第08話 桜のサク時へ

 冬のひどく弱い日差しが中庭に落ちてきている。

 3号機は固い桜の幹に触れて複雑に伸びた枝を見上げた。

「桜は、遥か昔、この国を作った民族の象徴だったそうです」

「ほう」

 阿具は補給物資の入っていた箱に腰掛けていた。口元にくわえたタバコからは白い煙が立ち昇っている。他の特機たちも、仕事の合間の一休みをとっていた。

「でも、この惑星では、気候的に花を咲かせられないって、聞きました」

 阿具は答えずに大きな木を見上げた。

「桜は確かどこかの惑星で一度見たな」

「綺麗でしたか?」

「ああ。この国の民族の象徴だったっていうなら、なかなか悪くない」

 阿具が言うと、3号機は笑って桜の木に額をおしつけた。

「私はまだ見たこと無いです、桜の花」

「植物園に行けば、見られるだろ?」

「えっと、変な話なんですけど」

 3号機は恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

「小さい頃から、この木を見ていたから。もし見るなら、この桜の花が最初だって決めてるんです」

 特機達も、地面に座って桜の木を見ていた。

 3号機は顔を上げた。

「今年も、咲かない。かなぁ…」

 3号機は空を見上げた。桜の複雑に伸びた枝が空にくっきりと黒い模様を浮かび上がらせていた。その先の空は、薄暗く寒々としていた。


 出撃ポートには沢山の軍人が集まっていた。輸送部と補給部の人間たちは慌しく、山のように止まった車両の間を縫って走っている。実戦部隊の人間たちはそれぞれに見えながらも、一様にうっすらと緊張を浮かべて待機している。

「1番から18番装甲車に弐千式光弾7000単位。30分以内に出撃だ、急ぐぞ」

 阿具は手元の端末を見て言った。

「了解!」

 一列に並んだ特機達が敬礼した。

「2号と3号は積み出し、1号と5号は積み込み、俺と4号で運ぶ。行け!」

 阿具の言葉で、一斉に全員が駆け出した。 


 やがて出撃ポートから殆どの車両が無くなった。残ったものたちは、次の仕事に向かう間のすこしの休息に黙り込んでいる。阿具は汗ひとつかかずに、積み込み口の段差に越し掛けて戦闘領域の方を眺めていた。

「お疲れ様であります」

 1号機が缶ジュースを持って阿具に話し掛けた。阿具が振り向くと、他の隊員たちは疲れた様子で座り込んでジュースを飲んでいる。阿具は頷いてジュースを取った。一号機が阿具の隣に腰掛けた。

「補給の雑役も、結構大変でありますね」

 1号機は言ってジュースを飲んだ。阿具は横目に1号機を見たまま黙っていた。

「どうしたんでありますか?」

「お前、汗かいてないな」

「え、ああ。そうでありますね」

 1号機は軍服の襟をつかんで自分の身体を見回した。

「体力がついてきてる。良いことだ」

「隊長殿について行こうと思うと、自然に体力はつくみたいであります」

「隊全体の戦闘能力も向上してる。実戦配備も近いかもしれない」

 阿具は呟くように言うと、ジュースの栓を開けた。甘ったるい苺のミルクシェークに一瞬阿具は不愉快そうに眉をひそめた。だが、1号機が見ていることに気付くと黙ってもう一口飲んだ。

「実戦。戦うんですか、私たちが」

「まあ、兵隊さんってのは、高い給料貰って人の変わりに戦う仕事だから、な」

 阿具は他人事の様に言って、かすかな笑みを浮かべた。

「酷く浮かない顔してるぜ」

「え、ああ、えと」

 びっくりした顔の1号機を見て阿具はまた笑みを浮かべた。

「安心しろ、実際に上から聞いたって訳じゃない。俺が勝手にそう思ってるだけだ」

 阿具はジュースを飲むと、今度はあからさまに顔を歪めた。そしてそのままの表情で戦闘領域の方を見つめた。まだ戦闘は始まっていないのか、周囲は平静なままだった。1号機は阿具の横顔を長いこと眺めていた。

「何か、わからないんであります」

「わからない?」

 阿具は前を向いたまま言った。

「前に隊長殿が戦争の終わった後のことを話してました」

「ああ」

「いつか戦争は終わるんですよね?そして兵器たちは軍縮で売りに出される」

「そうだ」

「その時、私たちは本当の私たちの意味を知らなきゃいけないと思うんです。私たちが兵器なら、私たちに戦後なんてないです。私たちが兵士なら、選ぶことができる」

 1号機は確かめるようにゆっくり言った後、唇をかんだ。

「寝るときに、毎日考えて。でも、私はまだ本物の戦闘を戦ったこともないし、戦争を実際に知らないんです。そして世界の事も知らない。全部が軍隊の中だけで始まって、そして終わるのかもしれない」

「自分が兵器なのか、兵士なのか、か」

 阿具は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「笑いごとじゃないんであります。自分にとっては」

「人生の先輩から、アドバイスを聞きたいか?」

 阿具は頬杖をついた。

「はい」

 1号機は少しためらって言った。

「決めるのは結局お前だ。兵器になりたいんなら、なりゃ良い」

「簡単に言いますけど、国が私たちを手放さなかったら、どうしたらいいんでしょう」

 1号機は浮かない表情で言った。

「壊してしまえ」

「え?」

「そんな国、壊してしまえばいい」

 阿具は素っ気なく言った。

「出来ないであります、そんなこと」

「俺、手伝うけどな」

 阿具は言って、にやりと笑った。

 1号は黙ったまま、ずっと阿具の顔を見ていた。


 阿具は”反乱軍、ゼロポイントに到達か?”という見出しの新聞から顔を上げた。さっきまで食堂のテーブルの向かいに座っていた特機たちが居なくなっていた。隣に2号機だけが座っていた。

「皆、何処行った?」

「休み時間の間、中庭でバレーボールだそうです」

「お前は何してんだ?」

「私は運動あまり好きじゃないですから」

 2号機は言って、阿具と目が合うとすっと視線をはずした。

「お邪魔でしたら、外します」

 2号機は静かに言った。

 阿具はおもむろに2号機の頭を片手で掴んだ。

「んぐ」

「んなコト言うなって」

「すいません」

 2号機が言うと阿具は頭をはなした。

「どうした?」

 阿具が言った。

「なんですか?」

「なんですかってか。何か話があるんだろ?」

「別に」

 言って2号機は端末をいじりはじめた。

 阿具は机の上に置かれた茶を飲んだ。

 しばらく二人は黙ったままだった。

「あんまり、聞きたくない、かも。しれないんですけど」

「うん」

 阿具は煮え切らない様子の2号機を見て目を細めた。

「阿具少尉は何か秘密に通じる大きな鍵を持っているように感じます」

「鍵?」

「私たちの存在だとか、機械虫、ゼロポイント。それらは雑然としてあるように見えて、何か共通の何かに結び合わさって有るんじゃないんですか?」

 2号機は阿具を見ずに言った。阿具はさっきまでと表情のトーンを意識的に変えないで、動きを止めていた。

「仮定は簡単です。ゼロポイントに有ったテクノロジーで、私たちが作られた。機械虫は何らかのセキュリティで何かの拍子で我々を攻撃し始めた。阿具少尉はそれに何かの形で関わっていた」

「まあ、現状を上手いこと整理すりゃ、そういう感じだろうな」

 阿具が答えると2号機は驚いた表情を浮かべた。

「隠さないんですか?由梨先生にはあんなに」

「耳が良いな、本当に」

 阿具は呆れたように言った。

「この場合の問題点が何処にあるのかわかりますか?」

 2号機は鋭い目付きで変わった。

「さあな。我々は何処から来て何処へ行くのか?」

 阿具はかわすように冗談っぽく言った。

「違います」

 2号機はぴしゃりと言った。

「阿具少尉、今お幾つでしたっけ?」

「俺は親が居ないから、正確には知らないけど、多分24,5だろうな」

「初めての機械虫の来襲が、記録上では8年少し前です」

 2号機は畳み掛けるように早口で言った。

「どうして。どうして16歳の一般の新兵より若い人間が、そんな秘密を知っているんですか?」

 阿具は困ったような目で黙り込んでいた。

「何かの拍子に、というのはリアルではないです。少尉が市民軍で戦っているとき戦闘の中で情報を手に入れた、と仮定するなら、現在周知の事実になっていないのはオカシイです。市民軍からすれば、そんな情報は政府を叩く格好の材料ですから」

 2号機は一度言葉を切って、阿具をまた見つめた。阿具は少し険しい顔になっていた。

「他にも疑問があります。どうして阿具少尉はそれを秘密にするのか?」

 2号機は考えるように自分の顎に触れた。

「ひとつ、阿具少尉は軍以外の政府側の人間で、何らかの任務を負って私たちの隊長になった。ふたつ、阿具少尉は他国政府の諜報員で、技術を盗むために潜入している。みっつ、この国は、未だに前体制のような危険な組織を保持しているので、”知っていること”を知られると危険だ」

 阿具だけに聞こえる大きさの声で2号機は囁いた。

 冷静な2号機の額にはうっすらと汗が見えた。阿具はその姿勢のまま、周りを確認した。食堂は静かで殆ど人が居なかった。

「場所を変えるか?」

「では隊室に」

「いや、あそこは」

「どうして?」

 2号機は目を大きく見開いた。銀色の瞳には氷のような静かな光が宿っていた。

「盗聴器が仕掛けられているからですか?」

「知ってやがったのか」

 阿具は驚いて言った。2号機は目だけで笑った。

「情報戦型ですから。でも下手に手出しするより、気付かない顔をしていた方が良い。そうでしょう?」

 こくりと阿具は頷いた。

「声さえ聞かれなきゃ、ここは安全です」

「俺も下手に手を出せないだろうし、か?」

 2号機は張り詰めていた表情を悲しげに崩した。

「それもある、って言ったら怒りますか?」

 消え入りそうな声で2号機は言った。

 阿具はふっと笑みを浮かべた。

「いや、用心深い部下だって誉めてやるよ」

「そんなんじゃ、ないです。本当は阿具さんを信じようって思うんです。でも、もし阿具さんが仲間じゃないなら私じゃ絶対にかないません、から」

「俺のこと、信じられないか?」

 2号機はなきそうな顔で押し黙った。

「今は、はい。ごめんなさい」

 随分経ってから2号機はぽつりと言った。

「お前は正直だな。信じさせてやれなくてすまない」

「話して、くれないんですか?」

「俺は敵じゃない」

 阿具は真剣な顔ではっきり言った。

「例えば、軍全体がお前たちの敵に回っても、国全部が、世界が敵に回っても。俺はそのどれにも属していない」

「どこにも属さない…?」

「そうだ。俺は俺と仲間のために居る。お前も、もう俺の仲間なんだぜ?お前の意思に関わらずな」

 阿具は歯を見せて笑うと拳を突き出した。

「信じてみるか?俺を」

 2号機は急に全ての音が遠くなったみたいに感じた。自分の周りにある世界が、とても遠いところに有るように見えた。その中で、阿具の拳だけが触れられる所にあった。2号機はゆっくりと手を突き出した。こつん、と阿具の拳と当たると、急に世界が現実感を取り戻した。2号機は頬を熱い雫が落ちていくのを感じた。

「泣くなよ。世界一強い男が仲間なんだぜ」

「はい。ごめんなさい。泣くつもりなんてなかったんですけど。どうしてか、嬉しくて」

 2号機は両手で顔を覆って声を殺して低い声で泣いた。

 阿具は困った顔をして、肩を叩くと、立ち上がった。

「調べようとか、思わないでくれ。危険だ」

 阿具は耳元で囁いた。

「元々、私は自分や少尉の素性なんてどうでもいいんです。ただ、少尉が敵じゃないって分かれば」

 2号機はなんとか冷静に言った。

 阿具はこくりと頷いた。

「情報局は解散したが、国家秩序維持委員会ってのは古い酒を新しい皮袋に入れただけのもんだ。この国は大なり小なり汚いことをしてる。俺はお前らを守る。でも危ないところに近づかないに越したことはない」

 2号機はすこし驚いた表情で阿具を見た。

「ここまでは、まぁ周知の事実って奴だからな」

 阿具は肩をすくめてみせた。

「由梨先生は、多分調べますよ」

「悩みの種が尽きねぇ」

 ため息混じりに阿具は言った。



 市街地は何者も存在しないように静かだった。構造物の全てが少しの濁りも無い白で構成された街は命の匂いを少しも感じさせなかった。

 阿具は左手にアサルトライフルを提げていた。少しの躊躇もなく、静かに、素早く、阿具は路地に入り、その奥の袋小路を目指した。阿具はやがてぴたりと足を止めた。

 透明な糸が地面より少し高い位置に幾本も張り巡らされていた。

 阿具は眉をひそめて一瞬考えた。同時に銃声が背後のビルから聞こえた。だが阿具は狙撃手の意図に反してそのまま直進した。糸が踏み切られると同時に左右から指向性の有る爆薬が炸裂した。阿具は煙の中を驚異的な速さで直進していった。銃声は幾度も聞こえたが立ち込める煙で当たることは無かった。

 煙を抜けた途端、阿具の側面から強烈な衝撃が加わった。

 四号機が剣銃を真っ直ぐに構えて阿具に突進してきていた。阿具は銃床で剣を受け流した。四号機はそのまま阿具にタックルして壁に衝突した。壁が崩落して砂塵があたりに立ちこめた。

 四号機は体を起こすと同時に、自分のしたに居るはずの阿具が居ないことに気付いて身構えた。

「うぉ!」

 砂塵がゆらりと揺らいで、ほんの刹那の差で四号機は腹への蹴りを防いだ。

 軽い四号機の体を阿具はそのまま跳ね飛ばそうとした。しかし足の重みが急に消えた。四号機は宙返りをすると床に落ちていた剣銃を拾った。

 阿具の銃が火を噴いた。四号機はまたもぎりぎりで大きな剣銃に隠れるようにして銃弾を防いだ。金属と金属が当たって甲高い音と火花をあたりに撒き散らした。

 銃声が急に二つ増えた。2号機と3号機が阿具を挟んで銃撃していた。

 阿具は直ぐに飛びのいて瓦礫の影に隠れた。見計らったように人の気配が消えた。崩れる瓦礫の音の中に金属の地面に当たる音が三つ聞こえた。阿具はすぐに手榴弾だと気付いて、背後の壁を突き破った。しかし爆発は無かった、壁を抜けた先には1号機が銃を構えて立っていた。

「騙されたか」

 阿具は感心した様に言って銃を投げ捨てた。

「降参でありますね?隊長殿」

 1号機はにっこりと笑った。

 後ろの穴から他の特機たちも出てきて後ろから阿具に銃を突きつけた。

 阿具はすこし後ろを気にしながら両手を上にあげた。

「おお!たいちょに勝った!」

 4号機が言った。嬉しそうに全員が笑みを浮かべた。だが2号機だけが、直ぐに表情を凍りつかせた。

「何か持ってる!」

 2号機が叫んだ。阿具は歯を剥き出して、にっと笑った。そして手の中のボタンをカチリと押した。激しい爆発が背後で起こった。爆発に巻き込まれた1号機以外の特機たちは空中に消えた。

「あ…」

 1号機は呆気に取られていた。

 阿具は気付けば1号機の後ろに立っていた。

「ばん!」

 阿具は1号機の後頭部に拳銃を押し当てて言った。


 阿具は幾つかの資料をモニターに映し出して、端末に何か打ち込んでいた。

 がちゃりと特機室の扉が開くと、4号機が入ってきた。

「今日分の仕事は終わっちまった。定時まで自由にしてていいぞ」

 阿具は端末から顔を上げずに言った。

「うん。俺もここに居て良い?」

「ああ?他の奴らは?」

「次回の訓練こそたいちょ倒すって作戦会議。俺、そういうの苦手だから」

 4号機は椅子を引き寄せて阿具のデスクの横に座った。

「へ、100年早い。教科書に書いてあるとおりの動きじゃ勝てねえよ」

 阿具は端末に向かいながら笑みを浮かべた。

「じゃあ、俺たちどうしたらよかった?あの場合」

「手を上げないなら反抗の意思ありと見て射殺。手を上げたら隠した反抗の意思がありと見て一撃を加えて動く機会を与えない」

「へー」

「まぁ時と場合によるけどな」

 阿具は言った。4号機は端末から顔を上げない阿具に不思議そうに首をかしげた。

「で。さっきから何してんのたいちょ?」

「首都で総力戦を行う場合の作戦案を作ってる」

 阿具は左側のモニターを指差した。そこには首都近郊の地図が映し出されていた。

「唐崎、冬木の両基地には最新式の大型レールガンが配備されてるが、今の設置場所だと、敵空母が上空10km以内に侵入すると角度的に撃てない」

 阿具は良いながら両基地の上のマーカーを動かした。

「ここなら撃てる。更に軌道自走砲は桑江の陸軍鉄道基地に全車両が有る。分散運営しないと敵の襲来で短距離通信しか出来なくなった時に役に立たない。伊勢原の航空支援も、現状の配備だと実戦時にどれくらい役に立つもんだか」

「たいちょ」

「ん?」

 阿具は振り向いた。4号機が目をうるうるさせて泣きそうな顔で震えていた。

「トイレなら、自由に行っていいぞ」

「お、おれ。そういう話嫌い」

 半泣きの声で4号機が言った。

「ん。ああ。そっか、すまん」

 阿具は端末を置くと4号機のおでこをぴしぴしと叩いた。

 4号機はぐしぐしと顔を拭いた。

「おれ。良くわかんないんだけど、空母って大きいから空間移動で大気圏に来たりしないんだろ?実際には全部辺境で止めるし、逃がしたら航宙軍が止める、って」

「まあな。現状でスズムシやバッタみたいな中、大型艦が惑星内に入る可能性はほぼ0だ」

「じゃあ、どうして」

 阿具は不機嫌に唇を尖らせた。

「アホが、アホな真似をしたせいで、アホな結果になるかもしんねぇからさ」

 4号機は額に指をぐりぐりと押し当てて考えこんだ。

「この前のクーデター、だ!」

「お前、思ったより勘が鋭いな」

「へへー!」

 4号機は得意満面で笑った。

「じゃあ、大きな戦闘が起こるの?」

「起こらないでくれたら有り難いね。このまま、この国の戦闘システムが更に洗練されて、俺やお前を必要としなくなる。それが理想だ」

「そっか。戦争っていつか終わるんだ」

 4号機はぽんと手を打った。

「まぁな。いつか終わるんだろう」

 阿具は呟いた。4号機はぽかんと口を開けた。

「現状ではこの先がどうなるか分からんがな、クーデターを起こしたアホどもがゼロポイントに辿り着く前にアステロイドベルトかどっかで事故るって可能性もある。或いはあそこに辿り着いても運良く何も起こらないか、分からんが」

 阿具は頭を振った。仮定で物を言うことは性分に合わないと思った。

「お前は、戦争が終わったらどうするんだ?」

「どうするんだ…? どうするんだろう」

 しばらく4号機は考えていて、やがてぱっと顔を明るくした。

「おれはケーキ…」

 そこまで言って、4号機ははっとしたように阿具の顔を見た。

 意味が分からず阿具が肩をすくめると、急に4号機の顔は真っ赤になる。

「ケーキを、腹一杯食べるんだ」

 あからさまにとって付けて4号機は言った。

 しばらく阿具は黙って、4号機が何を言おうとしていたのか考えていたが、また首を振って考えを追い出した。

「…そうか。存分に食ってくれ。胃腸薬を忘れんようにな」

 4号機がこっくりと頷く。阿具はかすかに笑みを浮かべて頷くと、端末を睨んだ。

 それきり4号機は何も言わず、阿具はずっと仕事を続けた。

「終わると良いな、戦争」

 かなり経ってから、ぽつりと4号機は言った。

 その目は戦争の終わった世界を見て輝いているように阿具には見えた。阿具は物憂げに黙り込む。

「ああ」

 結局、阿具はそれだけ言った。


「ぶつけたのは貴方がたの方ですわ。彼女は何もしていないもの」

 5号機は若い娘をかばうように立っていた。

 市街地でも少し路地裏に入った、薄暗い場所だった。二台の車が道をふさぐように止まっていた。一台は黒塗りの高級車、もう一台は軽自動車だった。軽自動車の側面に高級車がぶつかって車のボディを歪めていた。

「ガキ。誰に口聞いてるのかわかってんのか?」

 いかついヤクザの一人が威圧的に言った。

 どうやら後ろのビルに男たちの仲間が居るようで、騒ぎに乗じて次々とヤクザたちが降りてきていた。

「貴方ですわ。脳みそからっぽの非霊長類、歩く単純たんぱく質」

「なんだって?」

 ヤクザは後ろの男たちに聞いた。後ろの男たちは首を横に振った。

「バカだ。って言ってるんですわ。馬鹿ども」

 ヤクザはゆっくりと振り向いた。頬がぴくぴくと震えていた。5号機は真っ直ぐにヤクザを見ていた。ヤクザは大きな拳で5号機を殴った。5号機は顔を戻した。口の端が切れて血が流れていたが、5号機の表情は変わらなかった。

「次やったら、殺すわ」

「殺してみろやぁ!」

 ヤクザはもう一度5号機に拳を振り下ろした。瞬間、くるりとヤクザの体が回転した。

「ぐ」

 うめく間も無く、地面に叩きつけられたヤクザはみぞおちに思いっきり足を踏み込まれて気絶した。5号機はもう一度ヤクザたちの方を向いた。

 ヤクザたちは一瞬で殺気だって、胸の銃に手を触れた。

「あー。公務執行における通達を下す」

 突然と野次馬の中から声がした。

 通りの全員が一様にそちらを向いた。小さな車ほどの長さのあるトランクを担いだ阿具がゆっくりととおりの中央に向かって歩いてきた。

「ひとつ、証明書を保持する人間、以下甲、は陸軍幕僚長の命を帯びたものである。ふたつ、公務執行上での甲の命令は軍事協力規定に定める拘束力を持つ。みっつ、物資輸送の邪魔だ。どかねえと殺すぞ」

「少尉さん!」

 5号機が叫んだ。ヤクザたちが色めき立った。

「へへ、いや。ちょっと事故っただけで。何も問題無いんすよ」

 目に見えて媚びを売りながらヤクザは言った。

 阿具は満足そうに頷いた。

「少尉さん!こいつらは!」

「まぁまぁ問題無いって当事者が言ってんだから、な?」

「でも!」

 阿具はヤクザの方を向いて、ニヤリと笑った。ヤクザもつられて笑みを浮かべて、数枚の紙幣を阿具に手渡した。5号機は息を呑んだ。阿具はそれをポケットに突っ込んだ。

「あー。勧告する。この場所から退去せよ」

「でも、私の車が!」

「へへ、わかりました」

 阿具はトランクを下ろすと、中から野戦用の巨大な迫撃砲を取り出して持ち上げた。

「少尉、見損ないましたわ!」

 怒りに燃えた瞳で5号機が言った。阿具は意に介さない様子で、地面をぎゅっと踏みしめた。

「二度目、注意する。退去しろ。三度目、警告する退去せよ。命令する退去せよ。どけって言ってんだろうがぁ!」

 阿具は唸り声を上げた。野次馬も含めて全員が目を丸くした。

「あの、少尉さんよ?」

 ヤクザが言った。

 その瞬間、通りに激しい騒音が巻き起こった。迫撃砲は音も無く回転して、大口径の銃弾を放ち、その度にヤクザの高級車にバレーボール大の穴が連続してあいた。

「なっなっ、何してんだ!テメェ!」

 叫び声は車の吹き飛ぶ音にかき消された。阿具はなおも銃弾を撃ちつづけ、車が殆ど鉄塊になり、道路の一部が吹き飛ぶまで迫撃砲を撃ちつづけた。

 やがて、低い音を立てて、迫撃砲は回転を止めた。

「レールガンは良いなぁ…。気分の良い破壊力だ」

「テメェ!」

 ヤクザは言いかけて言葉を飲んだ。迫撃砲がヤクザの集団の方に向けられていた。

「退去命令に従わないからだ。ついでにお前らも死んどくか?棺桶に入れるもんも残らないだろうがな。”命令する”退去せよ」

 ヤクザは阿具の言葉を聞き終わる前に、走って逃げ出していた。

 通りに押しかけた全ての人が、言葉を失って黙り込んでいた。阿具は面倒くさそうに辺りを見回した。

「この場から退去せよ」

 阿具が言うと、一瞬の混乱の後、すぐに通りは静けさを取り戻した。

 阿具は立ちすくんだままの5号機に、にやっと笑いかけた。

「ナイス根性。見直したぞ」

「こわ」

「ん?」

「こわ…こわぁ」

 てけてけと5号機は阿具に走りよると腰に抱きついた。

「こわかったぁ!」

 叫んで5号機は泣き出した。

「おいおい」

 阿具は肩をすくめて、5号機の頭に手を置いていた。


「ほら、クレープだ。好物なんだろ?」

 阿具は泣き止まない5号機にクレープを手渡した。

 夕方の中央公園には人もまばらで、幾つも出ている屋台はそろそろ店じまいを始めていた。

「う、うっ、うっ」

 5号機はぼろぼろと涙を流しながらクレープを頬張った。

 阿具は心配そうに見守っていた。5号機は涙を流しながらもそもそとクレープを食べつづけて、やがて食べきった。5号機はなきそうな顔のまま、阿具の持ったもうひとつのクレープを見た。

「うっ…うっ…」

「ほらよ」

 阿具が差し出すと5号機はまたクレープを頬張り始めた。

「どうもタカられてるように思えて仕方がねぇ」

 阿具が呟いた。

 やっと、二本目のクレープを食べきった後で5号機は泣き止んだ。5号機はずるずると鼻をすすって顔を拭いた。

「美味しかった、ですわ」

「そりゃ、良かった」

 阿具は疲れた表情で頷いた。

「何しに、あんな危ない地域を通ったんだ?」

「これですの」

 5号機は紙袋から、紙に描かれた少女漫画を取り出した。

「紙に描かれた漫画か、しかもかなり古い世代の復刻版か?」

 5号機はこくりと頷いた。5号機はぱらぱらと漫画のページをめくった。きらびやかな誇張された絵が何枚も過ぎて行った。

「すてきぃ…」

 陶酔しきった様子で5号機が呟いた。目が少女漫画のキャラクターのようにキラキラと輝いていた。

「俺には良くわからんが」

 阿具は首を傾げて言った。

「いつか」

「うん?」

「いつか、白馬に乗った王子様と、恋をするんですの…」

「はぁ」

 阿具は気の無い相槌を打った。5号機がぎっとにらみつけた。

「なんですの!夢見ちゃいけないんですの!夢見るのは子供だって言うんですの!」

「いや。王子様っていうと、α-72星域には王制統治された国が有るな」

 阿具が言うと、5号機はまた大きな目を輝かせた。

「ほんとう!?」

「国王が90代で王子は60代のはずだったが」

 5号機はぱっくり口を開けて唖然とした顔をした。

「そ、そんなのじゃない」

「まぁ、探せばどっかに若くて男前で白馬にも乗っかる王子様も居るって」

「そう、ですか?」

「ああ、宇宙は広いからな。王子様だろうがおじい様だろうが白馬に乗る奴も居るさ」

「そっかぁ」

 言って5号機は立ち上がった。

「私、頑張りますわ!」

「ん?」

「一刻も早く!私がまだ若々しいうちに王子様探しに出られるように!」

 5号機は燃える瞳で拳を握り締めた。

「敵をやっつけて、戦争を少しでも早く終わらせます!」

 阿具はしばらく黙ったまま座っていて、やがて立ち上がってぎゅっと自分の拳を握った。

「そう。そうだな。戦争を終わらせる、か」

「はい!」

「頑張ろう、5号機」

 にっと阿具は笑みを浮かべた。

「えいえい、おー!」

 5号機は突然叫んだ。

「ん?」

「えいえい、おー!」

「俺も言うのか?」

「えいえい、おー!!!」

 5号機が阿具を真っ直ぐに見て怒鳴った。

「えいえい」

「おぉお!」

 阿具が答えた。

「えいえいおおーーー!」

 二人の叫ぶ声が、夕闇にこだましていった。

 


 基地は早朝でも、人の気配が消えることは無い。

 早朝の基地には、トレーニングを行うものや、時間に関係しない業務を担当するものが動いていた。

 3号機はいつものように、木に水をやって木肌をさすった。

「毎日やってんのか?」

 唐突に後ろからした声に、3号機は振り返った。

 阿具が眠たそうな顔で、タバコに火を付けるところだった。

「おはようございます」

「おはよう。早朝から水やりか?」

「はい。2号機が少し前に特殊な肥料っていうのを配合してくれたんで。毎日水に混ぜてるんです」

「そっか。花咲くと良いな」

 阿具が言うと、3号機はうつむいた。

「本当は、咲かないかもしれない、って思ってるんです」

「どうして」

「元々気候が違いすぎるんです。桜は、やっぱり桜だから。寒い地方じゃ咲かない…」

 阿具は歩み寄ると、木を見上げた。

「俺が昔、戦場で教えて貰ったことだ」

 3号機は顔を上げた。

「植物を。木を、草を敬え」

「えと」

「木や草は人間よりずっと強い。常に静かに動かないが、どんな環境にだって耐えて、適応する。人間だって同じはずなんだが、人間はすぐに弱音を吐く」

 3号機は阿具を見上げた。

「じゃあ、咲くんですか?」

「少なくとも、コイツはそのつもりだ。生きてる、木に耳を当ててみな」

 3号機は言われるままに木に耳を当てた。木が水を吸い上げていく音が聞こえた。心臓の音のように、静かに規則正しく音が木の体内で響いていた。

「すごい…」

「花を咲かせる時を、力を蓄えてずっと待つんだ。必ず花を咲かせられると信じて、じっと待つ。弱音を吐くことも、自殺することもない。ひたすら、寿命が尽きるまで待つ。常に諦めず一つの方向に向かっていく」

 阿具は静かに言った。

「まぁ実際に教えて貰ったのは、野外戦の時に遮蔽物や食料として植物がいかに役立つか、っていう訓示なんだけどな」

 3号機は黙ってじっと木に耳を当てていた。

 阿具は微笑を浮かべると、背中を向けた。

「咲きますよね、きっと!」

 後ろから3号機が言った。

 阿具は振り向かずにそのまま行った。3号機は木を抱いて、じっと枝を見上げた。いつものように寒々しい空が枝の向こうに見えた。

 3号機は目を大きく見開いた。

「隊長!」

 3号機は叫んで、阿具の後を追いかけて走り去っていった。

 桜の木の一番高い枝に小さなつぼみが、ほんの少しだけ桜色をのぞかせてついていた。

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