第7話

 慌ててサクラくんは去っていこうとする私の腕を、縋るように掴んだ。

「お願い。逃げないで」

「君、いくつ?」

 私はサクラくんの顔と掴まれた腕とを見比べながらクールに言った。

「いわゆる中二病ですか」

「違う違う。そういうことじゃないんだよ」

 そろそろと私から手を離すと、彼は必死で言い訳を始める。

「まあ、確かに魔法使いというのは言い過ぎだったかもしれないんだけど、でもね、少しばかり特殊なものが使えるのは本当なんだ。それを君たちの理解しやすい言葉を使って言うと魔法かなって思ったんだよ」

「魔法ねえ」

「それじゃあさ」

 ぐいと体を乗り出すと、野村は仏頂面のまま言った。

「見せろよ」

「はい?」

「あんたの言う魔法とやらを見せてみろよ。それが出来ないならとっとと五千円返してここから出て行け」

「ああ、そうだね」

 不意に、にこりと笑うと、サクラくんは満足そうに何度も頷く。

「百聞は一見にしかず。僕の好きな言葉だよ」

 私は少し嫌な予感がした。

 思わずじりじりと後ずさっていると、サクラくんは胸ポケットから細長いものをすっと取り出す。

 魔法の杖?

 と、思いきや。

 なんてことない。それはどこにでもある普通のボールペンだ。

「何、それ」

 落胆して言うと、不思議そうにサクラくんは応える。

「何って、配達員にだって筆記道具は必要だよ?」

 そして、それを指の間に挟むとくるりと回転させた。

 その刹那、ふっと辺りの空気の色が変わった。

 私たちがいたのは帰宅のピークが過ぎた中学校の昇降口あたりで、それでもぱらぱらと生徒たちが下校する姿があった。それが、突然、消えたのだ。いや、見えなくなったと言った方がいいかもしれない。

 私たちを取り巻く中学校の風景は変わらない。けれど、全体的に色が沈んだ。霞がかかったような、ぼんやりとした感じ。そして、その霞がかかった向こう側に、本来の私たちの世界がある、そんな気がした。

 今、ここにいるのは、私とサクラくん、それから野村とその仲間の五人。見えるのはそれだけで、他には誰の、何の気配もない。

「……何だよ、これ」

 さすがに野村も異変に気が付いたらしく、恐々こわごわと辺りを見回す。

「時間が止まった、そんな感じがしないか?

 話し掛けられて、私は曖昧に頷く。

「よく判らないけど、さっきとは違う空間にいるみたいな……」

「野村くん、お待たせしたね。さ、これが君の『飴と傘』だ」

 唐突にサクラくんが言った。それに、野村は不思議そうに首をひねる。

「は? これがって、どれだよ?」

「野村、あんたの傘……」

 私は彼の持っている傘を指さして言った。

「それ、いつの間に……」

 野村はえ? と言って、自分の傘を見る。そして、たちまち顔色を変えた。

 彼が今、持っているのは透明なビニール傘ではなく、あのカタログに載っていたピストル柄の青色の傘だったのだ。

「ええ! 何で? どうして?」

「どうしてって、君が見たい、と言ったんでしょう? 僕の魔法、のようなもの」

「いや、まあ、そうなんだけど、で、でも……傘のことだけじゃなくて、ここも何か変だぞ。空気が変っていうか」

「結界を張って、他の人たちには見えないし、干渉できない空間を作っただけですから、危険はありません。僕たちだけのいわば、バトルフィールドですね」

「はあ? そんなこと、何で出来るんだよ!」

「企業秘密なのでお答えできません」

「企業秘密って……!」

「まあ、まあ、落ち着いて」

 混乱する野村を軽くいなすと、サクラくんは冷静に話しを進めていく。

「まず傘を開いてごらん。中に飴が入っているから。それを食べれば準備OK」

 野村は言われた通りに傘を開く。すると、私の時と同じに、そこからころりと一粒の飴が転がり出た。ザラメ砂糖がまわりについた赤くて丸い飴玉ひとつ。

「これ、食べればいいのか?」

「はい、どうぞ。お口に合えばいいのですが」

 野村はそれを指先で拾い上げると、しばらく警戒するように眺めていたが、思い切ったようにビニールの包装を解くと口に含んだ。

 飴はすぐに彼の口の中で溶けてしまったようだ。驚いた顔をした野村は、サクラくんに言った。

「この飴、すごくうまい」

「お気に入っていただけたようで光栄です」

 ぺこりと頭を下げ、そして、次に顔を上げた時には彼はぎくりとするほど、真剣な顔で私たちふたりをみつめた。

「さて、それではどうぞ、始めてください」

「始める?」

 私は怯えた顔でサクラくんを見た。

「これで」

 と、自分の薔薇の傘を見る。

「撃ち合うの? 本当に?」

「はい」

 優しい笑みを口元にたたえて、サクラくんは言う。

「制限時間は一時間。使える弾丸は三十発。さあ、思い残すことのないように、どうぞ、ご存分にコクリ合ってください」

 サクラくんは自分の出番は終わったとばかりに、すっと後ろに下がった。

「え? 待ってよ……」

 おどおどしている私を見て、にやりと野村が笑った。そしてこの至近距離で、この男は卑怯にも、か弱い私に傘……いや、銃口を向けたのだ。

「覚悟しろ、この平たい顔め」

「え、ちょ……」

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