「お母さん!お母さん!」

 甲高い泣き声が響く。

優斗ゆうと。優斗。泣くな。俺が絶対に見つけるから」

 言い聞かせるように優しい男の人の声が聞こえる。


 大きな人間は小さな人間を抱きかかえ、その背中を摩っている。そのうち泣き声が止み、小さな寝息が聞こえてきた。

 大きな人間、すぐるは優斗を布団に寝かせるとタオルケットをかぶせた。


 そう、この人は優。そして子供は優斗。


 優は窓をあけると、縁側に出る。

 かちっ、かちっとライターで煙草に火を点け、口に含む。

 口から吐き出した煙はゆっくりと暗い空へ昇っていった。


 優はその煙が空に消えたのを確認すると再度煙草は口にくわえる。

「並子、どこにいったんだ?」

 彼は煙を深く吐き出すと、消え入りそうな声でそうつぶやいた。

 


「優!私はここ。ここにいるの!」


 私は彼に向かってそう叫ぶ。

 彼が探している並子という女性が、私であると思った。


 彼に触れようと手を伸ばす。するとぐいっと何かに意識が引っ張られ、私は目を覚ました。


「ここは……?」


 真っ暗な部屋で目を開ける。

 お姫様が寝るようなベッドだ。


「私……」


 記憶が混乱する。

 私は、誰?


 並子?

 並?


 並子のはずがない。

 彼達が探している女性は人間だ。

 私はカエル族の娘で、佳緒留の婚約者だ。


 人間であるはずがない。


 でも心は叫んでいる。

 私は並子、帰らないと。


 ありえない。

 そんなこと。


 私は両手で顔を覆う。

 脳裏に優斗いう小さい人間の泣き声が響き始める。


 わからない、

 わからない。


 

 でもあの二人に会いたい。

 会って確かめたい。


 私はローブを羽織ると、部屋を出る。

 部屋の前の警備兵は椅子に座って眠りこんでいた。


 佳緒留には水の鏡に近づかないでと言われた。

 約束もした。


 でも私は確かめたい。

  

 あの泣き声は私の胸を苦しめる。


 ごめん、佳緒留。

 確かめるだけだから。

 

 私は誰もいないことを確認しながら、水の鏡のある塔へ向かった。




 階段を登りきり、私は水の鏡のある最上階の部屋に入る。

 緊張しながら、大きな水瓶の水面を覗き込んだ。水面が揺れ、波打つと映像が現れた。


 優斗の姿が見える。

 丸く体を縮め、その表情は辛そうだ。


 悪い夢でも見てる?


 襖を開ける音がして、優の姿が見えた。優斗の側に座り込み、その頭を撫でる。すると彼の表情が少し和らいだ気がする。


 何かを優斗に囁きかける。


 優?

 何を言ったの?


 あなたも私の帰りを待ってるの?

 優斗の母ということだけでなく、あなた自身も私を待ってるの?


「私、何思って?」


 私は並。

 並子じゃない。


 でも。


「並子。帰ってきてくれ。頼む」


 顔を寄せた水面から優のそんな、搾り出す様な声が聞こえた気がした。

 彼は壁に体を預け、片足をだらんと垂らし、もう一方の足を抱きかか、反対側の壁をじっと見つめる。でも見ているわけではないみたいで。


「並子……」


 彼が私を呼ぶ。

 

 帰りたい。

 彼の元へ、優斗の元へ。


 私は水瓶の縁を両手で掴み、這い上がろうと試みる。人間の世界に行くためにはこの水の鏡をくぐればいい。


「並!」


 佳緒留の声が聞こえ、後ろからぎゅっと抱きしめられる。


「君は何をしてるんだ!」

「佳緒留!放して!彼らが待ってるの!お願い!」

「だめだ。行かせるわけにはいかない!」

「お願い!」


 彼の大きな溜息が聞こえた。でも私を掴む手は緩めなかった。


「……やっぱり僕じゃだめなの?僕なら君を必ず幸せにするのに」

「……佳緒留。どういうことなの?やっぱり私は並子なの?」


 本当のことが知りたかった。

 私は誰なのか?

 何なのか?


「そうか、まだ記憶が。でも、それでも君は僕を選ばないんだね」

 

 どういうこと?


「並、並子。もう僕は諦めるしかないみたいだ。だからすべてを話すよ。君に」


 彼が静かな声でそういい、私を抱く力が弱まる。そして彼は話し始めた。

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