願ったこと

 家に帰ったのは十二時過ぎ。でもなんだか眠れなくて、お風呂に入ることにした。


湯船にたっぷりにお湯を溜め、服を脱いで浴室に入る。

 シャワーで体を流すと、とぽんと浴槽に浸かった。


 じわっと体全体が温まり、気持ちが軽くなる。


 こうやってお風呂に入れることは幸せ。

 優斗がいるとなかなか時間がなかった。

 いつも一緒にばたばたと入る。



『ママ』

 そう言って笑う彼の笑顔、とても可愛いくて、愛しかった。

 でも結局、私は彼のこと邪魔だと思っていたのかな。

 だからこんなことを願った。


 だめな、母親だな。


「並子」


 佳緒留……。

 昨日彼は私のことを名前で呼んでいた。

 本気だよね。

 嬉しいことだけど、無理だ。


 私はこの世界では独身だけど、本当は奥さんで子供もいるのだから。


「並子」


 並子?

 頭の中で聞こえていたと思っていた声が間近で聞こえ、私はキョロキョロと周りを見渡す。


 すると、床のタイルの上に緑色のカエルが仁王立ちで、私を見上げていた。


「カエル!」


 ざばっと浴槽から出ると、私は両手でカエルを捕まえる。

 この機会を逃すつもりはなかった。


「……苦しい、離せ。だいたい、お前には羞恥心と言うものがないのか?」

「!」


 そう大きな目を向けられ、はっと自分が裸であることを自覚する。

 そして思わず手を離し、大事なところを隠す。


「ふうん、前回は全然照れてなかったが、やはり恥ずかしいと思うのか?」

「あ、当たり前でしょ。だいたい、なんでお風呂場に現れるのよ!」

「わしはカエルだからな。水の近くに現れるのは当然だろう?」


 確かにそうだけど。

 あ、でも昨日は部屋に現れていた。

 まあ、そんなことどうでもいい。

 せっかくのチャンス逃すわけにいかない!


「カエル、カエル様! 元に戻してください。お願いします!」


 私は下出に出た方がいいと、体を手で必死に隠しながら頭を下げる。


「……どうしてだ?お前の望む世界を用意したぞ。お前を好きになるハンサムな男もいるだろう?」

「確かに……。でも私は元に戻りたいの。お願い!」

「だめだな。お前はきっと元に戻っても同じ事を思うだろう。だいたい、本当に戻りたいと思っているのか? 息子に会いたいというのは罪悪感からだろう? この世界で結婚すればいい。そして子供をもうければ同じことだと思うがな」

「そんなの、できるわけないでしょ!」

「そうかな? 佳緒留に抱かれたとき、心地よさを感じただろう? 正直になるがいい」

「なんで知ってるのよ!そんなこと」

「わしはなんでも知ってる。この世界を作ったのはわしだからな」

「だったら、元に戻して」

「できない。並子、この世界で幸せになるのだ。それがお前にとって一番の幸せだ」

「そんなの、勝手に決めないで!」

「ふふ。怒るのか? 自分で願ったことだろう?積谷優と結婚していない人生を」

「そうだけど!」

「……時間の無駄だったな。わしは戻るぞ。もうお前に会うこともないだろう」


 カエルはそう言うとぴょんと跳ねる。


「カエル!」


 私は体を隠すことも忘れ後を追う。カエルはそんな私をせせら笑うかのように、ぽちゃんと音を立てると湯船の中に消えた。


「カエル!カエル!」


 お湯の中に手を突っ込んで必死にカエルを探す。でも私がカエルの姿を再び見つけることはなかった。

 

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