四
「お母さん!お母さん!」
甲高い泣き声が響く。
「
言い聞かせるように優しい男の人の声が聞こえる。
大きな人間は小さな人間を抱きかかえ、その背中を摩っている。そのうち泣き声が止み、小さな寝息が聞こえてきた。
大きな人間、
そう、この人は優。そして子供は優斗。
優は窓をあけると、縁側に出る。
かちっ、かちっとライターで煙草に火を点け、口に含む。
口から吐き出した煙はゆっくりと暗い空へ昇っていった。
優はその煙が空に消えたのを確認すると再度煙草は口にくわえる。
「並子、どこにいったんだ?」
彼は煙を深く吐き出すと、消え入りそうな声でそうつぶやいた。
「優!私はここ。ここにいるの!」
私は彼に向かってそう叫ぶ。
彼が探している並子という女性が、私であると思った。
彼に触れようと手を伸ばす。するとぐいっと何かに意識が引っ張られ、私は目を覚ました。
「ここは……?」
真っ暗な部屋で目を開ける。
お姫様が寝るようなベッドだ。
「私……」
記憶が混乱する。
私は、誰?
並子?
並?
並子のはずがない。
彼達が探している女性は人間だ。
私はカエル族の娘で、佳緒留の婚約者だ。
人間であるはずがない。
でも心は叫んでいる。
私は並子、帰らないと。
ありえない。
そんなこと。
私は両手で顔を覆う。
脳裏に優斗いう小さい人間の泣き声が響き始める。
わからない、
わからない。
でもあの二人に会いたい。
会って確かめたい。
私はローブを羽織ると、部屋を出る。
部屋の前の警備兵は椅子に座って眠りこんでいた。
佳緒留には水の鏡に近づかないでと言われた。
約束もした。
でも私は確かめたい。
あの泣き声は私の胸を苦しめる。
ごめん、佳緒留。
確かめるだけだから。
私は誰もいないことを確認しながら、水の鏡のある塔へ向かった。
階段を登りきり、私は水の鏡のある最上階の部屋に入る。
緊張しながら、大きな水瓶の水面を覗き込んだ。水面が揺れ、波打つと映像が現れた。
優斗の姿が見える。
丸く体を縮め、その表情は辛そうだ。
悪い夢でも見てる?
襖を開ける音がして、優の姿が見えた。優斗の側に座り込み、その頭を撫でる。すると彼の表情が少し和らいだ気がする。
何かを優斗に囁きかける。
優?
何を言ったの?
あなたも私の帰りを待ってるの?
優斗の母ということだけでなく、あなた自身も私を待ってるの?
「私、何思って?」
私は並。
並子じゃない。
でも。
「並子。帰ってきてくれ。頼む」
顔を寄せた水面から優のそんな、搾り出す様な声が聞こえた気がした。
彼は壁に体を預け、片足をだらんと垂らし、もう一方の足を抱きかか、反対側の壁をじっと見つめる。でも見ているわけではないみたいで。
「並子……」
彼が私を呼ぶ。
帰りたい。
彼の元へ、優斗の元へ。
私は水瓶の縁を両手で掴み、這い上がろうと試みる。人間の世界に行くためにはこの水の鏡をくぐればいい。
「並!」
佳緒留の声が聞こえ、後ろからぎゅっと抱きしめられる。
「君は何をしてるんだ!」
「佳緒留!放して!彼らが待ってるの!お願い!」
「だめだ。行かせるわけにはいかない!」
「お願い!」
彼の大きな溜息が聞こえた。でも私を掴む手は緩めなかった。
「……やっぱり僕じゃだめなの?僕なら君を必ず幸せにするのに」
「……佳緒留。どういうことなの?やっぱり私は並子なの?」
本当のことが知りたかった。
私は誰なのか?
何なのか?
「そうか、まだ記憶が。でも、それでも君は僕を選ばないんだね」
どういうこと?
「並、並子。もう僕は諦めるしかないみたいだ。だからすべてを話すよ。君に」
彼が静かな声でそういい、私を抱く力が弱まる。そして彼は話し始めた。
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