第7話 限界は誰にも決められない

「フフフ……」

 阿僧祇さんは一旦微笑んでから、空を指差した。

「空?」

 僕も釣られて空を見る。

 何の変哲もない青空が、視界いっぱいに広がった。

 もしかして、阿僧祇さんは単に空を見ていただけだったのか?

「違う……空なんか興味ない……」

 やんわりと、しかし厳しめに、阿僧祇さんは僕の考えを否定した。

「え、じゃあ、阿僧祇さんは何を見ていたの?」

「那由他は、まだ見ていない」

 ……どうも事情がよく分からない。

 僕が阿僧祇さんに声を掛ける前、彼女は確かに空を見ていた。

 だが、こんな綺麗な空に興味はないらしい。

 かと言って、ここから唯一見える武領台タワーを見ている訳ではないらしい。

 そもそも、さっきと今とで見ている方向が全く違う。

 ということは……

「阿僧祇さん。君は何を探していたの?」

「探している訳じゃない」

 また阿僧祇さんに否定された。

「君は何を見ようとしていたの?」

 続けざまに3つ目の質問をする。

 これも阿僧祇さんにとって見当違いの質問だったら、僕にはもう彼女が何をしていたのか見当もつかない。

「フフフ……」

 だが、少し恐れていた否定はなく、代わりに微笑みが返ってきた。

「『マルチバースト』」

 阿僧祇さんが、不意にそんな単語を口にした。

「今、何て?」

「『マルチバースト』」

 聞き直したが、阿僧祇さんははっきりと『マルチバースト』と言っている。

 それは、とても陳腐で子供でも思いつきそうな単語だった。

「何? 『マルチバースト』って?」

 ひょっとして、阿僧祇さんが考えた魔法の呪文か何かではないだろうか?

 そんな疑念を飲み込んで、阿僧祇さんに言葉の意味を訊いた。

「世界が滅びる理由……」

 阿僧祇さんは、知っていることがさも当然であるかのように答えた。

「え!?」

 一瞬、僕の思考の全てが停止した。

 しばらく、彼女が言ったことの意味が理解できなかった。

「……な、なんで、阿僧祇さんがそんなことを知っているの?」

 自分の頭を一回落ち着かせてから、まず最初に浮かんだ疑問をぶつけてみた。

 少なくとも、僕は世界滅亡の原因を全く知らなかった。

 世界が滅びることすら、ついさっきの警報で知ったばかりだ。

 それは、他の人たちも同じはずだ。

 だからこそ、僕たちはこの状況に混乱している。

「多々良正路君は、何故知らなかったの?」

 だが、阿僧祇さんから返ってきたのは、更なる質問だった。

 理由なんてない。

 ただ、知らなかった。

 それだけでしかない。

「誰にも教えられなかったから……」

 結局、言い訳がましい返答しかできなかった。

 こんなことを本当は言いたくなかった。

 まるで、百瀬たちみたいに適当に生きている気がしてくるからだ。

「そう……」

「阿僧祇さんは?」

 このままでは、阿僧祇さんに質問をあやふやにされてしまう気がして、話題を元に戻した。

 僕たちよりも早く世界滅亡を知ることができた理由が、どうしても気になった。

「フフフ……」

 また、阿僧祇さんが微笑んだ。

「多々良正路君の言葉で答えるとするなら、ただ知っていたから……」

 だが、有耶無耶にされてしまった。

 その理由を聞きたかったのだけど……

「むぅ……」

 続けて訊こうとした僕の口を、阿僧祇さんが指で押さえた。

 どうやら、これ以上訊くのは駄目みたいだ。

 僕は気になることはとことん気になってしまう性分だが、女子が嫌がることをしてまで知りたいとは思わない。

 1度千穂のことで失敗したから、というのもある。

 ここは、別の切り口から質問してみよう。

「『マルチバースト』で何が起こるの?」

「世界が滅びる」

「『マルチバースト』で、なんで世界が滅びるの?」

「世界が死ぬから……」

 いまいち、よく分からない。

 まるで、世界滅亡の原因が『マルチバースト』で、『マルチバースト』の原因が世界滅亡とでも言わんばかりだ。

「フフフ……」

 なんか、僕が困惑しているのを見て、阿僧祇さんは楽しんでいるのではないかと思えてきた。

 実は、ずっと阿僧祇さんの妄想に付き合わされているだけなのではないだろうか?

 世界滅亡の原因は別にあって、それを阿僧祇さんが『マルチバースト』と勝手に設定しているだけなのではないか?

 疑念がどんどん増していく。

「フフフ……」

 そういえば、阿僧祇さんは何でこんなに悠然としていられるのだろう?

 いくら世界が滅びるのを知っていると言っても不自然だ。

 もしかすると、阿僧祇さんは世界滅亡から逃げる手段を知っている?

 だから、世界滅亡まで後10日だというのに、こんなにも余裕でいられるのではないだろうか?

「ねえ……」

「はい」

「阿僧祇さんは、『マルチバースト』をずっと前から知っていたんだよね?」

「そう……」

「阿僧祇さんは『マルチバースト』から、どうやって逃げるの?」

 一瞬の静寂の後、阿僧祇さんの口が開いた。

「那由他は、逃げないよ」

「は?」

 予想外の回答に、変な声が出てしまう。

 逃げないって、どういうことだ?

 まさか、世界と一緒に死にたいとか言い出すのではないだろうな?

「那由他は『マルチバースト』を見たいだけ……」

 阿僧祇さんが不気味に見えてきた。

 僕は、彼女の得体の知れない部分に触れてしまったのかもしれない

「多々良正路君は、どうするの?」

 今度は阿僧祇さんが僕に訊いてくる。

「どうするって……」

 どうすればいいのだろう?

 何しろ、世界が滅びるんだ。

 僕にできることなんてあるのだろうか?

「逃げたい?」

 阿僧祇さんの問いに僕は頷く。

「逃げる手段はいくらでもある……」

 希望が見えた気がした。

 やはり、阿僧祇さんは『マルチバースト』から逃れる手段を持っていたんだ。

「例えば、過去に行く、異世界に行く」

 そんな甘い考えは、すぐに打ち消された。

 希望が見えた気がしただけで、実際は何もなかった。

「え……ええ……?」

「逃げるのが嫌? それなら、『マルチバースト』に耐えられる力を手に入れればいい。この世界にはそんな力がたくさんある。魔法、科学、想い、神、進化……」

 突拍子もないことが、次々と阿僧祇さんの口から出てくる。

 僕は途中から、阿僧祇さんの話を聴くのをやめることにした。

 彼女の語るそれは、とても非現実的だった。

 それこそ、妄想の一言で片付けられる程に……

「信じられない?」

 いつの間にか、顔のすぐ前に阿僧祇さんがいた。

 ちゃんと聴いていないのが、バレてしまったようだ。

「そんなこと、信じられないよ……」

「そう?」

 阿僧祇さんは、とても不思議そうな顔をしている。

 まるで、こっちが変な人だとでも思われているみたいだ!

「多々良正路君は、自分の可能性を狭め過ぎている」

「え?」

 阿僧祇さんの発言に戸惑った。

 彼女は何を言っているのだろう?

「多々良正路君の思う限界と多々良正路君の可能性の差は、多々良正路君が思っている以上に大きい」

 可能性と限界の違いなんて、考えたこともない。

 それに、こんな僕に何ができると言うのだろうか?

 千穂と仲直りするということさえできない、この僕に……

「限界を決めるのは、誰でもない。この世の法則によって、限界は既に決まっている。だから、誰にも決められない」

 どうやら、阿僧祇さんは物理法則とかの限界のことを言っているようだ。

 だが、そんなことを言われても、僕には何も思いつかない。

「だから、多々良正路君にもできることはあるよ……」

 その言葉は、阿僧祇さんから僕へのささやかなエールのように感じられた。

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