episode10 最後の戦い/いつかの明日
episode10
「まず始めに訊こう。君は一体誰なんだ」
灰色のコンクリートで囲われた取調室。
そこで複数の人間が、一人の青年を取り囲んでいた。
彼らは皆、青年に奇異と少しの畏怖が混ざった視線を向けている。
しかし、青年は少しも身動ぎすることなく目の前の男を見つめていた。
「俺の名前は【ヴァルジール】。またの名を【雷龍】。この世界と隣り合わせにある、もう一つの世界で“王”として国を治めていた、みたいです……」
青年はまるで他人事のように話す。
青年の見た目は至って普通の人間。
彼はとても王という立場には見えない。
けれども、彼が纏う異様な気配からは尋常ならざるモノを感じさせる。
彼を尋問するAPCO捜査班の高水は、青年と知らない仲ではなかった。
ともに凶悪な事件を解決していく中で、お互いに信頼を築き上げていた。
だが今は違う。二人の間に、いや、この場にいる者と青年の信頼は最早ない。
「あの白い樹について知っていることは?」
白い樹。
二日ほど前、X県の近海に突如として現れた謎の樹。
周囲には異形のモノたちが樹を守るように飛び交っている。
そのため、樹の調査を行うことすらままならない状況が続いていた。
「【幻相】のやつは、青い海に我が城が浮かぶと言っていました。そして、そこで俺と決着をつける、と。恐らく、あの白い樹が【幻相】の城なんだと思います」
「それ以外には?」
「これ以上は、まだ解ってないです」
「…………」
まるで、調査している最中とでも言うような口ぶりだった。
青年は外部との一切の接触を絶たれているはずなのだが。
周囲の人間は奇異の視線を青年に向ける。
そこへ、
「……“滝上隆一”に成りすましていた理由は?」
「ッ!」
部屋の扉が勢いよく開かれ、覇気のある声が響いた。
その怒りの滲んだ声は寒風のように青年の肌を打つ。
声の主は滝上隆源。“青年と親子のように暮らしていた男”だ。
「君が私の息子に成りすましてっ! 私たちと五年もの間、滑稽な家族ごっこを演じていた理由を聞いているんだっ! 黙ってないで何とか言え! 言えぇ!!」
隆源は青年の胸ぐらを掴み、沸々と湧き上がる怒りをぶつける。
その勢いで青年の座っていた椅子が、大きな音を立てて倒れた。
しかし、青年や隆源はそんなこと気にも留めなかった。
留める余裕など、ありはしなかった。
彼らを止める者は誰もいない。
「……」
「息子は! 隆一は! 今も病院で昏睡状態なんだぞッ! ずっと眠ったままだ! 考えたくないが一生あのままかもしれない! それだというのに、君は何故そんなにも平然としていられる!」
青年の襟を掴む隆源の腕に、尋常でない数の血管が浮き出る。
隆源の顔は憎悪に満ちていた。子を奪われた親の為せる顔だ。
しかし、その怒りは完全には青年に向けられていなかった。
そう、青年の顔が愛しい我が子の顔にそっくりだからだ。
けれど、それが増々青年への憎悪を加速させる。
「私は君が憎いッ! その息子にそっくりな顔をしている君がッ! そして、君が隆一でないことに気付かなかった、自分自身も憎くて憎くて堪らないッ! クソぉ……ッ!」
絞り出すような、声にならない悲鳴が漏れた。
鉄のような男が見せた、人としての浅ましい感情。
だがそれは、誰もが持つ、持つかもしれない、感情だ。
今、首を絞められている青年でさえも解るものだった。
けれども、彼に気持ちが解るなどと、宣えるはずもない。
青年に今できることは、彼の怒りを一身に受け止めることだけだ。
「何故その姿を止めない! 息子の姿をして、私の怒りの矛先をずらそうとしているのか! ああ、その思惑は当たりだ! 憎らしいがね! 君が息子の姿をしている限り、君に怒りの全てが行くことはないだろうな!」
隆源の襟を掴む腕が緩む。
それに反して、彼の表情は増々険しくなっていく。
その目尻からはゆっくりと涙が流れ、頬を伝っていく。
「いい加減! 何か喋ったらどうなんだ! 何も言わず、反抗もせず! 私に怒りをぶつけられることが贖罪とでも言うつもりか!? そんなことで、君の罪が軽くなるとでも思っているのかぁッ!」
隆源は青年を突き飛ばした。
鍛えた男の腕力は、青年の体を壁に勢いよく叩きつける。
そんな隆源を止めるものは、この場には誰一人としていなかった。
無気力な青年はそのまま壁に背中を滑らせ、ずるりと床に腰を落とす。
「罪を清算できるなどとは、思っていません」
ぽつりと、青年の口から零れ落ちる。
「俺は一生を掛けても償うことが出来ない罪を犯した。隆一君から人間にとって掛け替えのない時間を、“私”のエゴによって奪ってしまった。その罪は重い。そして、貴方に対して何か釈明をすることさえも、許されることではないと、そう、思うのです」
「ふざけたことをッ!」
倒れ込んでいる青年の襟首を隆源が掴み、彼を無理やり立たせる。
あまりに強い力により、青年の足はほとんど地面に接地していない。
しかし、青年は変わらず隆源に反抗する素振りさえも見せなかった。
「本当に……ごめんなさい」
「…………」
滝上重工・第四休憩室にて。
クロエは限定的に自由を与えられてここに来ていた。
見張り付きなので息が詰まりそうだが、この際、贅沢は言えない。
ソファーの堅いビニールの表面を撫でながら、彼女は天井を見上げる。
隆一は、いや、父は大丈夫なのだろうか。
そう思っていると、休憩室のドアが開く。
「……?」
視線だけを動かすと、見張り員が部屋を出ていく。
交代の時間にしてはやや早いような気がするのだが。
だが代わりに入ってきた者を見て、クロエは、ああ、と納得の声を漏らした。
「どうも」
「元気だった、妹ちゃん? いや、この呼び方もおかしいか」
休憩室に入ってきたのは、椿姫だった。
椿姫は両手にそれぞれ紙コップを持っている。
コツコツと足音を立てながら、椿姫はクロエに近づいていく。
そしてクロエに視線だけで、隣に座ってもいいか、と質問する。
クロエも無言のまま、占領していたソファーの半分を明け渡す。
「どうぞ」
「これはどうも」
椿姫から手渡された紙コップは、熱いコーヒーが入っていた。
「この暑い日にホットコーヒー?」
「つべこべ言わないでください」
「はい、ありがとうございます」
椿姫にぴしゃりと言い放たれ、クロエは礼を言うとコーヒーに口を付ける。
苦い、無糖じゃないか。この女は何で平気に飲んでいられるのだろう。
だが、この苦さも今の自分には悪くないか。クロエはそう感じた。
「私たちがこうして二人で話すのって、多分、初めてよね。ま、その半分くらいは、私が避けてたせいなのもあるんでしょうけど」
「もう半分は私が警戒していたからですね」
「あら、私が人間じゃないの、随分と前からバレてたのかしら?」
「殆ど勘みたいなものですけどね」
「そ。まあ、もう正直どうでもいいんだけど」
「……戦う理由が無くなったからですか?」
図星だった。
彼女は何故解ったのだろう。
クロエは興味深げに椿姫を見る。
「何故解ったか、気になっている顔ですね」
「……よく見破ったわね」
「顔に出てますからね。……最も、以前のようなミステリアスな感じのクール系キャラをやっていらっしゃった頃なら、分からなかったでしょうけど」
「クール系は廃業したの。お母様の真似しても仕方ないしね」
「おっと、話が逸れましたね」
「そうね」
こほん、と椿姫は可愛らしくわざとらしい咳をする。
「私も同じだからですよ」
椿姫は一度コーヒーを口にする。
緊張しているのだろう。
「私が戦う理由、その根本は兄に対する贖罪だったんです」
本来であれば、兄が滝上家を継ぐはずだった。
兄が家を継げなくなった理由を作った責任は自分にある。
そう思いながら、辛い修行を重ね、今日まで戦ってきた。
他にも色々と理由は出来ていったが、根本にはそれがあった。
「まさか、兄が別人と入れ替わっていたとは、夢にも思いませんでしたから」
「普通に考えたらそうね」
全く同感だ、と、クロエは心の中で深く頷く。
「……」
それっきり、椿姫は俯いて黙ってしまった。
恐らく、過去の記憶がフラッシュバックしているのだろう。
クロエはコーヒーを再び飲んだ後、椿姫の代わりに口を開いた。
「私さ、実は“隆一”が好きだったんだ」
だが。
その“隆一”とは椿姫の本当の兄でない方のことだろう。
それは同時に、クロエの実の父であることを意味していた。
「お父様が殺されたって【幻相】から言われた時から、すごく人が憎かった。絶対、人間たちに復讐してやるって、父の仇を討とうって、そう思ってた。こっちに来て“隆一”に近づいたのも、初めは利用するためだった。……でも、“隆一”とは不思議と気が合って、何時の間にか好きになってた」
クロエは一呼吸置いた。
色々な感情が胸の奥から湧き上がろうとしているのだ。
人前で泣きたくない、クロエは必死に感情を抑え込む。
「今にして思えば、気が合ったのは親だったからなのかな。……ねえ、何でこうなったんだろうね。お父様が生きていたのは嬉しいけど、とても、とても複雑な気分だわ。これを失恋と呼んでいいのかさえ、分からないわ。……戦う理由もなくなったし、何のためにここに来たのかだって、分からなくなっちゃったな」
それは椿姫とて同じことだった。
ただ、彼女とクロエの間には決定的に違う部分がある。
椿姫は“隆一”という存在に対して、好感を抱いてはいなかった。
あの“兄”が偽物だった。その事実が椿姫の心に深い悪感情を抱かせる。
「やっぱりさ。椿姫ちゃんとしては、お父様が憎い?」
「ええ、とても」
椿姫ははっきりと、そう口にした。
その確固たる意思が乗った瞳には、やや薄ら寒いものを感じさせる。
「まあ、それは……そうだよね」
瞳についてはともかくとして。
クロエは椿姫の言葉を肯定した。
いや、違う。肯定するしかなかった。
「でも……」
と、椿姫がぽつりと呟く。
「あの人は許せませんけど、この五年間は確かに兄妹で、殆ど最近まで仲は良くなかったけど、楽しかったことも、なくは……なかったなって。そう、思うんです。とっても悔しいことですけど。気の置けない関係が、確かにあったんだって。歪ではあったけど、確かに、“家族”だったんだって、何故か、そう、思うんです」
兄妹。
家族。
一人っ子のクロエには、兄妹のことは解らない。
しかし、家族と彼女が持つ例えようのない感覚は理解できた。
だが、何と声を掛ければいいのか、クロエには分からなかった。
「そうすると、椿姫ちゃんは私の叔母さん、ってことになるのかしら?」
「ええ……?」
酷く不満げな声を上げる椿姫。
けれども、その顔には若干笑みが戻っていた。
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