第8話
私は運動神経の良い方じゃない。けれどこの時、咄嗟に取ったこの行動は、人生一番のベストプレイだと心から思う。
野村が向けた銃口が火を噴くその寸前に、私は咄嗟に自分の薔薇の傘を剣のように握り直し、野村の傘を真横に薙ぎ倒していたのだ。
「あ! お前!」
野村の声が響くのと、銃口の向きを変えられた青い傘が校舎の壁に向けて発射するのとほぼ同時だった。何か小さく固いものが壁に当たって、跳ね返される音がした。
「ああ、もう、なんだよ!」
野村は恨めしそうに私を睨み、それから、弾丸が当たった校舎の壁に駈け寄って行った。私も気になって、警戒しながらも彼の後ろに続く。
「……あれ、文字が出てないぞ」
「あ、本当」
野村の肩越しに白い校舎の壁を見る。確かにコクリ飴の弾丸が当たったのに、そこには何の文字も貼り付いていなかった。
「あ、言っていませんでしたっけ?」
ふたりして小首を傾げていると、サクラくんが離れたところから声を掛けてきた。
「あのね、自分が告白したいと思ってロックオンした相手に弾丸が当たらない限り文字は出てこないんだよ。地面をよく見て。不発の弾丸が転がっていないかな?」
不発の弾丸?
言われて湿った地面に目をやると、確かにそれはあった。不発の弾丸。それはコクリ飴を小さなピストル型に形を変えた飴玉だった。そう、野村の傘と同じ柄の形をした飴が転がっているのだ。
「なにこれ。可愛い」
野村の弾丸がピストル型なら、私の弾丸は薔薇の花? そう思うと何だか気分が上がる。薔薇の花の弾丸なんて素敵だと思ったのだ。
しゃがみ込んで、そのピストル型の飴玉を指先でつまみあげようとすると、途端に崩れて地面にぱらぱらと落ちて消えてしまった。
「あれ? 無くなった?」
「何なんだ、頼りねえ弾丸だなあ」
隣で野村がぶつぶつ文句を言う。
「まあ、いいや。ほら、平たい顔。ぼーっとすんなよ」
「え……?」
また傘の銃口を向けられた。それもまた至近距離。
私はそろそろと立ち上がる。ゆっくりと後ずさる私を、野村は面白そうに見て言った。
「今度は外させないからな、覚悟しろよ」
覚悟なんかするつもりはない。
次の瞬間、私は脱兎のごとく駆け出した。それを野村が当然ながら追いかけてくる。
「逃げんなよ、こいつ! 顔面に当てたいのに!」
顔面って……逃げるわ、普通。
観客と化した佐藤や相沢、谷川たちが囃し立て、笑う声が聞こえる。
思わず、彼らの方にちらりと目を向けると伊勢くんと北見くんの姿が目に入った。彼らは佐藤たちのように笑ってはいない。
北見くん……。
一瞬……ほんの一瞬だけど、彼と目が合った。
彼は眉をひそめ、逃げている私を見ていた。心配してくれているのか、それとも馬鹿なことをしている、と呆れているのか。
不意に泣きそうになった。
私、何でこんなことしているんだっけ?
野村や佐藤たちにいじめられた記憶を払拭するため? 積年の恨みを、コクリ飴を使って吐き出そうっていうのだった? いや、それどころかこんなことをして、また嫌な記憶を増やすだけになるんじゃないのか……。
走る速度が自然と緩くなる。
もういいか。
さっさと野村の傘に顔面を撃たれて、嫌な言葉をたくさん張り付けられて、それで……終わりにしよう。
足を止めようとしたその時、後ろから声が飛んできた。
「河野さん、頑張れ!」
え?
振り向いた私の目をしっかりと見て、北見くんは言う。
「逃げないで攻撃するんだ!」
「おい、北見!」
その声に振り向いたのは私だけじゃなく、野村もだった。彼は自分の仲間であるはずの北見くんに苛立って声を張る。
「お前、誰を応援してんだよ!」
「そりゃあ」
北見くんはにっこり笑って言った。
「可愛い女の子に決まっている」
「はあ? 誰が可愛いって?」
北見くんの言葉に顔を赤くする暇もなく、私は爆笑する野村を見た。腹を抱えての大爆笑は、野村から佐藤や相沢たちにも伝染していく。
「北見、お前、視力いくつだよ?」
「こいつのどこが可愛いって? 笑わせんな」
笑い転げる仲間たちを見渡して、北見くんは静かに言った。
「可愛いよ。頑張る女の子は特に可愛い」
頑張る女の子は……可愛い……。
傘を握る手に力が入った。
「野村……」
低く掠れた声だったけど、それでもはっきりと私は笑っている野村に言ってやった。
「覚悟するのはそっち! 私の薔薇の弾丸をくらいなさい!」
真っ直ぐに野村の憎たらしい顔面に傘の銃口を向け、私は少しの迷いもなくコクリ飴を発射した。
もう逃げるつもりも、怯えるつもりも、嫌な記憶に振り回されるつもりもない。
言いたいこと、全部、言ってやる!
三十発連射だ!
傘を持つ両手にどどどどどと衝撃が走る。
一瞬、そのリアルさに戸惑ったが、構うもんかと撃ち続けた。
「わわわわわ!」
野村の顔は、私の薔薇の弾丸でみるみるピンク色に染まっていく。三十発連射の勢いだと、もう張り付いた文字が読めない。さすがに野村は悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。
あっと思った時は遅かった。逃げた野村を追って、動かした銃口が、五人組の方に逸れたのだ。三十発の内、二発ほどがそちらに飛んで行き、それはこともあろうに北見くんの胸元にヒットした。
「き、北見くん!」
私は叫ぶと共に、薔薇の傘を放り出し、彼の元に駆け出していた。
「ご、ごめんなさい! 当てるつもりはなくて……!」
「あ、ああ」
どこか、ぼんやりと北見くんは自分の胸元を見下ろし、そして、顔を上げると私に微笑みかけた。
「こちらこそ」
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