第十六話 死に染まる舞台で少女は剣を握る
「風よ! 地を駆ける早馬のごとくかの者を撃ち払い給え!」
詠唱に従って風が吹き、産まれた竜巻
中級の風魔法でありながら、攻撃を目的とした威力のある魔法
エイーシャさんはそれを勢いよく振りかぶって、オーガに向かって走らせていく
「凄い……!」
地を這う竜巻は早馬が駆け抜けるように周囲の木々を蹴散らして移動し
時間が経つにつれてその勢力を増していく
数十メートル近くあるオーガの体に迫る勢いの暴風
私達の体さえも引き込もうとするそれは次第に強烈な台風のように変化して
巻き上げた葉っぱや木の枝がすべてを切り刻む攻撃魔法のような役割を持ち始めたのだろう
巻き込まれた狼やゴブリンたちは悲鳴を上げ、肉片が飛び散るのが見えた
(怖い……危ない……でも、だからこそ)
いけるかもしれない。
お父さんの、お母さんの、村のみんなの
そして、エドモンドさんの仇であるあのオーガを倒せるかもしれない
そう期待に膨らむ私の一方で、エイーシャさんは私のすぐ横を通り過ぎ、元の道へと真っ直ぐ向かう
「えっ、エイーシャさん!?」
「あんな魔法じゃあいつは倒せない! 今のうちに逃ぎゃっ」
「え……?」
エイーシャさんの姿が一瞬にして消えた。
エイーシャさんはまるで瞬間移動したかのように私の前から姿を消して、
それに私の感覚が追いつくのと同時に、
少し遠く、彼女が向かおうとしていた方向から水風船の炸裂音のような何かが聞こえた
(あ……)
目を向けるのが怖かった。でも目を閉じるのも怖かった
顔を背けたくても体が震えて動かない
見てはいけないとは思うけれど、身体はそれを確認しなければいけないと強制されているかのように
正面を向いてしまった
そんな私の視界に映る、変わり果てたエイーシャさんだったモノ
「あっあぁ……うわぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
大声を上げてはいけない。アレの気を引いてはいけない
頭では分かっていても、叫び声を上げずにはいられなかった
恐怖ゆえに、座り込むことすらできない
ただただ呆然と立ち尽くして、下腹部から惨めったらしく漏らしてしまう
その恥ずかしさを感じる余裕さえ、なかった
「そんな……なんで……あ……あぁ……」
ついさっきまで彼女は目の前にいたのだ
私の出来ない魔法を駆使して魔物を蹴散らし、あのオーガにでさえ匹敵するかと思われた魔法を放った
私なんかよりもはるかに優れた彼女が……一瞬で殺された
エイーシャさんが衝突した木は医師が衝突したのかもしれない
上部分が完全に吹き飛んでいて、刺々しい部分に体の一部が突き刺さっているのが見える
「うっ……ぇ……あ゛っ」
慌てて口を押えても遅い
強烈な血なまぐささと、見てはいけないほどのグロテスクな光景を前に
私の体は耐え切れずに、胃の中身を逆流させていく
「うえぇぇぇぇぇ……げほっ……けほっ……うっ」
足の力が抜けてその場に沈むように膝をついても、吐き気は収まらなくて
吐いて、吐いて、身体がどんどん傷ついていくのを感じた
胃液に傷つけられるのどの痛みと、呼吸を出来ない肺の痛み
だけど、そんなことが気にならないほどの絶望が……目の前にはあった
「勝てるわけがない……逃げられるわけがない……無理、無理だよこんなの……」
威勢よくみんなの仇をとると誓ったけれど、無謀だった
オーガは笑う。エドモンドさんを叩き潰し、エイーシャさんを魔法ごと小石で弾き飛ばしたこと
人の命を奪ったことなんて自分にとっての遊びであるかのように、大きな口で笑って見せる
「目の前に……いるのに……っ!」
このオーガがお父さんの仇、村のみんなの仇であることは明白だった
けれど、剣を握る力がわいてこなかった
立とうという力がわいてこなかった
あまりにも……圧倒的過ぎた
そんな絶望の淵に立たされた私の体は急に引っ張られて、ロロさんの顔が視界に入った
「嬢ちゃん落ち着け!」
「ロ……ロロさん……」
生き延びていたロロさんは私に並ぶと、エイーシャさんを一瞥して悪態をつく
レリックさんは気づいたらどこにもいない
初めから弱気になっていたから逃げたのだろう……けれど、それが正解だった
逃げるべきだったんだ
ううん、初めからこんな場所に来るべきではなかったんだ
「嬢ちゃん……確か、ミスティだったか。魔法は使えるか?」
「ひ、光魔法くらいなら……でもっ、こんなの……」
「そうか……? まぁ、夜だったらなんとかなったんだが……そうか」
「なにかあるんですか……? 何かできることがっ」
「落ち着け! 騒いだってどうしようもない。夜なら目くらましにはなるかと思っただけだ」
夜ならば全力で光を打ち上げればオーガの目くらましと王国への信号弾になる
それで誰かが気づくという保証はないけれど、
もしかしたらシルキーさんたちが気づいてくれるかもしれない
そのあと、到着するまで生きている自信はないけれど
上手くいけば、目くらましの後の逃走劇で馬車に乗り込み逃げられるかもしれなかった
(でも、それも運が良ければの話)
丸太一つ振り下ろされたら最期、私達は今度こそ叩き潰されてしまう
背の高い木の丸太はその分、直径もある。
だから、人間の足で逃げ切れる範囲以上に潰せるという利点がある
冷静になっていく頭でも……考えられるのは死に方くらいなんて……駄目だ
「しかし……あいつは俺たちと遊ぶ気らしいな。良いご身分だ」
「遊ぶ……?」
「見てみろ。俺たちを見ながら笑ってやがる。攻撃さえしたら一瞬で蹴散らせるのにだ」
「そんな……そんな……ごめんなさい……私っ」
この依頼はシルキーさんがしてくれた依頼
だけど、もとはと言えば私が持ち込んだ依頼だったのだ
つまりそれは、ロロさんたちを死地に追いやったのは私ということでもある
しかも、こんな魔物に弄ばれて殺されるなんて言う、屈辱的な死に方
必至に行う命を懸けたやり取りならまだ、プライドが傷つくことはないかもしれない
けれど、これはそうじゃない
(まるで、大人と子供)
それも良い方に考えてそんなレベルの話だ
月とスッポンなんてことわざがあるけれど、その比じゃないほどに差は大きい
やろうと思えば、オーガは小指で私達を殺すこともできる
押し付けられて、押しつぶされていく
にやにやと笑うオーガに観察されながら、内臓が潰れて血を吹き出して死んでいく
(小学生の時の、男の子みたいだ)
遊びで蟻の足を引っこ抜いたり、トンボの羽根を千切って放置し
それがどうなるのかを観察したり、虫眼鏡に直射日光を当てて高温状態にして焼き焦がす
今考えれば酷く残酷なことを、その子たちは遊びとして笑いながらやっていたけれど
(本当に……それと変わらない)
「ごめんなさい……」
「何謝ってんだ、今はそんな――」
「私なんです……この依頼をシルキーさんに頼んだのは
旅人の皆さんの本当の雇い主はシルキーさんじゃなくて私なんですっ!」
そんな場合じゃないというのは解っていた
けれどどうすることもできないのなら、オーガが待ってくれているのなら
ロロさんにだけでも、謝らせてほしかった
だけど、ロロさんは「何言ってんだ」とぶっきらぼうに言って私の額に手の甲を当てる
「そんなことは俺でも分かってたぞ。どうせ、あいつらも気づいてただろうさ」
「え……」
「分かるだろ。あの村の生き残りって知らされた時点で確信もした
あの女はただの仲介人でしかなく、あんたが本当の依頼人だったんだろうなってな」
「それでも、恨まないんですか?」
「俺たちは旅人だ。好きに生きて好きに死ぬ。そう言うやつらの集まりだ
今日だって金のためにここにきて、金のために命を落とした。ただそれだけの、普通の死に方だ」
ロロさんはごく当たり前のことだといいながら、笑う
こんな状況になって初めて
私はこの剣士、クロロイという人がどういう人なのかを分かった気がした
でも、もう遅いんだ。ここで私達は死んでしまう
「そんなこと言われても……困ります」
「知るか。俺たちのことを勝手に解釈して謝られる方が困るんだよ」
そう言ったロロさんは笑みを浮かべて
「俺たち旅人はそう言うもんなんだ。だから謝るなよ」
「でも……」
「分かってくれよ。ミスティ」
ロロさんにとって、私に対しての一生に一度のお願い
言葉通りのその願いを否定することが出来なかった私は、
無意識に噛み締めていた歯を緩めて、軽く頷く
「けど、男はそう言うわけにはいかない」
「ロロさん……?」
「ミスティ、あんたはそっちの茂みに飛び込んで全力で走れ。いいか?
出来る限りリボンの方向を思い出しながらだぞ。迷ったら終わりだからな」
それに私が何かを言うよりも早く、ロロさんは私の体を茂みの方に突き飛ばした
それはとても、ゆっくりに見える光景だった
突き飛ばされた私の体は宙に浮いていて、突き飛ばしたロロさんの苦笑いが見える
何をしようとしたのかわかった
何をしてくれたのかわかった
ロロさんは、私を生かそうとしてくれているのだ
「ロロさんッ!」
「どうせ死ぬなら女の為に死ぬのが男ってもんだ――生きろ! ミスティ!」
ロロさんが全速力でオーガの方へと駆け抜けていく
それと同時に、オーガが木の棒で地面を何度もたたき始める
「私も……っ、ううん、駄目だ。ロロさんの為にもこのことを報告するんだ」
もう一度飛び出そうとした体を、心が止める
今の私が飛び出して行っても、ロロさんの想いを無駄にして死ぬだけで、何もできない
「…………」
ちらっと眼を向けた先では、オーガは本当に楽しそうに笑いながら地面をたたいていた
まるでもぐらたたきを始めて遊ぶ子供のように、力いっぱい棒を叩きつけて遊ぶ
その下を、ロロさんが全速力で駆け回り、翻弄する
そのお遊びによって嫌なくらいに地面が揺れる。でも――この程度は慣れている
「私……っ……すみません……ロロさん!」
全力で森を駆け出す
ロロさんを見殺しにするのは嫌だった
でも、出来る事なんて何一つないんだ。無駄死にすることしかできないんだ
だから――走れ
自分に強く命令する。
決して止まるなと、決して迷うなと
ロロさんの最後の願いを聞くために私は全力で出口へと走った
生き延びて、このことを王国に伝えるために
生い茂る木々の先端が体のあちこちを斬りつけていく
その痛みなんて無視して走り抜ける
その間も、横目に見える目立つリボンは視界から外さない
「はぁっ……はっ……痛っ……はっ」
地面の揺れは続く。続く。続く。続く……そして、止まる
「……ありがとうございました」
それは私を救ってくれた剣士が命を落とした証。
冥福を祈る黙とうのような沈黙
私は走った。歯を食いしばって、自分が泣いているのなんか気にせず走った
そこで止まっても、無駄にしてしまうから
「見えた!」
ロロさんの犠牲によって森を抜けた私そのすぐそばには馬車と、
地響きによって暴れる馬にてこずるレリックさんの姿があった
「レリックさん!」
「う、うるさい! 俺は逃げるんだ!」
「馬は乱暴に扱ってもダメなんですよ!」
「邪魔するな!」
「っ!」
近づいた瞬間、蹴飛ばされて尻餅をつく
それで地面に多く体を触れたからこそ、私は気づけたのかもしれない
ゆっくり、ゆっくりとオーガの迫る足音に
それは木々の高さを超えて頭を見せ、慄いた馬が悲鳴を上げて走り出す
「うおっおぉ! ははっ! やったぜ!」
手綱を握っていたレリックさんはそのまま馬にしがみつくようにして逃げ出し、
歓喜の声を上げて私達へと振り向く
暴走した馬は危ないけれど、まず戻ることはないということからの安心からかもしれない
けれど、オーガは見逃そうとはしなかった
丸太を持ち、右足を置いた後すぐに下げて左足に重心を乗せる構えをとると、
唸り声をあげて、丸太を放り投げる
「あ……」
丸太は一直線に馬車へと向かって直撃
荷台も馬もレリックさんも関係なく巻き込んで叩き潰して転がっていく
衝突と落下の衝撃に地面が揺れたけれど……それだけだった
また、一人の命が簡単に消えて行ってしまったんだ
「たほおああめ」
「う……」
オーガは私の理解できない言葉で何かを言うと、嫌な笑みを浮かべながら私のことを指差す
きっと、あとはお前だ。俺を楽しませろ。そう言ったのだろうと思った
私の手元には銅剣と、シルキーさんからもらった魔石しかない
でも、エイーシャさんの魔法を簡単に吹き飛ばしたオーガに投げ込んだところでダメージを与えられるとは思えない
「ここで……終わるのかな……」
村のみんなのお墓を作る事は出来た
けれど、シルキーさんやフレシアさんとの約束を守ることは出来ない
ロロさんが命を懸けてくれた意味を失くしてしまう
そして――リンとの約束も破ることになってしまう
「ちがう。そんなの……だめだ」
首を振る
私が神でどうなってしまうのを、一生懸命に考える
リンが本当に一人になってしまう
ロロさんが最後に見せてくれた思いを無駄にしてしまう
なにより、ここで何もせずに諦めてたら何も変わらないじゃない
(そうっだよ、何も変わらない……変えられない)
虐められて、虐待されて、耐えられなくなったからって自分の命を捨てた
向こうの世界の私と何も変わらないじゃないか
それでいいの? そんなんでいいの? 変わるんじゃなかったの? ねぇ、私……
「諦めるわけには、行かないんだ」
銅剣を強く握りしめて、身構える
諦めて死ぬことだけは絶対に許されない。
ロロさんが逃がそうとしてくれたこの命は大切な命なんだ
逃げきれないのなら立ち向かえ……最後の最後まで足掻け!
「私は、生きるんだ!」
自分自身を奮い立たせようと、雄叫びに似た声を上げる
オーガは相変わらずにやにやと笑っていて、遊び始めるのを期待して待っている
その慢心、その隙をついて確実に殺すと私は決めた
そうしなければ、勝ち目はない。だから、オーガが本気になる前に決着をつけるんだ
(行こう……私)
私はみんなの仇、そして、自分自身から逃げないために戦うことを決めた
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