。今までのことをまとめるとでおじゃる。この者は現在減りつつある、変身する精子でおじゃる」

「しねーよ!」

思わず大声を出してしまっていた。


一瞬の静寂の後、漏れ聞こえてくるのは訝しむ声。中には『死ねよ! って言ったよね。敵?』なんて声も聞こえてきた。


まずい。まずい。まずい。まずい。

どうする? どうする?


「大丈夫だし! この人はかわいそうな人だし!」

「うん、多分無害だよ。顕微鏡サイズのセクハラだけど」


ああ、もういいよ。それ以上君たち、何も言わないで……。


でも、どうやったらいい?


この状況でどうやったら誤解は解ける?

言えば言う程変になる『正史編纂委員会』は、実は一般的に言うと変な組織なのか?


じりじりと痛い視線が突き刺さってくる。ヒソヒソ声が心を締め付けてくる。

もう逃げたい。いっそのこと、逃げ出したい。


――とそう思ったその時。勢いよく開かれた扉と共に、快活な声が背中を通り越していった。

悶々とした気持ちを後ろから吹き飛ばすような、そんな明るい声だった。


「たっだいまー! 帰ったぜよ!」

「ほらほら、明治めいじちゃん。さっきも言ったでありんす。女の子でありんす。雅な言葉で話すでありんす」

「まあ、ウチに言わせたら、江戸えどちゃんの方がどうかとおもうけどねぇ。ねえ、安土あづち

「わん!」


続いて二つの声と一匹の鳴声がそれに続く。

僕の後ろで止まった三人と一匹。何やらじっと背中を見られている気がした。


明治めいじちゃん。江戸えどちゃん、桃山ももやまちゃん、お帰りなさい。安土あづちもそんなに尻尾をふって! 今日も元気だね!」

いつの間にか目の前には、鎧をつけた時代娘クレイオがいた。僕のことは無視して、後ろの三人に手を振っている。


「なるほどでありんす。わちきは江戸えど時代の江戸えどでありんす。ぬし様もさぞ、大変な苦労をされたようでありんすね」

「まあ、細かいことはいいぜよ。ワシは明治めいじ時代の明治めいじ。よろしくぜよ」

江戸えど時代の時代娘クレイオ明治めいじ時代の時代娘クレイオに左右からお尻をはたかれた。


「そうだねぇ。まずは、誤解を解いてやろうかねぇ。ほら、こっち向きなよ。皆も来て読んでみな。アンタもさっさとこっち向く。ウチの安土あづちはかわいいよ。そうすれば、誤解も解けるさ。そうそう、ウチは桃山ももやま。この安土あづちと一緒に顕現した安土桃山あづちももやま時代だよ」

言われるままに反転したところには、白く可愛い小犬が尻尾をふって待っていた。


「よろしく――」

「よろしくね。正史編纂委員会せいしへんさんいいんかいさん。いや、もう管理人さんと呼ぼうかねぇ。大体何があったかわかるよ。そう書いてあるからね。あってるかい? 最初は誰だったんだろうねぇ?」

桃山ももやまがあたりを見回すと、背中の方で三つの聞き覚えのある声が上がっていた。


「えへへ。早く教えてくれたらよかったんだよ。いじわるだよ」

「まったくだし、後ろ向いてくれたらわかったし」

「そうでおじゃる。まったく三人に騙されたでおじゃる」


妙に理解の早い三人。でも、何気に僕が悪いと言っている気がする。特に平安へいあんにいたっては、露骨にそう言ってきた。

でも、時代娘クレイオ達の笑顔を見れば、それも一気に吹き飛んだ。


――でも、どうして?


これまでの流れから、手は自然に背中にいく。

――なるほどね。一気に理解が降ってきた。


『この人は正史編纂委員会せいしへんさんいいんかいの人です。誤解しないようにね。決して精子の人じゃないよ。変な人や怪しい人でもない。変身だってしないからね。君たちの新しい管理人としてやってきた人だからね。みんな仲良くね。  局長より』


――よし、お礼の前に後で文句を言おう。


半ば引きずられるようにつれられた管理人室。

新しい僕の居場所と新しい出会いに、今は感謝しておこう。

僕と時代娘クレイオ達の物語は、ここから始まるのだから。

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