後悔先に立たず

「……子供ができたみたいなんだけど」


 生理予定日よりニ週間が過ぎて、私はすぐるに黙っての妊娠検査薬を使って調べた。結果は陽性で、私はどきどきしながら、彼に伝えた。


「そうか。結婚しよう!」


 優はすぐにそう言って、私をぎゅっと抱きしめた。

 

 付き合って三ヶ月、お互いに感情が高まっていたときだった。

 私達はそのまま、勢いで結婚した。


 幸せだった。

 育児が大変だったけど、優も手伝ってくれて、どうにか楽しく過ごせた。


 そうして時が過ぎ、私は優斗ゆうとが三歳になったのを機に仕事を始めることにした。友達から仕事の話を聞いて、刺激された。まだ三十歳、これからバリバリ仕事もできると思っていた。

 

 でも現実は全然違った。


 そして優とよく喧嘩するようになったのは、それからだ。

 彼は昇進し、忙しくなった。


 毎日、定時に帰らなくなり、私は子供と二人でご飯を食べることが多くなった。


 すべて私一人でしないといけない。

 友達に飲みに誘われても、いけるわけもなく。



「なんで、私ばっかり!」

「たいした仕事もしてないんだろう? やめればいいじゃないか。俺の給料で十分やっていけると思うけど」

「悪かったわね。私の給料が安くて!」


 優は穏やかに返したけど、私はなんだか自分がしている仕事が馬鹿にされた気がして、怒鳴り返した。


 ああ、反省。

 でも、悔しかったんだもん。


 私だって一生懸命仕事してる。

 家のことだって、子供のことだって!


「並、並子!」


 ふいに名前を呼ばれ、ぐいっと引っ張られたような感覚がした。私はぼんやりと目を覚ます。

 最初に見えたのは母の顔だった。


 あれ?

 私?


「あんた、大丈夫かい? あんまり出てこないから、心配になってお風呂覗いたら、床で倒れていただろう? もう、心臓が止まるかと思ったよ!」

「倒れていた? あ、カエル! あのカエルに殺されかけたんだ!」

「カエル? あんた大丈夫? 変な夢でもみたのかい?」

「夢?」


 そうか、夢。

 きっと、私……。お風呂場でこけたか、なんかして倒れたんだ。

 覚えてないけど。


「ああ、本当もう! あんたはおっちょこちょいだね。孫を見る前に娘に死なれたら、私はどうしていいかわからないよ」

「孫を見る前? お母さん、何言ってるのよ! 孫ならいるじゃないの。優斗ゆうと! あ、優斗は?!」

「優斗? 誰だい、それは? それはあんたの彼氏かい?」

「彼氏? お母さん、寝ぼけてる? お母さんの可愛い孫の優斗よ」

「……並子。大丈夫かい? これ何本か、わかる?」


 母は訝しげな顔をして、手の平を私の顔の前でひらひらさせる。


「……え、だって」


 母さんは真剣だった。

 本当に優斗のことがわからないんだ!


「優斗!」


 私は母の手を振り切ると、優斗を寝かしつけた私の部屋に走る。そして扉を開けて、驚いた。


「え、」


 部屋の様子がまったく違った。

 それは私が結婚するまで使っていた状態で、シングルベッドと机が置かれていた。


「並子、大丈夫かい? 明日、仕事休んで病院行くかい?」

「仕事? 私、何の仕事してるの?」

「……何のって、役場に決まってるじゃないか」


 世界が変わってしまったらしい。

 あのカエルは私の願いを叶えた。


 結婚する前、私は役場に勤めていた。

 だから、この世界は私が結婚していない世界だ。


 優斗、だから優斗は存在していない。


 罪悪感がよぎる。

 何か悪いことをしたような気持ちだ。


 私はとりあえず母に大丈夫だといって部屋に篭った。

 嬉しいどころか罪悪感でいっぱいで、気持ちが落ち着かなかった。


「並子。どうだ。気に入ったか?」


 ふいにそう声が聞こえ、緑色の光が現れる。それはあのカエルで腕を組んで偉そうに私を見ていた。


「わしはお前の願いをちゃんと叶えてやったぞ」

「夢、夢じゃないの?」

「現実だ。どうだ。嬉しいか?」

「嬉しいって」


 嬉しくなかった。

 優斗のことが心配だった。


「じゃ、わしはここで消える。新しい人生を楽しめ!」

「か、カエル! ちょっと待って! 元に戻してよ」

「元に戻す? どうしてだ?」

「だって、優斗が心配だし、仕事も……」

「安心しろ。お前の子供は存在すらしていない。痛みも何もあったもんじゃない」

「……でも」


 今日、添い寝したことを覚えてる。

 優斗は確かに存在してたし、私の可愛い子どもだ。


「願いは戻すことはできない。願ったことを後悔するんだな。じゃ。わしは消えるぞ!」

「カエル!」


 私が止めるのも聞かず、カエルは空気に解けるように消えた。


「どうしよう。私なんてことを」


 ちょっと願ったことだった。

 自由な時間が欲しいと思った。

 まさかこんなに事になるとは思わなかった。


 私はどうしていいかわからなくて、ただカエルの消えた空間を見つめていた。

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