第5話
「な、な、何なの!」
大パニックになった私は、はしたなくも、サクラくんに抱きついていた。
「か、傘が、傘が……!」
「はいはい、落ち着いて」
笑いながらサクラくんは言うと、じたばたする私の体を助け起こし、そっと手を離した。
「いいかな? さっき、僕が説明したことを思い出してね。君はコクリ飴を食べた。そして、傘を構えて標的に向けた。で、心の中で言いたいことを唱えたりした?」
言いたいこと。
それは、確かに。
勇気がなくて、口に出して言えないかわりに、心の中で叫んでいた。
私は、サクラくんを縋るようにみつめて、こくこくと何度も頷く。
「OK。その君の心の叫びがこうなったというわけさ」
サクラくんにぐいと体の向きを変えられて、私は不本意ながら、野村と向い合せになる。
そして。
「……何、あれ」
「口では言えないことを、『飴と傘』が代わって相手に告白してくれたのさ」
「こ、告白って……」
私は呆然と野村をみつめた。みつめられている野村にしても自分に何が起きたのか判らないらしく、やはり、呆然と突っ立っている。
「野村、お前、どうしたんだよ?」
「何やってんだ?」
野村の横にいた佐藤と相沢が指をさして笑い出した。
「は? 何だよ? ……おい、河野。今、何した? 傘から何か出て来たぞ!」
憤怒の形相で、野村はそう言い、私に近づいてくる。近づくにつれて、はっきりと判った。
私の傘から発射したコクリ飴の弾丸は、どうやら野村の右頬辺りに着弾したようだ。そして、その頬には、ピンク色のゴシック体でこう書かれていた。
『平たい顔なんて言うな!』
「文字のサイズは……二十ポイントぐらいかなあ」
サクラくんの呑気な声に、たまらず私は吹き出してしまう。
「な、何だよ……」
野村は困惑して足を止めた。私と隣に立つサクラくんの顔を交互に見る。
「そいつ、誰だよ」
「ああ、僕はただの通りすがりの配達員です。気にしないでください」
「は? 何言ってんだ? 学校の中に部外者が入ってきていいのかよ? 通報するぞ」
「いやあ、それは困るなあ」
ニコニコ笑いながら、サクラくんは野村に近づいて行く。野村の方は、思わず逃げの体勢を取るが、仲間が見ている手前だろう、おろおろしながらも結局そこに踏みとどまった。
「な、何だよ」
「いえ、今、あなたの置かれた状況を説明しようと思いまして。僕は中立ですから、ちゃんと両者が同じように理解していないと、この戦いは不公平になりますからね」
「は?」
と、私と野村が同時に声を上げた。
「ちょっと、サクラくん、戦いって何よ!」
「今更、何を驚くのですか。これはまごうことなき戦い、ですよ。あなたは今、この」
と、彼の制服の胸にある名札を確認してから、サクラくんは言葉を続ける。
「野村くんに、宣戦布告したのですから」
何だそれ?
私は眉間に皺を寄せる。
「どういうことよ?」
「ああ、説明していませんでした? この『飴と傘』は武器の項目に入る商品なんですよ。これを購入するお客さまは、戦う意志があるということ。色んな意味でね」
「いや、無いから! 戦う意志なんて!」
私は慌てて言った。
「だいたい、購入もしてないし」
「でも、飴、食べちゃったでしょ?」
「うっ、それはそうだけど」
「傘、撃っちゃったでしょ?」
「ううっ、それはそうだけど」
「大丈夫」
私の困惑顔を楽しそうに眺めながら、サクラくんは残酷なほど、優しく言った。
「この戦いは血が流れない。とても平和な戦いなのです」
「平和?」
「ええ。この通りに」
と、訳が判らないという顔でそこに立っている野村に視線を送る。
「弾丸は標的の体に着弾すると、このように普段言えないけど言いたいという、つまり告白したいことが文字となって張り付きます。文句を言い合うこともありますが、恋愛関係にも使用できる優れものなんです」
「れ、恋愛?」
顔を赤くして聞き返す私を、サクラくんはさらりとして無視して話しを続ける。
「とにかく、この傘を使って言いたいことを、童心に戻って西部劇かSF映画の戦士を気取って撃ち合うことで、誰のことも殺さずに、溜まりに溜まったフラストレーションをすっきり解消できるのです。ああ、結果を見るために手鏡も用意しておくといいですよ。ね? これっていい商品でしょう?」
「いい商品って……」
「おい、言いたいことが張り付くってなんだよ」
「ああ、そうでした。野村くんには見えませんよね」
サクラくんは、そんな親切いらないのに、上着のポケットから手鏡を取り出すとそれを野村に渡す。
きっと騒ぎ立てると思っていたのに、手鏡で自分の顔をまじまじと眺めていた野村は、しばらくの沈黙の後、静かに言った。
「俺にも、その『飴と傘』っていうのを売ってくれ」
「ええ!」
私は思わず声を上げる。それをふんと鼻で笑うと野村は不敵に言い放った。
「返り討ちにしてやるよ、この平たい顔!」
「か、か、返り討ち……?!」
「お買い上げありがとうございまーす」
満面の笑みで言うサクラくんの弾んだ声が、私の耳には虚しく聞こえた。
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