第2話 ブルーマンデーに赤色を②

 さて、全ての願いを叶えてしまう、なんとも恐ろしい本が社会主義者の手に渡ったころ──


「ここが古都、いい街じゃないの」

 一人のフランスから来た少女が物語の舞台に降り立った。


「まったく、良くあんな僻地にある空港を『関西国際』だなんて仰々しいお名前で呼べるわね」

 少女はごろごろとスーツケースを転がしながらぶつくさと文句を言う。慣れない長時間のバス移動で痛めた腰をさすりながらタクシーを拾った。


「ちょっと乗せてもらってもいいかしら?」

「はいお客さん。って、は、ハロー…」

 乗り込んだタクシーの運転手さんは、明らかに外国人な少女の姿に動揺する。


「えっとこういう時は……『め、めいあいへるぷゆー?』」

「運転手さん運転手さん、私は日本語喋ってますよ」

 人のよさそうな運転手さんが拙い英語であたふたする姿を見て、少女は快活に笑う。

 運転手も日本語の通じる相手だと気づいたようだった。


「あはは、嫁さんと業者に日々のスピー○ラーニングの成果の武勇伝を聞かせるいい機会だと思ったんだが……。お嬢ちゃん日本語上手だねえ。こりゃあおじさんもお手上げだよ」

「褒めてくれてありがとう。ところで観光をしたいんだけど、頼めるかしら?」

「おうさ。任せときなさい。どこに行きたいとかはあるんで?」

「私は古都は初めてで……。それもお任せします」

「はいよ。じゃあ、清水かな」

「それでお願いします」



 こうして少女とおじさんを乗せたタクシーは軽やかに……出発しなかった。


「ちょっと運転手さん、どうして発車しないんですか?」

「いやだってほら……。嬢ちゃんのお母さんとかそういう人とか待たなくていいの?」


 あー、そういうことですか。

 少女は察した。フランスで何度か、というか度々あった『アレ』が、ここ日本でも起ころうとしているのだと察した。


「運転手さん」

「はい」

「ちょっと私が『何歳で』『誰と』一緒に旅行していると思っているのか教えてもらえません?」

「嬢ちゃん顔怖いよ……。そりゃあ、うーん、そうだなあ……君くらいの年頃の娘さんは、当然ご両親と一緒に観光に来てて」

「年齢は?私の年齢はいくつだと思いますか?」

 大体の返答を察しながら尋ねた。

「うーん、15か、16?」


「あー」


 本当に「あー」と思った。そうか、私はここ日本でもこのセリフを言わないといけないらしい。


「ちょっとお嬢ちゃん、『あー』って……」

「答え合わせをします」

「お嬢ちゃん怖い」

 私はなるたけニコニコしながら答えるように心がけた。

 笑え……私、怒るな、怒るな……。笑え……スマイルよ……。

「お嬢さん……?」


「私は今22歳。所用があり一人で日本にやってきました。見た目と実年齢の乖離がそれほどまで気になるならパスポートをお見せしますが?」

 

 成人以来こういうことを言いすぎてもう最近諦念に近い感情が去来するのを自覚する。これが東洋で言う「悟り」の境地なのだろうか?


「ほー22歳」

 ほら現に気のよさそうなタクシーの運転手が──


「は?にじゅうに!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!」

 車内が大揺れに揺れるほど驚いている。


「……正直そこまで驚くとは思ってませんでしたよ」

 流石に呆れと耳鳴りで耳を塞ぐことにした。

「いやいやいや嬢ちゃん流石にパスポート見せて!!!え?え?」

 本当にパスポートを要求してくる人間久々に見た。

「────本当に22だ」

 そう言って私の顔をまじまじと覗きこんだ。日本人は謙譲が美徳の礼儀正しい民族だと聞くのだけど、これは……。

「ええー、嬢ちゃんどう見ても15だけどなあ。ええー、そんな君らの22歳って言ったらこう……手足のスラっと伸びたボンキュッボンな金髪美人とかそんな感じじゃないの……」


「運転手さん、ちょっと黙っていただけないかしら?」

 これは怒っていい気がした。



 ────しゅん、としたおっちゃんの運転で、タクシーは発進した。




 さて、車窓から移ろいゆく古都の街並み。少女(?)は素直にその景色に感嘆した。

「お嬢さん、古都はどうだい?」

「面白いわ」

「面白い、ときましたか。その心は?」

「面白いに決まってるでしょこんな街。ちょっとした都会からタクシーに乗って走り出せば、綺麗な緑の木々や古くて大きなお寺がいっぱい目に付くの。でもって、それを繋げているのは全部ゴツゴツとした優美でもなんでもないアスファルトの道なのよ。面白いに決まっているじゃない……」

 22歳の少女は目をキラキラさせながら語った。


「面白い……ね。私からすりゃあお嬢さんが一番面白いですよ」

「面白い?私が?コメディアンの職歴はないのだけど」

「面白いっすよ。まずお嬢さんの日本語。上手いなんてもんじゃない。日本人と比べてなんら遜色ない。おじさんがス○ードラーニングなんてしてるのバカバカしくなっちゃうよ」

「ありがとう。日本人には個人的に縁があって」

 ちょっと彼女の顔は曇った。

「それで沢山勉強したんです」


 ほー、そうかそうか。とおじさんは清水に向かう坂道にタクシーを乗り入れる。道路の脇には多くの観光客が延々と、文字通りの長蛇の列を作っていた。


「うひゃあ。いつ見ても外国人と修学旅行のガキばっかだなあ」

 そう言いながら車をゆるゆると進めていく。


 そして運転手は口を開いた。

「お嬢さん、良ければ日本、いや古都に来た『本当の目的』を教えてもらえませんか?」

「あら、観光が片手間の暇つぶしだとバレてました?」

 

 彼女はニコニコと答える。少し楽しそうに。


「そりゃあそうでしょう。お嬢さんの第一声『観光したいんだけどお願い』ですよ。なんですか『観光』って、漠然としすぎですよ。それに何一つ観光スポットのリサーチをしてこない風来坊みたいな外国人観光客なんてお嬢さんには似合いません」

「あら、ありがと」

「褒めてないっすよ……。それにこれは根拠皆無のカンなんですがね」

「根拠皆無とは面白いわね。聞くわ」

「お嬢さん、目的のついでに遊んでる感じのオーラがすっごいします」



「あはははは。正解」

 心の底から彼女は笑う。そりゃあもう、タクシーがゆれるくらいに。

 正解じゃないっすよ……。と、どことなく呆れた声を出す運転手に語りかける。

「楽しいドライブのお礼に来日の目的を教えますとね……」

「諜報活動ですか?」

「違うわよ、あなたは私がスパイに見えるの」

「そりゃあもう。天職だと思いますよ」

 

 屈託なく笑う運転手。そんな彼に冗談めかして言った。




「男の人に文句を言うために来たんですよ」

 運転手さんは「やっぱりスパイだ」と大笑いした。









 さて、黒川春風さん。

 「願いを叶える本」が中核派集団のど真ん中に落ちていくのを見て、流石に苦笑するよりほかないようだ。


「ええ……。自転車で突破できないでしょこれ」

 もしこれがゲームでの出来事なら、自転車に思いっきり加速をかけたら周囲にぶわっと衝撃波のフィールドを展開して、並み居る機動隊員や中○派を吹き飛ばすことができるのだが……。


「おーい、本。自力で飛んでこーい」

 現実では、さっきまで春風さんを苦しめていた本の飛行能力に期待するしかない。それ以外に何ができるってんだ?



 しかし、当然のことながら状況は悪化していって……


「おい誰だ!物部さんに本投げた奴!?」

「悪ふざけにも程があるぞ!」

「殺してやる!」


 本がリーダー格の男にあたったせいなのだろう。中○派はどんどんヒートアップして、ついに革命の戦士たちは公権力集団にこれまで以上に食って掛かる……


「おいお前ら!ハードカバーの本なんて鈍器投げたらやべえってわかってんだろ!何考えてんだやるんかコラァ!」

「君落ち着きなさい!それは我々じゃない!」

「じゃあお前らのほかに誰がやるって言うんだ殺すぞ!」


 とうとう革命戦士の一人が隊員の胸ぐらにつかみかかる。

 その一方では……


「誰ですか?本を投げた人は~?悪ふざけにも程があります公務執行妨害で現行犯逮捕しますよ~」

「オラァ本投げた奴誰だ出てこいや!」


 両陣営が犯人捜しを始めていた。


「え~本投げられたってマジ?」

「やるなあ……」

「本を投げるなど学問への冒涜だ!」


 騒ぎ立てる野次馬たち。



 騒然とする周囲。終わらないカオス。なんなのこれは、なんなのこれは……。

 そうやって、春風さんはいつまでも頭を抱えていた……。

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