「並……」


 私の姿を見ると佳緒留は驚いた後、ふわりと笑った。


「俺には無理だった。あきらめるしかない」


 優は私を抱く佳緒留に淡々とそう言った。


 あの後、すぐに兵士が現れ優は拘束。

 逃げるのかと思ったけど、彼は逃げなかった。

 兵士に連れられ城に戻ると王と王妃、佳緒留が出迎えた。私を見た王と王妃は満足そうに笑っていた。


「佳緒留。優はどうなるの?」

「明日、人間の世界に戻ってもらってもらうつもりだ」


 彼は静かな声でそう答える。その表情はどこか切なく、苦しげだった。


「……僕は君を…愛してる。だけど」

「佳緒留……。私もあなたを愛してる」


 私はそう言って佳緒留にキスをする。しかし唇の感触に違和感を覚え、私はすぐに離れた。


 どうしたの、私。 

 いつものキスなのに……


「並。おいで。積谷優を人間の世界に返そう」


 佳緒留は優しく微笑むと私の肩を引き寄せた。



 優の部屋は水の鏡の隣の塔だった。塔に上がって行くと、夕方の強い日差しが窓から差し込む。私と佳緒留は手で光を遮りながら昇り、部屋に辿り着く。


「並子、佳緒留……」


 優は現れた私達に驚きを隠せないようだった。


「君を人間の世界に戻す。着いてきて」


 佳緒留はそんな彼に淡々とそう声をかけると、背を向けて歩き出す。


「佳緒留」


 私は優の様子が気になったが、佳緒留の後を追った。


「父さん!」

「やはり来よったか。我ながら情けない息子だ」


 水の鏡の塔に昇ろうとすると、入り口には王と兵士が待ち構えていた。


「私は並に幸せになってほしいのです。だから、僕は彼女を返すことにしました」


 そう言って佳緒留は腰から剣を抜く。


「並、積谷優。僕が引き留めるから君たちは上へ」

「佳緒留!」

「息子よ。愚かな真似を!」


 王は怒りを露わに杖を振るう。しかし、杖から放たれた光は佳緒留の前で四散した。


「王妃!」


 彼の側で光を防いだのは王妃だった。


「あなた、もう一度彼達にチャンスを与えるべきです。どうせ、今のまま水の鏡の中に飛び込んでも、並は泡になって消えてしまいます。並が本当に愛するものが誰か、見極めることも大事だと思うのですが」

「王妃! そんなこと、わかっていることではないか。並が好きなのは佳緒留に決まっておる」

「それでは最後にもう一度試してみましょう」


 王妃のその言葉で王は兵を引き、私達は全員で水の鏡に行くことになった。


 窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。水瓶に貯められた水は光を反射し、美しく輝いていた。部屋全体が明るい光で満ち溢れている。


「並子」


 水瓶に手をつき、優は振り向いた。


「並、試してごらん」


 佳緒留に言われ、私は優に近づく。彼は切なげに私を見つめている。


「並子。一緒に帰ろう」


 優は私の頬を両手で包むと軽くキスをする。

 しかし、それだけだった。


 優の表情の落胆の色が現れ、王は嬉しそうな奇声をあげた。


 そう、私は好きなので佳緒留。佳緒留なんだから。


 佳緒留が私に近付き、ぎゅっと抱きしめる。


「……俺が悪かったんだな。全部。でもお前が今幸せなら、それでいいかもしれない。優斗には俺が話しておくから」


 優斗。

 その言葉を聞き、私の心臓がどくんと跳ねた。


「並子。お前は信じなかったが、俺はお前が好きだ。愛している。お前の幸せを願っている」


 優はそう言うとくるりと私達に背中を向けた。

 

優……

 優斗……


「ま、待って!優!」


 気がつくと私はそう叫んでいた。しかし私が叫ぶよりも早く、優は水瓶の中に身を投げる。


「優!」


私は佳緒留の手を振り切り走った。そして水の鏡を見つめる。沈んでいく優が見えた。


「並!」


 私は水瓶の縁を掴むと、優を追って中に飛び込んだ。


 しゅわっと水の感触が全身を包む。なんだか生温かくて心地よかった。

 そう、あの湯船に浸かっている感じだ。


『並子?!』


 水の中で私を見つけ、優が平泳ぎしながら私に近付く。

 

 ああ、会えてよかった。


 私はただそう感じた。

 沈んでいく彼を見て反射的に体が動いていた。

 このまま彼を失ってしまうのは嫌だった。


『優。ごめん。ごめんなさい』


 私はなぜか彼に謝っていた。

 

体は自由が聞かず、なんだか水と一体化してるような感じだった。

 

 優はなぜか泣きそうな顔をして、私を見ている。


『並子。俺こそごめん。お前を大切にしていなかった。だからこんな』


 感覚的に彼が私を抱きしめるのがわかった。


『並子。愛している。だから、どこにも行かないでくれ』


 私はその言葉に涙がでそうになる。でももう涙どころか、私の感覚自体があやふやな気がした。

 そうか、泡になるんだ。私。


『並子』


 消えゆく意識の中で彼が私の名を呼ぶ。そして彼の唇が私の唇に触れた感触がした。

 それは初めて感じる、甘く、切なく、心に染み入るような深いキスだった。

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