第3話
机に座って最初にした事はそこに置いてある過去問を解く事だった。だが、そこには時計がない。もしかして、また罵られないといけないやつか…。
「時間はどうやって測るんだ?」
『私たちが測るよ。そこに大きな太鼓があるでしょ?終了時には、あれを叩くわ』
そう言った理桜の声は心なしか、ウキウキしていたように聞こえたが、俺が欲しいのはあくまでも時計だ。時間がわかるあの時計が欲しいのだ。
「数字のある時計が欲しいんだけど?」
『あなたの目の前にあるじゃない」
相変わらずの口調で翼は言った。目の前を見ると、目の前には大きなタイマーがあった。時間はどうやら翼がセットするらしい。だがこんなもの、さっきまでは、絶対になかった。
『感謝なんかされても喜ばないんだからね』
「そりゃどうも」
いただきましたよ。画に描いたようなツンデレ発言。でも、まあ翼の機嫌がいいのなら別にいいか。
『それじゃ始めるよ。はじめ!』
理桜の合図で過去問を解き始めた。今、俺が解いているのはセンター試験だ。科目は英語。問題自体の難易度はそこまで高くはない…はずなのだが、点数は取れない。
とは言っても泣き言は言ってられない。とにかく必至に解いた。
一時間二十分後俺の右隣にある太鼓が凄まじい重低音を響かせた。
『そこまで』
理桜の声で俺は鉛筆を置いた。そして、答案用紙であるマークシートを翼はひょいと持つと近くにある機械にセットした。
…やっぱり俺の気づかない間にどんどん色々な物が増えている気がする。
『何よこれ!酷いわね。こんなの大学受けられるわけないじゃない!』
「辛辣だな」
そのままの感想を俺は口にした。
『私にも見せて』
理桜が翼の持つ俺の正答率の書かれた紙を覗き込んだ。
『これは…なんとも言えないわね。やっぱり真面目に私たちを使ってもらわないと…』
『そうね…。きっと私たちの思っていたりより裕哉はキチンと取り組んでいなかったのよ』
理桜も翼も悲痛な表情をしている。更に、俺を哀れむような目で見ている。なんだよ。俺だって人間なんだからそんな目で、しかも二人から見られたら心は傷つくんだぞ。多分言っても無駄な気がするから言わないけど。
『これは強化プログラムを組む必要がありそう』
『さあ裕哉私たちを怒らせた気持ちはどう?私たちが地獄の…もとい素晴らしい強化プログラムを用意するからそれをして頂戴。今すぐね』
地獄のってどんなのやるつもりなんだ?俺には想像もつかない。ただ…
「ハイ」
これしか答える事はできなかった。体が自然と硬直してしまっている。拒否反応を示しているのか、そもそも体が危険を本能的に察知してしまっているのだろう。これから起こるであろう地獄絵図に対して。
『さて、覚悟はいいかな?』
「い、いつでもかかってこい!」
少し声が震えた気がしたが気にしない。ここで気にしたらおそらく俺の心は完全にこの二人に壊されそうだ。
『なら、これを解きなさい』
翼が渡してきたのは一冊の問題集だ。
「全部?」
すぐやるにしてはかなり多い量だった。分厚いのだ。それも凄まじく。ぱっと見ただけでも辞書の様な厚さだ。
『何言ってるの?これはまだ序の口よ?』
俺は死にました。
「やっと終わった…」
声にならない程に擦れて弱々しい声で俺は言った。しかし、そんな俺を尻目にして、理桜は微笑んだ。それは今まで俺が見てきた理桜のそれではない。悪魔だ。あれは悪魔だ。理桜ではない。理桜に悪魔が憑依しているかの如く雰囲気は怖かった。俺の生命力そのものを全て吸い取られそうだった。
『次はこれ』
手渡したのは先ほどの問題集よりも一回り厚い問題集。これは本当に俺を殺す気なのではないか?と神経を疑ってしまう。だが、これをやらないわけにはいかない。わからないところは、二人に教えてもらいながら解き進めた。流石に二人とも過去問で解説も詳しく載っている本のせいか、説明は上手かった。
『何度言えば分かるの!?バカなの!信じられない!!』
翼は俺が質問をするたびに罵ってきた。理桜はそれを見て苦笑している。全く怖い人たちだ。
そして、その問題集が終わる頃には、俺には時間の感覚というものが消え去っていた。仕方がない。時計などない空間なのだから。
『ふん…裕哉。あなたこの二冊もう一周しなさい』
「え?」
『もう一周頑張ってね!』
理桜は笑顔で言ってくるし、翼はさも当然と言わんばかりの顔をしている。くそ!やるしかないか俺は。
「ここまできたら地獄の底まで付き合ってやるよ」
ヤケだが、そうでもしないとこんな事やってられない。
『そうそうその意気よ』
翼はまるで他人事だ。自分も関与しているんだからもう少し優しく言ってくれてもいい様な気がする。
「こ、今度こそ終わった…」
今回ばかりは本当に動けないし動きたくない。
『よくやったわ。褒めてあげる。じゃ今度はこれよ』
「まさかこの感じは…」
『ご明察。はいこれ』
「まだやるのか!」
『当然よ。裕哉には私たちを解く前にその下地をしっかりと作ってもらわないといけないんだからね』
もう絶望しすぎて言葉が出てこない。逃げたい。逃げる?…よし逃げよう。
今考えると、この判断は間違っていた。この時の俺は浅はかで愚かだった。
俺は立ち上がると全力で疾走した。その時の俺は完全に失念していた。ここがどんな空間であるのかを。そう、この空間は理桜と翼の二人の過去問の中なのだ。言うなればこの二人のホームグラウンドだ。自分の中である以上瞬間移動も可能なのだ。
『どこに行くの?』
『そんなので私たちから逃げ切ろうなんてバカね』
「もうやめてくれ!」
『ふぅーん。裕哉はこの空間から出たくないんだ?』
「出たいよ!」
『なら、一緒に頑張ろう!私も裕哉くんと頑張るから』
理桜は優しくしてくれる。ありがたい。本当にありがたい。
席に戻るとなぜか俺は椅子に縛り付けられてしまった。逃亡防止か?それにしても酷い。これじゃ囚人じゃないか。
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