お城の外れの高塔に、水の鏡はあった。

 最上階まで登ると部屋があり、そこに高さが腰くらいまでの大きな陶器の水瓶が置かれていた。それは口が大きく、溢れんばかりの水が湛えられている。覗き込むと水面が揺れ、情景が現れる。それが水の鏡と呼ばれる所以だ。見えるものは外の人間の世界だった。


「気をつけて」


 水の鏡に落ちたものは人間の世界へ迷い込む。

 佳緒留は私を心配げに見つめながら、側に立っていた。


「大丈夫よ」

 

 あの夢に出てきた人間が気になって、佳緒留に水の鏡に連れてきてもらった。彼の悲しげな表情がますます深みを帯びたような気がしたが、私はどうして気になってしまい、お願いした。


 水面をしばらく覗いていると、情景が現れる。


 声は聞こえない。

 夢で見た小さい人間と大きな人間は池のほとりに座り込んでいた。


 何を話しているのだろう?


 私は声が聞きたくて、水面に顔を寄せる。


「並!」


 きつく名を呼ばれ、私は慌てて顔を上げる。

 佳緒留が険しい顔で私を見ていた。


「ごめん。どうかしたの?」


 なんで怒ってるの?

 彼の怒りがわからず、私は戸惑う。


「水に近付かないで。落ちると危ないだろう?」


 彼は表情をやわらげると微笑んだ。


「さあ、街に行こう。ここにいても退屈だろう?」

「佳緒留?」


 肩を抱くと、彼は私を水瓶から離すように引き寄せる。


「並。好きだ。だからもう水の鏡は見ないで」


 痛みに耐えるように囁かれて、私は胸が痛くなる。


 でもなんで?


「並。約束して」


 答えない私を抱きしめて、彼は私の大きな襟に顔をうずめる。


「……わかった。もう見ない」

 

 彼が悲しむのは嫌だった。

 人間なんてどうでもいい。


 私には彼がいれば十分だから。


 彼がそっと触れるようなキスをする。でも佳緒留の表情は冴えないもので、私は違和感を覚えながらもキスを返した。

 


 太陽の光が輝き、水面を照らして輝いている。

 街角に水瓶と噴水が到る所に設置されていた。子供たちは噴水の傍で遊び、楽しげだ。大人もキラキラと光りを放つ街で、おしゃべりをしたり、買い物にと忙しい。


「珍しい?」


 きょろきょろと落ち着かなく視線を動かしている私に佳緒留が笑う。


 見慣れてるはずなのに、なぜか全てが新鮮に見えた。やっぱりお城にずっといたからかな?


「並、来て」


 ぐいっと佳緒留は私の手を掴むと、走りだす。


「佳緒留!」


 大きなフリルの襟が風にそよぎ、視界を遮る。彼に引っ張られるようにしばらく走ったが、長い裾が足に絡まり、こけそうになった。


「ごめん!」


 佳緒留は転びそうになる私を抱きとめる。すぐ近くに彼の茶色の瞳があった。


「大丈夫」


 私は彼の腕の中で顔を上げる。佳緒留はきゅっと私の体を抱きしめた後、手を離した。


「もう大丈夫。うまく巻けたみたいだ」


 佳緒留は周りを見ながらそう言う。


「誰かがついていると色々面倒だからね。これでゆっくりできるよ」


 そうか。

 王子様だから常に誰かが警護しているは普通だよね。

 私も誰かがいるのはいやだから、丁度いいか。


「行こう」


 ふわりと彼が私の手を掴む。でも今度はゆっくりと歩き出した。


 

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