第4話 ブルーマンデーに赤色を④
春風と物部は見えない糸に引かれるように、
春風さんはある時点で自転車を「邪魔だから」と言って乗り捨ててしまった。
バスに乗って清水に向かうためである。
物部も疑問を持たなかった。
二人は清水に向かう。
「どうして清水なのか?なんで私/僕はそこに行かないといけないんだろう」
この問いは、二人の頭から、なぜかすっぽりと抜け落ちてしまっていた……。
「黒川さん、たとえ話です」
道すがら物部が言う。清水に至る坂道は、多くの観光客で満ちていた。
人々の声、声、声……。
ここはそんなもので満ちている。
こんなにうるさいのに会話が成り立つのはなぜだろうか。
春風さんは、ふと、そんなことを考えた。
「その『本』に『
「謀略……?」
春風さんは疑いの視線で物部を見つめた。
「別にだます気はないですよ。えっと、話を進める上で必要なんだけど信用してほしいっていうか……。まあそりゃさっき乱闘した相手を信用しろ、なんてのがおかしいのはわかったから……。」
……。
「抹茶ソフトありがとうございま~す!それじゃあ書きますね~っ!」
茶店のテーブルに100%物部・マネーの抹茶ソフトと『願いを叶える本』を並べた春風さんは、上機嫌で『常識的な量で綿と糸と布とボタンが欲しい』と書いた。
そういえば……。
(あれ、なんで私はこんなことに付き合っているんだろう……?)
春風さんは、ふと、そんなことを思った。
物部も、春風自身も、何か見えない力の言いなりになって隣同士を歩いていて、何か変な方向に向かわされているのではないか。
そんなことを春風さんは感じていた。
だが、そんなことは、口の中で溶ける抹茶ソフトの甘みがどこかに追いやっていく……。
(いやいやいや、コレ絶対雑に扱ったらダメなタイプの女の勘でしょ。この違和感の原因は……)
抹茶ソフトの甘み以上の何かが、頭の中のもやもやを消し去ろうとしていく……。
「……さん?黒川さん?」
むーん、と一人で悩んでいた春風さんに、物部が声をかけた。
はっ、早く食べないとアイスが溶ける!
春風さんは、それまでの悩み事なんて忘れたようにアイスにがっついた……。
「流石だね、黒川さん……。アイスについては忠告する前に気づいたみたいで……。それより、『本』のほうなんだけど……」
見れば、そこには光り輝く『本』の姿が……そこには無く、開かれたページの上にでん、と一山のもこもこの塊が積まれていた。
「うわあ」
これは春風さんの感動詞。
「なんか難しい顔して考え込んでましたから、声かけても、本が光っても、無から有が発生して綿やらなんやらが机の上に発現しても気づきませんでしたよ」
そいつはすげえ。今度から気をつけよう。
「じゃあ、今度は『ぬいぐるみが欲しい』って書いてみてください」
「また唐突にメルヘンになりましたね……。すいませ~ん店員さん。チョコレートパフェ一つ」
「うう……」
物部は肩を落とし、『本』には『ぬいぐるみあれ』と書き加えられた……。
ぽんっ。
音がした。
すると、本が光り、そこに置かれていた綿と、糸と、布と、ボタンが、意思をもつ見えない手で引き上げられるように宙に浮いた。
「うわあ……」
そのため息は物部と春風のどちらのものであったか。
空中に浮いた綿を、これまた空中に浮いた布がつつみこみ、宙を舞う針がチクチクと布やボタンを縫い合わせていく。
そこだけ、世界が輝いて見えた。
そうして全てが終わると、針と、犬のぬいぐるみが、ぽてん、と春風さんの目の前に落ちてきた。
「すごい……」
「……。」
改めて春風と物部は、『本』の力を思い知ったのである。
「さて」
物部は口を開いた。茶店では、あの不思議現象のせいで目立ちすぎ、ちょっとした騒ぎになりかけてたので、清水へ至る坂道に場所を移している。
「黒川さんはこの綿をちぎることはできますか?」
物部は春風に綿を渡した。
春風さんはそれまでだっこしていた犬のぬいぐるみを頭の上に乗せると……ってこの犬の頭へのフィット感すごい、帽子みたいだ。頭振ってもちょっとやそっとのことじゃ落ちないんじゃないだろうか。えいえい!ぶんぶん!すごっ、落ちない!
「黒川さん?」
……春風さんはそれまでだっこしていた犬のぬいぐるみを頭の上に乗せると、綿を物部から受け取り、恥ずかしさを振り切るように、えいっ、とちぎった。
「じゃあ次。黒川さん、それ、ちぎれる?」
物部は春風の頭の上を指さした。
「……それ?」
春風は半ば無意識に自分の頭の上に手を伸ばす。そこには、さきほど生まれ出た犬のぬいぐるみがあった。
「……本気、ですか?」
「ああ、その犬のぬいぐるみを
春風を射抜く物部の目は本気に見える。
春風はこわごわとした手で犬のぬいぐるみを頭からおろした。
ぬいぐるみの、ボタンでできた二つの瞳を見つめる。
なんだろうか、このなんとも言えない愛くるしい顔を見ていると、愛おしさで胸がぎゅっ、と締め付けられるようで……。今からこの子をちぎり捨てるなんて……罪悪感が……嗚呼、罪悪感が……。
「できませんっ!」
無理です物部さん!私は永遠にこの子の味方です!
「そりゃあそうだろうけど……。そこまでぬいぐるみを庇うように抱きかかえなくても……」
物部は苦笑しながら言った。
「物部さん!やはりあなたは鬼畜です!こんな……こんな小さくてかわいいものを殺せだなんて……」
「いや、これは思考実験の一つの仮定で……」
「ド外道ッ!!!!」
春風さん、キレた───!
というか聞く耳を持たない。勝手にヒートアップしてキレてしまった。
物部は、ショックを受けた……。
----10分後----
「あの、物部さん、急に怒ったことは謝りますから、その、なんというか、道の端に座り込んですすり泣くのはやめていただけないでしょうか……。人の往来もありますから……」
春風さんはすぐに冷静さを取り戻したのだが、今度は「外道」と罵られてショックを受けた物部が道端で泣き始めてしまったのだ……。
「物部さん、こんな茶番やめましょうよ……」
「もう怒らない?」
「怒らない?」
「怒りませんから……」
「じゃあ話の続きをするよ……」
物部はテンション低めに語り始めた。
「まあ、さっき君が怒ったことを見ても、君はそのぬいぐるみを千切れないわけだ」
「当たり前です。こんな可愛いものに危害なんて加えられるわけないでしょう」
春風さんはむっ、としながら言った。
「中身は綿なのに」
「へ?」
「さっきの綿も、君が頭の上にのせているこのぬいぐるみも──なんでぬいぐるみを頭の上にのせているんですか、目立つから下ろしなさい──根本的に『本』に記述されて『発生』した、全く同じ物質なんです」
「あ……」
確かにそうだ。このぬいぐるみも、結局は綿と布と糸とボタンの……もっと言えば植物繊維とプラスチックの集まりにすぎない。これらの物質としての価値は、さっきちぎった綿のかたまりとそう変わらないだろう。
なのに……。
「ですが、この扱いの差は何なのでしょうか?」
物部は、春風の手の中にある綿と、頭の上にあるぬいぐるみを見比べながら言った。
「何がこの差を生み出したのでしょうか?」
「……ぬいぐるみは小さくてかわいいから?」
違う。春風は自分の答えを即座に否定した。
ぬいぐるみの中にある「小ささ」と「可愛さ」という性質のせいで、春風さんがぬいぐるみを破壊できなかったのは真理の一側面だが、それよりもっと深いところに本質があると思う。
「確かにそれだと黒川さんがそのぬいぐるみを千切れなかったのは理解できるけど、それだと『小さくてかわいい』ことに価値を感じられない感性の人は平気でぬいぐるみを千切れてしまう」
確かに。世の中にはそんな蛮族が存在する。春風さんは内心頷いた。
「それに、ぬいぐるみを壊せちゃうタイプの人間って、ぬいぐるみを壊すことが嗜虐性の発露であり、破壊により快感を得ていると思うんだよね」
「なんてことを……。私は絶対この子を守ります」
「黒川さん、そんな真っ青にならなくても……。仮定の話だよ?」
ともかく、と言って物部は折られた話の腰を修復した。
「ぬいぐるみの破壊により、黒川さんみたいな人は嫌悪感を催し、ある人はサディスティックな嗜好を満たす。これらの感情の根本にあるものはなんだろうか?」
物部は語る。いつの間にか春風はそれを真剣な眼差しで聞いていた。
「心理学的には、ぬいぐるみにつけられた目、つまり、ぬいぐるみの視線による効果で、『物』であるはずのぬいぐるみが『者』であるように感じるから、だという見方もできるだろう」
春風は頷く。昔なんかのテレビの断捨離特集でやっていたのだが、ぬいぐるみを捨てる時はタオルで目隠しをしてから捨てると、ぬいぐるみの視線を感じることが無いため罪悪感に苦しまなくて良いと言っていた。傍から見れば、そうとうシュールでサイコな現場だと思うのだが……。
「だが、僕はこう考える。ぬいぐるみは魂を獲得した」
「魂、ですか」
「そうだ、魂だ。霊魂だ。ぬいぐるみに霊魂が宿ったから君はそのぬいぐるみを慈しもうと思った。ぬいぐるみに霊魂が宿るからこそ、その霊魂持つ物に苦痛を与えることで喜ぶ人間がいるのだろう」
アニミズムなど共産主義を掲げる革命家に相応しい思想だとは到底思えないのだが、持論を展開する今の物部は、どうも生き生きとしているように見えた。
「ともかく、このぬいぐるみに魂を宿したのはこの『本』だ。綿と布の塊に魂を宿したように、この『本』は、1.8Lの水、一本の釘、良くわからん分量のマグネシウムやら大量の炭素やらの集積に魂を宿すことができるだろう」
1.8Lの水に釘一本、それにマグネシウムや炭素と霊魂を合わせてできるもの……。
春風は一つの答えにたどり着いた。
「それをして良いのは、その手で
春風は言った。物部の言いたいことなどわかっている。
「そうだ、魂を宿す行為は本来神のもの。確かに、『画竜点睛』の故事に見て取れるように、人の身にありながら『物』を『者』に昇華したものもいるだろう。しかし、それにはとんでもない芸術的才能や神からの寵愛が必要だった。それを『ただ本に文字を書き込むだけ』で可能になるというのなら……」
物部は言葉を続けた。それは、「だからこそ焼きたいのだ」という思いを吐き捨てるようにも見えた。
「それは『神の吐息』となんら変わりない……」
そう、春風の手の中にあるこの本は、『なんでも願いを叶えてしまう本』というものは────
神への階梯に他ならない。
そういえば、と春風さんは思う。
私はチョコレートの雨を降らせたとき、『本』にこんなことを書いた。
『素敵なお友達をください。』と。
もし、もしの話だ。
何も知らなかったあの頃、『友達が欲しい』と書いたばっかりに、私のせいで、人間が生まれていたら……。
黒川春風の背筋を、冷や汗が一筋流れた。
まもなく、清水に着く。そういえば、なぜ私は清水を目指していたのだろうか……。
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