第1話 ブルーマンデーに赤色を①

 そう。私、黒川春風は「なんでも願いを叶えてしまう」「モノ」を持っている。

 最初にそれを見つけたのは、十年ほど前、私がまだ小さな女の子だったとき。

 

 そのころの私にとって家族は、ユーモアに満ち満ちた人物である祖父だけで、私にとっての世界は祖父の立派なお屋敷と数々の骨董品が詰め込まれた蔵だけだった。

 

 お屋敷、小学校、蔵、お屋敷。小学校、蔵、お屋敷。お屋敷、蔵、小学校……。

 それだけが私の世界。


 そんな世界の中を楽しく、でも、どこか物足りない思いで遊びまわっていた私が「それ」を見つけるのは時間の問題だったのかもしれない。


 ある日、私が壺だの掛け軸だの祖父の収集した骨董品でいっぱいになった蔵の中を、注意深く(万一にでも壺やら皿やらを割ったら祖父から大目玉を喰らうのだ)、でも大胆に探検していたところ、ちょっとした漆塗りの、蒔絵をあしらった箱が重々しく鎮座しているのを見つけてしまったのだ。


 そもそも箱というものは存在の仕方がずるい。あいつらは存在しているだけで「俺はこの中に魅力的な秘密を抱え込んでいるぞ!」と叫び続けることができるのだ。

 そして、重々しく鎮座する謎の箱、というものはそれだけで子供の探求心を最大限までに引き出すものだ。


 ──開けたい。


 それは当然の欲求だった。中身を知りたいという欲求。そもそも開けることへの欲求……。


 ……これは私の私見だけど、あらゆる災禍が黒ビニール袋の中に詰め込まれていたら、パンドラは決してその中身を確かめようしなかったと思う。



 ともあれ、私は箱を開けた。その中には一冊の、青色のカバーで装丁された本があった。

 ずっしりとしたそれを手に取って無造作に開く。


 真っ白だった。何も書いていない。


「え?」


 おかしい。本というものは紙に文字が書かれて初めて成り立つものではないのか?

 慌てた私は、ばっ、ばっ、と思いつく限りページを開いた。真っ白、真っ白、真っ白、真っ白……。



(ちなみに、本を無造作に開くとき、あなたはどこから開くだろうか?私は思いっきりど真ん中のページを開くことが多い。つまり、この私、黒田春風に表紙から一枚ずつめくるという上品な真似は、このころからできなかったのだ……。)


 何度かの試行ののち、一ページ目を開けた私は、そこにただ一文だけ書かれているのをようやく発見した。


「えっと……。『ねがい……ごとを……かきなさい。』かな。ねがいごとをかきなさい……?」


 お願い事。つまり欲しいものを書くとなにが起こるのだろうか……?

 しばし考えた私は、次の瞬間本を持って自分の部屋に向かって駆けだした。部屋にあるランドセルには、鉛筆の入った筆箱があるのだから……。



「うーん」

 机の上にはさっきの本が開かれている。少しの間を置いて、私はそこにこう書いた。


『素敵なお友達をください。』


「いえーいっ!お友達っ、召喚!!!!」

 恐ろしいことに、その当時私が見ていたアニメの、ボールからモンスターが飛び出してくるシーンのノリで私は軽率にお友達を作り上げようとしていた。

 なんてやつだ、過去の私。こんなにも人権意識の欠けた女だったなんて。




 この時、今でもなぜかわからないのだが不思議なことに、なぜかお友達は召喚されなかった。




 しかし、当時の私は子供だった。

「なんで思い通りにならないのよ~っ」

 そう叫びながら本当にどうでもいいことを書き殴る。これで何もなければ今日からお前は日記帳じゃい!!!!


 私はこう書いた。

『チョコレートが空からふってくる』と。



 数秒の後──

「うわああああああ」

「なにこれっ!チョコレート!?」

「Holy shit!!!!!!!!!」

「べとべとするんだけどキモイキモイキモイ」

「びえええ~~~~ん。おかあさ~~~~ん」


 窓の外が地獄の様相を呈した。



 ・・・・・・。



 地獄が顕現した理由を説明したい。

 一つ目は、私の住んでいたところが、世界遺産や国宝として登録された寺社仏閣の町だったこと。

 純和風の建築が立ち並ぶ坂道を上った先にある、閑静で風雅な小径。由緒正しい寺。

 そこには当然、国内外からを問わず、まあまあな数のの観光客が美しい風景を楽しんでいた。


 ──そこにチョコレートが降りかかる!!

 ……地獄でしょ。



 実は理由はもう一つある。

『チョコレートが降ってくる』と書いたとき、私は板チョコだったりぼんぼん菓子みたいな丸く包装された「固形の」チョコレートが空から降ってくると思っていた。


 現実は違った。

 そう、ご想像の通り、「液体の」チョコレートが空から降ってきたのだ。

 液体のチョコレートがお屋敷の屋根、緑の庭、お部屋の窓だけにもとどまらず、べちょべちょと綺麗な小径、寺社の本堂、白壁、お土産の路上販売、観光客、僧侶、芸者さん……ありとあらゆるものをダークでビターな色と香りに染め上げてゆく。



 思い出すだけで胃痛がひどい。ああ、世界遺産が私の愚行であんな目に……。



「あわわわわ……」

 当時の私はそれ以上に混乱していた。

 流石に小学校低学年とはいえ、「じんじゃをよごしてはいけません!」くらいの道理は理解していたし、「和」に液体チョコレートをぶっかけるのがどれほど冒涜的な行為かもわかっていた。


 それゆえ、その禁忌を自分が犯した事実の前にうろたえていた。


「おこられる……」


 祖父は普段は優しくて大好きだけど、ちょっといたずらをすると本気で怒るから、ものすごく怖い。それに、こんなにいろんな人に迷惑がかかることをしたら、がっこうの先生にも怒られるだろうし、近所のおじさんおばさんもおこるだろうし、それに、それに……。



 まるで窓の外の世界はこれからチョコレート色に覆われていくかのように思われて──。

 私はチョコレートの海の中で溺れ死ぬんじゃないかと思って──。



 もう、涙が止まらなかった。

 情けなかった。恥ずかしかった。苦しかった。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 先生、おじいちゃん、ごめんなさい……。



 あの時は、ずっと泣いていたと思う。









 気がついたら、目の前に祖父がいた。涙を拭って見上げたその顔は──

「おじいちゃん、怒ってる?」

 びくびくしながら私は尋ねた。


「呆れとるよ」

 実際そうなのだろう。祖父は、余りの突飛ないたずらに苦笑していたのを覚えている。

 

 今のは……夢?

 ううん、そうじゃない。部屋の窓に引かれた一筋のチョコレートの線が自分の犯した罪を教えていた。



「この本はな、春風や」

 祖父の手にはすべての元凶である「願い事を叶える本」があった。


「人間には荷が重すぎるのじゃよ」

「……うん」

 なんとなくおじいちゃんの言いたいことが分かった気がした。


「人間が思いつくこととできること、このふたつのものの間には、ものすごく大きな差がある」


 心からの反省と、怒られずにほっとした思いの狭間で、私は話に耳を傾けていた。


「人間は頭の中ではなんだってできる。お菓子の雨を降らせたり、ゲートボールの天才になったり、アメリカ大統領になったり、太陽と月の位置を入れ替えたり……」


 でもな、と。私を見て続ける。


「楽しいことだけではなく、恐ろしいことも思いつける。例えば人を──。いや、これはよそう。お前にはまだ早い」


 珍しく、祖父は怒鳴らなかった。


「じゃが、人間はどんなに楽しいことやおぞましいことを思いついても実現させることはできんのじゃ」


 身体があるからの、と。わかるようなわからないような気分だが、こくこくと頷く。


「自分のやれることは自分の身体ができるだけじゃ。思いつくことは無限でも、できることはこの上なく有限で、極小でありすぎる……。難しくなりすぎじゃな、要はやりたいことはたくさんあっても、できることはそのうちのほんの一握りに過ぎない、というこよじゃ」


 祖父のそれは、怒る声じゃなくて、教え諭す声。

 私はそれを必死に聞く。


「でも、人間は『できないこと』やってみたいと願う。でもできないんじゃ。だからどうしたと思う?」

「えっと……?わかりません」


「本じゃよ。紙の上に文字を書いて、それで本の上に自分のための世界を作ってそこで夢を叶えたんじゃ」

「本……?」


 そう、本。本は魔法。本は力。手を伸ばしても月には手が届かないが、本の力さえあれば、月はほら、すぐそこに──。


 そんなことを言っていた。



「このチョコレートの雨を降らせた本はな」


 瞬間。びくっとなる。私の罪の話が始まると理解した。


「それは正しく本じゃ。空想と現実の差を埋めることに最も忠実であろうとした本じゃ」

「えっと、おじいちゃん、それは……?」

「お前の知っての通り、願い事を全部この世界で叶えてしまうことができるんじゃよ。本の世界ではなく、わしらが生きている世界で」


 無意識の上に、視線が窓にかかったチョコレートへ。

 ぞっとした。自分の使った本の恐ろしさが理解できたのだ。




 そんな私に、祖父は語り掛ける。

「いいか春風や、この本はいけない。この本で願い事を叶えるのは良くない。この本に書いてあったお前の願いは全て消した。消したから、春風や、自分の手で願いを叶えなさい」


 そして、ぼそっと呟いた。

「お前の願い事が、可愛いうちに見つかって良かったわい」と。





 ──それ以来、私はあの本を開いていないし見てもいない。







 あのチョコレート事件が、ベルギーからのチョコレート空輸中(いまだに意味が分からない)に起きた事故だというオチがつき、府と航空会社の手で景観が整備され、早8年。

 そして、祖父が死んでから早三か月──。


 私は一人ぼっちになったお屋敷の中で、上下ジャージ姿で本を読みながら、今となっては珍しい過去を思い出していた。


「ったく、屋敷住まいの天涯孤独JK2、どんな肩書よまったく・・・・・・」

 愚痴る。うわあ、愚痴って気がついたけど、私の属性──ヒドすぎ?


 ちなみに今日は平日だが、大往生ともいえる祖父の死以来まともに学校には行っておらず、同情はすれど叱ってくれる人間がいないので──


「まあ読書で人文学の教養を深めているので、学校行かなくてもセーフっしょ」

 などと謎の理論武装を完成させてしまい堂々とニートをしている。


 堂々とニートをする人間というのは性質が悪く、普通のニートは社会や知人から置いてけぼりにされた焦燥感で胃がキリキリする瞬間に苦しんだりするはずなのに、黒川春風さんの場合は──


「暇だ。でも学校の気分じゃない」


 ──このような最低の言動をとったりすることができる。


 ともあれ、ふと過去を思い出した暇人ティーンエイジャーの春風さんは、アルバムを見返そうという気分になった。……もっともこの場合「アルバム」というのは、件の「願いを叶える本」のことなのだが。




「う~ん、減ったなあ」

 所狭しと並んでいた祖父の骨董コレクションの類は、その数をグンと減らし、あれほどごちゃごちゃしていた蔵の中はすっきりとしていた。


 というのも、祖父が死んだ途端現れた親族を名乗る人たちが二束三文でそれらを売り払って、まだ『幼い』17歳であるという理由で私を差し置いて財産を山分けして持ち去ってしまったのだ。


 これだけなら昼ドラでよくありそうな話なのでまだ呆れつつ笑って、まあはらわたは煮えくり返っているものの、まだ許してはいられるのだが、その後親族たちが抜け抜けと「おっと、春風ちゃんは身寄りがなくて財産も少なくてかわいそうだ。おじさんが養ってあげよう(意訳)」などと抜かしたときは激怒してしまった。

 今までなんもおじいちゃんを助けなかったくせに、おじいちゃんが死んだ途端厚かましい、と。


 結局資産家であった祖父の死後、その財産は春風とフランスにいるらしい親戚の二人を除いた、親族を名乗る者どもに無残に食い荒らされてしまったわけだ。


 ……というかフランスに親族がいたのか。初めて知った。



 などと心の底からイライラする過去にイライラしていたら、お目当ての品物が見つかった。

 蒔絵の施された漆塗りの箱、この中にちょっと怖い過去の思い出が眠っている。


 流石に中身のないまっさらな本(しかも小学生の落書き付き)を持ち去るような変態はいなかったのだろう。良かったなと思いながら、箱に積もったほこりをふっ、と吹き飛ばし、箱を開けた。



「わあ……」


 青い装丁。手に取るとずっしりと重い。記憶にはなかった重さだ。そして・・・


 ──ビクビクっ!


 本が跳ねた。手から跳ね跳んだ。


「は!?」


 春風の手から逃れた本は地面に落ち──ない!

 本は鳥のように羽ばたいて、蔵の外へと飛び出して行く!


「なんで・・・?」


 想像を絶する事態にぼんやりと立ちすくんでいた私は、事の重大性に気づいて駆け出した。






 さて、読者の皆様方。

 適当な分厚さの本をイメージしていただけないだろうか。

 それを真ん中のページくらいで開いて、そのまま表裏をひっくり返してほしい。

 でもってそれをちょっと持ち上げていただきたい。


 ……翼を広げた鳥のように見えないだろうか?

 気持ち、左右のページが広げた羽のように見えないだろうか?

 信じられないだろうが、そういうものがバタバタとページの羽を羽ばたかせて飛んで行ったら、どう思うだろう?

 この作品の主人公、黒川春風さんは、たった今そういう光景を目の当たりにしたのだ。


 ムチャクチャである。






「わああああああっ!」

 さて、その黒川春風さんは、ページの羽を羽ばたかせて飛び立つ本を、指をくわえて見送ってしまった訳ではない。


 家の自転車に飛び乗り、春風をあざ笑うかのように空を飛ぶ「願いを叶える本」を追いかける。

「あはははは、厄日だ」

『厄』じゃないことがあるとすれば、それは円滑なコンビニ移動を確保するため昨日自転車のタイヤに空気を入れておいたことだろう。


 おかげで春風は自転車の速度マックスで空飛ぶ本を追いかけることができ───ない。


 なぜならここが古都の、高名で人通りの多い観光街だからである。


 歴史ある街並みに、そこをゆったりと散策するバックパッカーやら外国人観光客やら芸者さん……。

 道行く人たちを轢かないようにするには速度が出ないようにするために、スピードを上げることができない。


 それに、古都の鄙びた街の中を飛んでいく洋書然とした青い装丁の本。それを自転車に乗って追いかけるジャージ姿の少女──目立たないわけがない。



 ……現に春風がこうして追いかけている間にも、


「ママ―なにあれー?」「シッ見ちゃいけません」

「すげー!修学旅行でここ来て正解だった!」

「マジヤバーいw」「えっ、本って飛ぶんだー」

「てかジャージってなに(笑)」

「OH!FANNY GIRL!!」

「WOW!NINJA-NINJA!!(lol)」


 などというまちのこえが・・・・・・。


「生き地獄とはこれのことではなかろうか」

 春風は呻いた。如何に畜生ニートを堂々と続けてきた恥知らずの春風さんでも、これは筆舌に尽くしがたい辛苦であるといえよう。


 とはいえ傍から見たら完全に走るシュールレアリズム。こういうものが現代社会に現れると当然──

 

「ノー!ノーツイッター!ノー!(意訳:お願いします!ツイッターにアップしないで!!撮らないでくださぁい!)」


 スマートフォンのカメラをこちらに向ける外国人に春風さんは叫んだ。

 世はまさにユビキタス社会。一人一スマホは当然のこと。

 見れば、道行く人がこの珍事を見逃さまいと、いや、記録し損ねまいとスマホのカメラを構えている。


 終わった。空飛ぶ本を追いかける愉快な私の姿は、無邪気な悪意によりインターネット上に拡散され、世界中の人々の記憶と記録に残り────永久に消えないだろう。



 おじいちゃん、恨みます。



 パシャ。パシャ。

 シャッター音が響く。くそ、あの本を取り戻したらその力でインターネット上にお前らがアップした情報をすべて消し去ってくれる。


 そのために、我慢だ。追いかけないと。



 観光街を出ると、行く手を阻む人が減り、自転車の速度が否応なしに上がってゆく。


 そして本を追いかけながら自転車を必死に漕ぐ春風さんは、



「林檎、許さない。シリコンバレー、燃えて。林檎、潰れろ。シリコンバレー、廃れろ。林檎、腐れ。シリコンバレー、崩落しろ」



 ……スマホと高度情報化社会の発展に大きく寄与したIT会社への怨嗟を掛け声に前進し続けるのでした。







 黒川春風さんがネット上のフリー素材になってでも空飛ぶ本を追いかけるのには理由がある。

 おじいちゃんっ子だった春風にとって、あの本はおじいちゃんとの思い出でもあるのが大きい理由の一つであるし、それに加えて、何よりもまずあの本が「願いを叶える本」だからだ。


 あの本はどんな不可能をも可能にする。そう、空からチョコレートが降ってくる、なんてのは本当に可愛いもので、最悪のシチュエーションを想像するとキリがない。


 ここ、古都ではとある神社で日本三大古本市の一つにカウントされるような古本市が定期的に開かれている。

 人文書好きの黒川春風さんは、よくそれを覗くのだが、そこにちょくちょく見受けられるジャンルとして────共産主義がある。


 これは土地柄を反映したもので、まあ、そういう層の人口が他より多いって話なのだ。


 ここで物のたとえ話をすると、「そういう層の人」が「願いを叶える本」を拾って、中身の意味を理解せずに『世界同時武力革命成就!』なんてノリと勢いで書いちゃうとする。

 

 Q.さてどうなるでしょう?

 A.炎上するホ○イトハウスを背景に「インターナショナル」を合唱する群衆の映像が歴史に刻まれます。


 良くないですね。

 あくまでも物の例えですが、良くないですね。

 黒川春風さんや作者の人は政治的思想とは無縁ですが、まあ本当に良くない。


 特に黒川春風さんにとって、「おじいちゃんとの思い出のある本が、世界を混乱に追い込む悪魔の書になること」は百歩譲って許容できるものではない。



 そのため、追いかけ続けるのだ。







 もう、30分も飛ぶ本を負い続けただろうか。肩を上下させて荒く呼吸する。

 この激烈なレースの結果、春風さんの体力はもう皆無に等しい。

 

 突然、本が急ブレーキをかけた。

 今までになかったことだ。

 どうして突然?



 進行方向の先を見る。そこは───



「憲法改正反対!」

「学長の横暴を許すな!」

「物部君の退学処分を撤回せよ!」



 日本で知らぬものはいない名門大学、K大学。そこでは学生運動団体と公権力集団が揉み合っていた。

 ……人間はともかく、本でもこれを避けるのか。


 危機管理の良くできた本である。



 ともあれ、本を回収せねばならない。そもそも、公権力にもそっちの団体にもこの本は絶対渡してはいけないのはわかっている。


「おいでー、下りておいでー」

 間抜けなことを言いながら春風さんは空中の本に手を伸ばす。


 本が大人しく春風さんのもとに戻ろうとしたそのとき────



「あ」


 ────一陣の突風。


「うそーん」

 空飛ぶ本も同じことを言いたかったに違いない。


 力なく本は公権力と学生団体の揉み合う正門付近へ落ちてゆく。


(……機○隊が拾ったらディストピア・ジパング、中○派が拾ったら世界同時革命ね。あはは)

 スローモーションのように感じられる遅くなった時間の中、春風さんはそんなことを考えていた。



 そして、


「いたああああ」

「どうしましたか物部さん!?」

「投石ですか?」

「おい国家の犬ども!本を投げるとはどういう了見だ!」



 『願いを叶える本』は、社会主義者の手に落ちた。



【第一話、これまで】

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