和史擬人伝・撚!
あきのななぐさ
第1話事、古都、異なる歴史たち
桜の花が舞い散る季節は、出会いと別れの季節である。
春。
この国で最も愛されているであろうこの季節に、僕はここにやってきた。
タイム魔神の魔の手から、この国の歴史を守る最後の砦。
内務省歴史保護監査局。通称、
総務省正史編纂委員会から出向を命じられて、局長への挨拶も終わった今。
僕がすべきことは、彼女たちへの挨拶だった。
『個性的な
局長に挨拶した時の別れ際の言葉。
わざわざ僕の所にやってきて、背中をバシッと叩かれて言われた言葉。
そんな事、言われなくても分かっている。何しろ一般的には知られていないが、彼女たちこそこの国の歴史そのもの。
タイム魔神の魔の手から、時代が時代を守るために顕現した存在。
その存在を知った時、そして内示を受けた時。どれほどこの時を待ち遠しく思った事だろう。
局長室から建物を出て、同じ敷地内の別の建物に向かう道。穏やかな日差しも桜の木が遮ってくれている。普段なら桜舞う花道に感じるであろうこの道も、僕の高鳴る胸の鼓動に押されたのか、凪ぎのように静かだった。
さあ、いよいよだ。
見上げるのは、このいかにも古風な温泉旅館風の建物。
この中に、人類の歴史を守る
ますます高鳴る胸の鼓動を抑えるのはもう諦めよう。
扉を開けて、入る。
ただそれだけの事なのに、なかなか思うようにならない。
それでも震える手――まるで僕の手じゃないような感覚だったけど――で、その扉をそっと押し開けた。
*
扉を開けてすぐ、目の前に大きな玄関が広がっていた。
誘われるように数歩歩いても、まだそこは土足のエリアだった。
本当に温泉旅館と言っていいほどの広々とした玄関口。スリッパもきちんと揃えられており、左手には懐かしい個別の靴箱が、木製の鍵と共においてあった。
右手は部屋になっているのだろう。閉められたドアには管理人室と書いてある。
そして中央に置いてある衝立――そこには龍と虎が描かれていた――の前で、三人の少女たちが――お互いに一歩も引かない意思をみせながら――言い争っていた。
「いや、明らかにそれはおかしいよ、
「それはないし。第一、奈良には
「それは仕方がないからだよ。どう考えたって、知名度はこっちが上。大化の改新を知らない人はいないよ。歴史上の偉人だってたくさんいるよ。
「
「ちっちっちっ。甘いよ、
「なぜでおじゃる? 大化の改新でおじゃる。歴史の転換点だと思うでおじゃる。
「だから、平安ちゃんは『おじゃる』なんだよ。いいかい? 歴史の転換点の大きさで語るなら、『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや』だよ! なんて偉そうなんだろうね!
「それはつまり、
「僧でおじゃるな。奈良は僧があついでおじゃる。やはり地名の優位というものがあるでおじゃる。それにしても、会心の一撃がその程度の扱いだったとは、初めて知ったでおじゃる」
「そんなことないよ! 何と言われても、奈良の主役はアスカだよ!
「うん。
「全部罰当たりだし! そんなの絶対おかしいし!
これまでの話の内容から、奈良の主役の座をめぐっての言い争いだというのは分かる。しかも有史以来、かつてここまで奈良が熱く語られたことがあっただろうか?
――残念ながら、その答えは――正史編纂委員会のこの僕ですら――持ってはいない。
ただ、
しかし、それは別にしても
気負って主張していたのは
ゆったりとしている鶯色の上着の下に、ストライプ柄――白、黄、緑、青、赤と結構派手な色がついている――のスカートのような
それに対抗していたのは
上は、薄い藍色の服。その上に
服装の違いは着ている服の種類もあるけれど、その色使いが大きく違っていた。
しかし、
そして間に入ってとりなしていたと思われるのが、
十二単を着こなす姿は、まさに平安貴族そのものだ。長い髪をふんわりと結い上げ、頭全体を大きく見せている。
恩師から教わった言葉がよみがえる。
そして、目の前にはそれを体現したかのような
感動で涙が溢れそうになった時、不意に
「ちょっと待つでおじゃる。ソチは何者でおじゃる? いつからいるでおじゃる? 勧誘ならよそに行くでおじゃる。新聞もテレビも、向こうで一括で払っているでおじゃる」
――君、さっきから真正面で僕を見ていたはずだけど……。
確かに目はあったのはさっきが初めてだ。でも、視界には入ってたと思うんだけど……。
――ああ、完全に無視されていたんだね。
でも、まさか視界に入っていても、気づいていないふりが出来るとは思わなかった。
「ああ、ごめんよ。勧誘でも、取立てでもない。ついでに言うと配達でもないよ。あまりに熱い議論だったから邪魔したら悪いと思って待たせてもらっていたよ。僕は正史編纂委員会からきた――」
「そうでおじゃるか。では、いいでおじゃる。それと、
人の説明を最後まで言わせない上に、まるで興味が無くなったかのように話を戻す
そのあまりのマイペースさに、
「
「字が違うだろ! 委員会も何故疑問形になる?
言葉は態度を示すように、
「そうだし、
「何気に社会問題から、個人の問題にすり替わってない? 減ってないよ? それにそう言いつつも避けてるよね、それ? 僕から離れるんじゃなくて、精子という話題から離れてくれないかな?」
「じゃあ、何だっていうんだよ。それに何の用だよ、精子変身」
「変に略すな! それに、全く変わってないよな? まあ、変身されてもこまるけど……。って、いい加減離れろよ、その話題!」
一歩、また一歩。彼女たちは僕から離れ始めていた。
いや、だから……。
その話題から離れてほしいんだけど……。
しかし、まずい。
これは最悪の出会いになってしまっている。
このままじゃ、深刻な社会問題を語る変質者の一員になってしまう。しかもそれは、正史編纂委員会そのものが、時代に誤解されてしまうことになる。
「なになに? どうしたの?」
しかも、状況は悪い方に向かっていた。
奥からも、二階からも、様々な
見るからに狩りしてますって感じの
その時代にあった服装や感じで
「皆、静まるでおじゃる。今までのことをまとめるとでおじゃる。この者は現在減りつつある、変身する精子でおじゃる」
「しねーよ!」
思わず大声を出してしまっていた。
一瞬の静寂の後、漏れ聞こえてくるのは訝しむ声。中には『死ねよ! って言ったよね。敵?』なんて声も聞こえてきた。
まずい。まずい。まずい。まずい。
どうする? どうする?
「大丈夫だし! この人はかわいそうな人だし!」
「うん、多分無害だよ。顕微鏡サイズのセクハラだけど」
ああ、もういいよ。それ以上君たち、何も言わないで……。
でも、どうやったらいい?
この状況でどうやったら誤解は解ける?
言えば言う程変になる『正史編纂委員会』は、実は一般的に言うと変な組織なのか?
じりじりと痛い視線が突き刺さってくる。ヒソヒソ声が心を締め付けてくる。
もう逃げたい。いっそのこと、逃げ出したい。
――とそう思ったその時。勢いよく開かれた扉と共に、快活な声が背中を通り越していった。
悶々とした気持ちを後ろから吹き飛ばすような、そんな明るい声だった。
「たっだいまー! 帰ったぜよ!」
「ほらほら、
「まあ、ウチに言わせたら、
「わん!」
続いて二つの声と一匹の鳴声がそれに続く。
僕の後ろで止まった三人と一匹。何やらじっと背中を見られている気がした。
「
いつの間にか目の前には、鎧をつけた
「なるほどでありんす。わちきは
「まあ、細かいことはいいぜよ。ワシは
「そうだねぇ。まずは、誤解を解いてやろうかねぇ。ほら、こっち向きなよ。皆も来て読んでみな。アンタもさっさとこっち向く。ウチの
言われるままに反転したところには、白く可愛い小犬が尻尾をふって待っていた。
「よろしく――」
「よろしくね。
「えへへ。早く教えてくれたらよかったんだよ。いじわるだよ」
「まったくだし、後ろ向いてくれたらわかったし」
「そうでおじゃる。まったく三人に騙されたでおじゃる」
妙に理解の早い三人。でも、何気に僕が悪いと言っている気がする。特に
でも、
――でも、どうして?
これまでの流れから、手は自然に背中にいく。
――なるほどね。一気に理解が降ってきた。
『この人は
――よし、お礼の前に後で文句を言おう。
半ば引きずられるようにつれられた管理人室。
新しい僕の居場所と新しい出会いに、今は感謝しておこう。
僕と
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