三
「まずは木の上でデートといこう」
「誰が!」
デートなんてとんでもない。
「強情だな」
「えっ、嘘!」
木の上からひょいっと手が伸びてきて、私を持ち上げる。
「すごい」
木の天辺近くまでの登り、私達は街並みを見下ろす。街中に置かれた水瓶や噴水が太陽の光を受けキラキラとして眩しかった。
「本当、すごいな。水が反射して輝いているんだな。でも火事とか起きそうだけど、大丈夫なのか?」
「火事、ロマンチックじゃないこと言うわね。大丈夫に決まってるでしょ」
「そうか」
優がふふっと笑う。彼に触れた部分から彼の鼓動が伝わる。それは私に妙な安心感をもたらせた。
「キスしていい?」
「いいわけないでしょ。馬鹿!」
「あ、危ない!」
彼を張り飛ばそうとして体を動かし、バランスが崩れる。しかし優がしっかりと私を掴み、落下は避けられた。
「落ちたら怪我するだろう。馬鹿」
「馬鹿はあんたでしょ」
いーっと私は口を横に広げる。
「すげぇ。デカイ口。さすがカエルだ」
「デカイは余計よ。あんたの口が小さすぎるの。人間さん」
「そうか。そういう考えもあるよな」
木から降りて、私達は森の中を散策する。佳緒留の元に一刻も早く戻りたいという気持ちが薄れていることに気がつく。
そ、そんなことないわ。
ただ、私はこの人間に同情してるだけなんだから。
「腹減ったなあ。魚でも捕まえてみるか」
川の近くまで来て、彼がそうぼやく。言われてみれば私もお腹がすいていた。
「並子。これ持ってて!」
ぽんっと優は茶色のコートを脱ぐと私に投げる。そしてスリッパを脱ぎ棄て川に入った。
「つめてぇ。でも気持ちいい。並子もどうだ?」
優は川の水を足でぱしゃんと弾き飛ばしながらそう言う。
楽しそう。
私はコートを木にかけ、ドレスの裾を結ぶと、川に入る。ひんやりした感触が肌から伝わり、心地よかった。
「さあ、誰が先に魚を捕まえるか競争だ!」
「そ、そんな競争に乗るわけないでしょ?」
「ふうん。それじゃ、魚はいらないのか?」
ぐううと私の返事よりも先にお腹が応える。すると優が腹を抱えて笑いだした。
「心配するな。お前が獲らなくても俺が獲った分渡してやるから」
「そんなの必要ないわ。人間なんかに負けるわけないでしょ」
私はそう言うと魚をめがけて手を伸ばした。
「参りました」
「ふふん。人間はしょせんそんなものよね」
私は優に嫌みな笑みを向ける。
私が十匹魚を捕まえる間に、優は結局一匹も捕まえることができなかった。
「可哀そうな人間に、私が魚をお裾分けしてあげるわ」
「ははー。ありがとうございます」
人間は頭を深く下げ、かしこまる。
それは優らしくなくて、私は笑いだした。すると優もなぜか笑い、森の中に私達の笑いが木霊する。私達は結局お腹がぐーと食べ物を催促するまで、笑い続けた。
「それは何?」
「ライター。本当に何も覚えてないんだな」
「だから、私は並子じゃないんだから」
私達は落ち葉と枯れ木を集めると火を炊いた。彼がポケットから取り出したライターというのはかなり便利なもので、火を簡単に着けることができた。
私は魚に木の枝を刺すと、火を囲むように地面に突き刺す。
「カエルって、魚食べれるんだな」
「カエルって。あなたの世界のカエルと私達カエル族は違うんだから」
「そうか」
優は短くそう答えるとポケットから白い箱を出す。その中に紙に包まれた小さい棒が入っており、何だろうと首をかしげた。
「煙草。並子は吸わなかったけど。吸ってみる?」
そう言われ、その小さな棒に火をつけられ、渡される。妙な匂いの煙が立ち上る。
「口に少し含んで吸うんだ。そして煙を吐く」
私は言われたように白い棒の先を口に入れる。
げ、何これ!
「……けほっつ、けほっつ!」
口の中に嫌な味が広がり、息が苦しくなった。煙が鼻から入り吐き気がする。
「やっぱりだめか。貸して」
涙目になる私の背中をさすりながら、優は煙草をいう白い棒を地面に押し付け火を消す。
「並子」
隣に座る優が、背中を擦るのをやめ、ふと私を見つめた。背中に感じる彼の手が熱を帯びているようで、私は心臓が飛び出るくらいドキドキした。彼の黒い瞳が煌めく。目をそらしたくてもそらせなかった。
彼はじっと私を見つめていた。
その視線は穏やかで、まっすぐだ。
彼の顔が近づくのがわかった。でも私は逃げなかった。ただ静かに目を閉じる。
「並子。好きだ。一緒に帰ろう」
優はそう囁くと私の唇に彼の唇を重ねた。
「………駄目みたいだな」
長いキスの後、彼が悲しげにつぶやく。
「お前はもう俺の元に戻りたくないんだろうな」
優は自虐的に笑い、煙草を取り出す。そして私の元を離れ、木の幹に寄りかかる。ライターを使い、火をつけると嫌な香りがこちらまで漂ってきた。
しかし、彼の表情を見ていると何も言えなかった。優は日が傾き始めた空を見上げながら、煙草を一人で吸う。横顔はなんだか疲れているように見えた。
私は、私はカエル族のままだった。
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