第十七話 過去との決別


「……本当、遊ぶつもりなんだね」


オーガは私が剣を握って立ち向かうそぶりを見せても、

ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたまま動こうとしない

あくまで、私が逃げるか抵抗をしているところを叩き殺そうとしているのだ


(ああ、知ってる……この感じ)


虐められていたころの自分、それを楽しんでいた彼女たちの構図そのものだ

私が頭や体を庇うたびに、それを撥ね退けたりして

私がどこかに逃げるたびに、じりじりと追い詰めてきて

顔を見ると、いつもいつも楽しそうだった。あの人たちと一緒


「だったら、なおさら負けるわけにはいかないや」


過去の自分が逃げ出したのと同じ状況

ならば、ここで立ち向かい生き残ってこそ、自分が変わるための第一歩になるような気がするから

オーガという普通の旅人ですら恐れ、戦うのを避ける魔物

私の死は約束されていると言っても過言じゃない

だけど、だからと言って諦めるわけじゃない

諦めていいわけじゃない

この命は、私一人ものじゃないのだから


「考えるんだ。オーガの弱点、急所を」


オーガは中級の風魔法を容易くかき消したりするほどの力があり、

戦士であるエドモンドさんを叩き潰せてしまう怪力がある

ただ、ロロさんのように素早く動く相手は苦手のように感じる


「……パワータイプ。速さは並。だったら全速力で動き続ければ数回程度の攻撃は出来るかな」


レリックさんに関しては一直線に逃げていたから狙いやすかったというだけで、

本当に全力での逃走劇なら可能性があったように思う

だったら、ここは一か八かそこに賭けて動いていくしかない


「……ふぅ」


大きく息を吐いて、精神を集中

一度は漏らしてしまうほどの恐怖があったオーガを真っ直ぐ見据える


強靭な肉体に歯が通る可能性は低い

だけど、アキレス腱にダメージを与えればどんなに巨人だって膝をつかせられるはず

弁慶の泣き所に突撃したって良い。そうして低くなったところに


「眼球への一突、口への魔石投入……だね」


我ながら言っていることは酷く残酷なダメージの与え方だったけれど、

そうでもしなければ勝てないのだから仕方がない

これはいじめっ子なんか比にもならない本気の命のやり取りなのだから

容赦も慢心も優しさも何もいらない


「星の雫よ。集いて導く輝きとなれ!」


ゴブリンの時のように光を凝縮し、オーガの顔に向かって放り投げる

まだ日が高く出来るだけ近くでの炸裂でないと意味がない

けれどオーガの顔は遠く届かないことは明らかで、それをオーガも分かっているのだろう

にやにやと笑うままで動くことはなく、光は急激に輝きを強めて――破裂する


「ッ!」


その瞬間、オーガの左手が動いた。地面を掠めるような低軌道

彼にとって単なる手の動きであっても当たれば致命傷の一撃、躱すために全力で走った

後ろに下がるように逃げても、オーガが身を乗り出して行えば私は逃れきることは出来ないだろう

ましてや、後ろに逃げるということは彼に背を向けるということになる


(背中を向けるわけにはいかない!)


だから、走るのだ

右からくるオーガの手と同じ方向に、全力で

オーガの方に詰め寄っても足がある。後退しても隙が出来る

左手の方に詰め寄っても、前に出されたら直撃は必至

なら、選択肢は逆らわない方向に行くしかなかった


「敵から目を逸らさず、ちゃんと視界に入れて……」


左手の流れに逆らわないということは、オーガの右手の攻撃範囲に飛び込むということで

下手に目を離せば死角からの追撃となって叩き潰されたりしてしまう


「動いたッ!」


オーガの右手が動き、左手と共に挟み撃ちの軌道へと入ったのを確認してから全速力でオーガの足元へと走り込む

さっきは右手がまだ支えとして機能させやすい位置にあったせいで、足もまた攻撃するための部位として残されていたけれど

両手を差し出した今、足はオーガの体を支えるためのものとしてしか機能していない

もちろん、それでも蹴り飛ばすくらいのことは出来る可能性があった

だからこそ――右足を狙う


「その足が、貴方の弱点だわ!」


賭けの理由は馬車に丸太を投げる時の体重移動だ

右足を置いた後、左足に重心を入れ替えていたのは、右足に不安があった可能性がある

ただそれだけ、私らしくない希望的観測

だけれど、らしくないからこそ私は選ぶ


「おぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


生い茂る雑草を削り取りながら迫る両手の音が耳に響く、

私の全力と同等の速度だと風を感じる

少しでも緩んだら負けだ。躓いたら負けだ


「とどけぇぇぇぇぇッ!」


飛び込むような形で地面を蹴り飛ばし、斜めに構えた銅剣を右足へと振り下ろす


「!」


鋼に棒を叩きつけたような衝撃だった

斬撃にも打撃にもならない、自滅になったのだと衝撃に震える手が嘆く


「うぁっ――かはっ……う゛っ」


飛び込んだ私はその手での受け身を取り損ねて地面を転がり、慌ててオーガの背面へと駆け抜ける

その直後にはもう、私がいたところは怪物の重厚な足によって蹂躙されていた

そこで回避しきれたと気を抜いたわけじゃない。けれど


「にぎぃゃっ」


ただ、想定外のカウンターを喰らった焦りに私の視界からオーガの半身が消えてしまっただけ

そのミスが、その些細なズレがオーガの平手打ちが私に直撃する隙を生んだ


(あれ……?)


一瞬、何がおこったのかわからなかった

地面についていたはずの足がバタつき視界がぐるぐると回ってグチャグチャになっていき、

徐々に熱に似た痛みが体中に広がり始め、叩き飛ばされたのだと気づいた瞬間に体が地面へと叩きつけられる


「がはっあっ……!」


肺の中の空気がすべて押し出され、内臓が潰れる強烈な痛み

二度、三度、四度とバウンドし、身を削っていく痛み

エイーシャさんのように木に激突して即死することがなかったのは幸いなのかそれとも不幸なのか

私の体は動くような気配がまるで感じられなかった


「ぁ……あ……」


ぼやけた視界の中でもオーガが笑いながら私の方を見つめているのが分かる

私が痛みと苦しみに絶望しながら死ぬのを楽しみにしているかのような

あり得ないほどゆったりとした足取り


(リン……)


内側からの熱を持った鈍い痛みが衝撃の酷さを物語り、

視界の端に見える左手はあり得ない方向にねじ曲がっていて

立とうという意思がどれだけ強くても、身体はピクピクと惨めに痙攣するだけだった


(帰るって……約束したのに……)


だんだんと死に向かっていっているのが分かる

オーガにとって、そんな私は滑稽で愉快な見世物でしかないのだろう

あの苛めっ子たちと一緒だ


(最期まで……嫌な思い出なんだ……)


上履きに詰め込まれた汚物、教科書に刻まれた誹謗中傷

椅子の上に塗りたくられた異臭のする液体

それを前にして立つ私の反応を見て楽しむあの人達と一緒


(こんなところまで追いかけてこなくたっていいじゃない)


叫び声は心の中にとどまって、涙が溢れ出していく

楽しい村での生活を奪われた

明るく暖かで、幸せだった家族の命を奪われた

そのみんなの弔いに手を貸してくれた旅人さんたちの命までも奪われた


(なんで……なんでよ……悪いことなんて何にもしてないのに……)


ただ普通に生きていたかっただけだ

優等生とか、人気者とか、目立つような人間になろうとしたわけでもない

ただただ、日常の中に埋もれて消えるような普通の平平凡凡なありふれた人生を歩みたかっただけだ


それを叩きのめされ、逃げた先にあったこの世界

触れた家族は温かかった。人々は優しかった

ミスティという少女の存在を奪ってしまったという罪悪感こそあったけれど

私は精一杯生きようとしてきたつもりだった

ミスティの為に、優しくしてくれる家族の為に

どんなことだって引き受けて、手伝って、この平和な世界の一部になろうとしてきた


(それがいけなかったの? それが……世界は許せなかったの?)


負け犬には贅沢な人生だとでも言いたいのだろうか

それとも、私のような弱者はこれほどまでの絶望の淵から這い上がれという神の啓示とでも言うのだろうか

それとも、私は死んでも殺されることなく苦しめられ続ける運命にあるのだろうか

虐めや虐待はクラスメイト達からではなく、もっと大きな根本的な存在からのものだったのだろうか


(ふざけないでよ……おかしいよ……酷いよ……)


魂レベルでの残酷な運命だとしたら、私は永遠に救われることはないだろう

ここで死んでもまた、別の人間になって同じような悲劇に見舞われることだろう

そんな未来が待っているのに……死ぬのなんて嫌だ。

また、苦しむ新しい人生を得るために死ぬくらいなら……


(……どうせ、死ぬなら……懸けても良いよね。お母さん)


ミスティのお母さんから教わり、使うことを禁止された回復魔法

失敗すれば自滅して死ぬ可能性もある危険極まりない魔法ではあるけれど、

どうせこのままいても死ぬだけなら生き残るための抵抗をして死にたいと思った

私はもう、ただ諦めるだけの弱者にはなりたくない


(失敗したらごめんねミスティ……でも、私は抗いたい)


自分の手は動かせないけれど、目を瞑って自分の体の状況を感じ取っていく

体のどこを、どのように治さなければいけないのか

内臓の痛み、両手両足の砕けた痛み、肉の断ち切られた痛み

もはや生きているのが奇跡的ともいえる状況下での、起死回生の一打


(……精霊よ。その御手の寵愛を授けたまえ、与えたまえ)


体が疼く。少しずつ、

魔力が奪われていくのと同時に、魔法が発動し私の体を包み込んでいくのが分かる


(哀れなこの魂にどうか、慈しみ深き御心を)


どこからともなく風が吹く

優しくて、温もりのあるそれは私の体を包み込み

体中の違和感はだんだんと遠ざかり始めて、意思に従って指が動くのを感じた


(痛いの痛いの……飛んでいけ)


ねじ曲がっていた左手、見えなかった右手、感覚のなくなっていた両足

残念ながらねじ曲がっていた左腕は完治させることは出来なかったけれど、

魔石を握るくらいのことは出来るし右腕は問題なく動くし、両足も少しの間なら走るくらいならできるだろう


「……そうだよ。こうやって、立ち向かえばよかったんだよ」


回復魔法と言っても万能ではなく身体は軋み、

次に一撃でも入れらたら死ぬことが明白なくらいには限界を感じる

だけど、オーガのニヤニヤしていた顔が驚きに変わったのが見えた


「馬鹿だよね……本当。見ててくれるんだもん、隙を見せてくれてるんだもん」


ありがたくそれを頂戴して反撃に移っていればよかったんだ

だけど、そうしなかった自分がいたからこそ、私はここにいて、こうして立っているのだ


「私の過去はここで断ち切る。貴方には悪いけど……苛めっ子の代わりに死んでもらう!!」


もう一度全速力で駆けだす。

口の中に血の味が広がり、中途半端に治っただけの内臓の傷が開いたのを感じる

それでも、私は全力で駆け抜ける。怯んだら駄目なんだ


(痛みも、苦しみも、辛さも……全部、背負って走れ!)


立ち止まったら今までの私と何も変わらない

笑われながら机や椅子を拭いた私、汚された上履きを一生懸命に洗う私

トイレで上履きを舐めることを受け入れた私、叩き飽きるの待つだけだった私

そんな抵抗を一切しなかった惨めな私と何も変わらないままではもう、いないと決めたんだから


「……?」


もう寸前まで接近していたオーガは死にかけから一転、歯向かった私に驚いて右足を下げ、

不自然に体勢を崩して右手を地面につく


「今のは」


オーガはすぐに体勢を立て直して後ろに下がっていくけれど

もしかして、と、右足を注視する


「……見えた!」


オーガの右足からドロドロと流れ出していく緑色の液体

人間と違う緑色の血液……つまり、そこがオーガの弱点

思えば、地響きを鳴らすほどの足音が無くなった時点でおかしかったのだ


「ロロさんだ……」


あの登場から、私に追いつくまでの間の怪我、その理由はたった一つしか考えられなかった

あの人だって私なんかよりも優れた剣士で、強い誇りがあったはず

遊ばれていると分かったうえで一太刀も入れることなく殺されるなんて認められるはずがなかったんだ


「っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


元々、オーガが詰めていてくれたおかげで近かった距離

そこから下がろうとして右足の負傷によってバランスを崩したタイムロス

開いた傷口によって足並み揃わないオーガと死に物狂いで近づく私

追いつくのは、至極当たり前の結果だった


「これ……!」


オーガが雄叫びを上げながら勢いよく両手振り下ろす

蚊でも叩き潰すかのような動作に思わず笑いながら、勢いよく銅剣を地面に突き刺して――飛び上がる


「止まるもんかッ!」


瞬間、オーガの両手に叩き潰された銅剣の砕けたような音が耳に届く

お父さんと、お母さんの形見

その崩壊を背中に受けながらも、勢いを乗せたまま受け身をとって地面を転がって飛び起き、

オーガの右足に触れる。絶対に届かなければいけない手が、届いたのだ。


「精霊よ! その御手の寵愛を授けたまえ、与えたまえ……」


私が自分に使った精霊魔法

相手に触れている分、成功率は格段に跳ね上がるだろう

だけど、私がするのは回復じゃない


「この哀れな者にどうか、慈しみ深き御心を――切り開けッ!」


オーガの右足の小さな刺突の痕は瞬く間に広がり、

少し遅れてからつながりが絶たれたことに気づいた血管から血飛沫が上がる

魔法の暴走、効果の反転だ


「ガァァァァァァァァァ!!」

「!」


絶叫を上げたオーガが倒れ込むのに巻き込まれないように後退すると、

オーガの開いた口に赤い光が沸き立つのが見えた

それは、村を焼き払った悪魔の輝き。私が討つべき仇への導き


「させない!」


魔石に自分の残ったすべての魔力を込めて、開ききったオーガの口の中に投げ込む


「私はお前に……お前たちなんかに、世界なんかに……神なんかに負けてなんかやるもんかッ!」


自分の思いを叫ぶ

もう逃げない、もう屈しない。そんな弱い自分とはここでお別れだ

瞬間、オーガの頭は魔石に封じ込められた爆裂魔法によって吹き飛び、その轟音と爆風に私の体も飛ばされて転がる


「わぁぁぁぁぁ!?」


大切な部分を失ったオーガの体は止めどなく血を流しながら倒れ込んで

痙攣することなく完全に沈黙すると、辺り一帯には静けさが戻っていく


「う……ぅ……爆破範囲忘れてた……」


ふらふらと立ち上がりながら、頭から消えていたことに悪態をついてオーガの死骸に目を向ける

起き上がるような気配はない。完全に死んでいるのだろうと周りの空気が教えてくれた


「みんな……」


失ったものはたくさんある

それは親しい人から親しくない人まで私にとってはかなり多くの犠牲だった。

たった一日の付き合いだった旅人の人達


一人で逃げたレリックさんには失望したけど、あの人のおかげでオーガは武器を手放した

強い魔法を見せてくれたエイーシャさん。村でも、敵に囲まれた時も心強かった

オーガの不意を突いた一撃からみんなを守ってくれたエドモンドさん。いてくれなかったらあの時点で死んでいた

そして、オーガに一太刀……傷をつけてくれた、私を逃がしてくれたロロさん。

あの人がいてくれなかったら、その一太刀がなかったら私は負けていたかもしれない


「ありがとうございました……」


ミスティを産んでくれた、育ててくれた両親。

大切な子だと温かく接してくれた村の人達


「仇は……とりました……」


ふと体の力が抜けて私はその場に倒れ込む。もう、両手も両足も動かせそうになかった

帰らないと……シルキーさん、フレシアさんにお礼を

リンにただいまって、ちゃんと……約束守らなきゃ……


(リン……)


どれだけ思っても体は動かずに意識は遠のいて、私はそのまま気を失ってしまった

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