episode青
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「明日はいよいよ、決戦の時だね」
ミラジオの夜空は青みがかっている。
その空の下で、“青い目を持つ黒猫”と闇より黒い竜人が佇んでいた。
身体の大きさや纏う威厳は異なるが、二体はどちらも対等の存在に見えた。
「思えば、君たちと僕が出会って結構な時間が経ったよね」
「一緒にいてそんなに経つだろうか? 知り合ってついこないだに思える」
「ははは! もうかれこれ五〇年は一緒だよ」
「五〇年か。確かにそれなりに長いな」
竜人の態度は何処か上の空だった。
遠くの空を見上げて、何かを考えている。
いや、逆に何も考えないようにしているようにも見えた。
「……緊張しているの? 明日の事で」
「…………そうかもしれないな」
「大丈夫だよ。君ならきっと出来る。僕はそう信じてる」
「お前は私というものを、少々買い被っているよ」
「そんなことはないさ。これは長い時間一緒にいて思ったからだよ」
黒猫はにこやかに笑う。
いつもは悪戯や人を煽る言動をする猫が、何時になくこういうのだ。
長く一緒にいる竜人には、猫が心の底から思っていることだと感じられた。
「お前がそう言うのなら、きっと、そうなのだろうな」
「ははは! その調子だよ、その調子」
「お前の口車に乗せられるのも慣れた」
「五〇年も一緒にいれば慣れもするか! ははは!」
黒猫は努めて場を和ませようとする。
それは黒猫も緊張していることを示唆していた。
竜人もそのことを理解したのか、彼に合わせることにした。
「明日はお前の力が必要になる。期待しているぞ。【ノワルツ】」
「任せなよ。僕の力で、君を勝利に導いてやるさ!」
「ああ」
ミラジオの“王”の玉座にて。
漆黒の龍燐を纏う竜人は、奇怪な姿をした異形を見下ろしていた。
その異形こそ、このミラジオを統べる“王”と呼ばれる存在である。
「何故、何故だ! 友よ! 何故私の邪魔をする!」
“王”の肉体は、凡そ生態系に組み込むことのできないものであった。
頭は獅子、胴は岩のよう、背中からは巨大な翼、脚は屈強な鳥脚を持つ。
まさに、幻想的かつ醜悪的、人の世では決してあり得ない姿をしていた。
「貴方が“王”に相応しい存在ではなくなってしまったからだ」
「“王”はこの世において、ただ一柱! この私をおいて他にない! 力だって、私に勝るものなどいない! 貴様だって、私の力に遠く及ばない存在だった!」
異形の王は口の端から青色の血液を流しながら激昂する。
実に惨めで、哀れで、見事なまでの醜態を周りに晒していた。
これが一度は混乱の世を統べ、最高の“王”と呼ばれた事もある存在なのだから、人生、いや、獣生というのは不条理で、不可解で、不思議なものである。
「だが、貴方は私に負けた。それが何故か分からない貴方に……!」
「そこの猫か! そんな下等な存在が勝敗を分けたとでも言うのか!? ヒトよりも劣る下等な生物に! そんな小さきものに! この私が!? 理解できない! 総てのモノは私の支配下にあるべきなのだ! 対等の関係など、ありえない!」
「それが分からない貴方だから“王”は無理だというのだ!」
「ほざくなああああああああああ!!!!」
最早、死体一歩手前の“王”が全身から強い怒りを発した。
死に掛けとは思えない生命力、いや、死が近いからこそ生まれる怨念。
そんな曖昧なものが実感となって、竜人や近くにいた黒猫の肌を打った。
「【ヴァルジール】、私は生まれ変わってでも、必ずお前に復讐して見せる! そして再びこの世の王として君臨してみせるぞ! 貴様を地獄へ突き落した上で!」
絶命する一瞬、“王”は黒猫を睨みつけた。
“黒猫の青い瞳”と“異形の王”の視線が交差する。
やがて“王”の肉体は灰となり、吹きつける風に運び去られていく。
「さようならだ。“王”、いや、【ケセルスス】」
竜人とその仲間たちの“王”に対する反乱は、こうして幕を閉じた。
……かに思われた。
しばらくして、玉座に【水龍】が入ってくる。
彼女は結果は当然と言わんばかりに、平然と竜人に近づく。
「どうやら終わったようじゃの」
「ああ……、終わった。そっちはどうだった、怪我はないか?」
「もう、番は心配症じゃの~。妾が手間取るはずないであろう?」
「それもそうだな……。だが、些細な怪我も命取りだからな」
「んふふ、好き。……おや、【ノワルツ】は一体何処へ行ったんじゃ?」
「ん? 先程まで私と一緒に居たはずなんだが……」
「あやつの事じゃから、まあ、そのうち戻ってくるじゃろ」
「……そうだな。【ノワルツ】の事だ、きっと帰ってくるだろう」
「それよりも……妾、訊きたいことがあるんじゃよ」
「何だ? 私とお前の仲だ、何でも訊くと良い」
「アリシアとは、一体誰じゃ? 妙に親し気だったのう?」
「…………」
竜人は気まずそうに、その場をゆっくりと後にしようとする。
だが、肩をがっしりと掴まれ、竜人は思うように動けなかった。
「おい、逃げるでない。しっかり説明してもらうぞ」
同じ龍という種族である以上、その能力には絶対的な差はない。
……というよりも、単に【水龍】の実力が高いだけなのだろう。
「お、お手柔らかに……、お願いするぞ」
「ほほほ、それはお主の態度次第じゃな?」
それから、途方もない時が流れた。
ミラジオは“王”が乱心していた時よりは、平穏な世になっていた。
しかし、別の世界へと赴き、不逞な行いをするモノも少なくなかった。
そのようなものは向こう側にいるヒトが、人知れず始末をつけていた。
だが、いい加減、向こう側に裁きを付けてもらうというのもどうなのか。
……という問題が、ミラジオを統べるモノたちの間で上がり始めていた。
「では、行ってくる」
「ええ、気を付けて」
「行ってらっしゃいませ、お父様」
「ああ、いい子にしているんだぞ」
そこで、新王と使節団をヒトの世に送り、和平会議をする。
という、ミラジオやヒトの世にとって新しい試みが行われることになった。
既にヒトの世には使いのモノを送り、大まかなセッティングは終えている。
そして今日、新王となった【雷龍・ヴァルジール】はヒトの世へと経つのだ。
「やあ、【ヴァル】。準備は出来たかい?」
家を出ると、外では【幻祖六柱】の一柱、【幻相】がヴァルを待っていた。
彼は“青い瞳”でヴァルを見つめ、不敵な笑みを浮かべている。
相変わらず、何を考えているのか、全く分からない男だ。
竜人は密かに【幻相】に警戒心を覚えていた。
「ああ、出来ている」
「ふふ、緊張しているのかい? さ、行こうか」
だが、“青い瞳”を見ていると、ヴァルは懐かしい気持ちに駆られた。
【六柱】を選出する催しで初めて会った時以来、ずっとそう感じていた。
それが何か、ヴァルは周囲のモノに訊いてみたが、解ることはなかった。
心の中にもやもやとした物を抱えながらも、ヴァルたちは家を後にする。
それから程なくして、二柱はとある海岸に辿り着いた。
生気の欠片もない、酷く静かで、不気味なほど穏やかな灰色の海。
この海の中心にぽっかりと開いている孔が、ヒトの世に通じているのだ。
「相変わらず、良いところだねえ。何というか気分が落ち着くよ」
「【聖賢】に対する、私的な暗殺行為を完全に赦したわけではない。忘れるな」
「もう何十年も前のことじゃあないか。……分かっているさ。反省している」
「そうか。……ところで【堅剛】はどうした?」
「彼なら、来ていないよ」
ふと、冷たい声で【幻相】が言う。
竜人は背筋に怖気が奔る感覚を覚えた。
何と冷たい声、そして雰囲気なのだろうか。
「珍しいな、アイツが時間に遅れるなど、出会ってから一度も見たこともない」
「【轟焔】と並んでお堅い方だからねえ。まあ、彼も結局は生物さ。間違いもすれば、寝坊することだってある。生き物っていうのは、そういうものだ」
「えらく饒舌だな。いつものことだが」
「そうかい? まあ、何と言っても、今日はめでたい日だからね」
「気が早いぞ。まだ会談が上手くいくとは限らないんだからな」
「いや、そうじゃないさ」
それは一体どういう意味だ。
竜人は【幻相】に問いただす為に振り返ろうとする。
だが、振り返る前に、竜人は自身の背中から異物が入り込む感触を覚えた。
そして、異物からは粘性のある液体が注入されて、全身へと広がっていく。
「ぐっ、ぐぅぅッ!! 【幻相】、貴様何をしたぁ!」
竜人の体内が未だかつてないほどの熱を帯びる。
視界がぶれ、その上体幹が駄目になり、立つことすらままならない。
「この世で最も強い毒を持つと言われる、蛇種から貰ったものだ」
「裏切るというのか、この私を……!」
「裏切る? 違う! あるべきカタチに戻るだけだ。“私”が“王”であるという、古くから続いてきた、正しいカタチにね」
「なっ!? 貴様、まさか!」
その言葉で思い当たるのは一柱しかいない。
「まさか一〇〇年以上一緒にいたのに気付かなかったとは驚きだ! まあ、“私”にとってはその方が好都合だったがね? いやあ、ここまで来るのに苦労したよ。この試作品を作れるものに出会うことから、こうして君と二人っきりになる状況を作るのにもね。特に邪魔になるであろう【堅剛】を殺すのに苦労したぁ……。あの無駄に硬い甲殻が、特に面倒だったねえ。この貧弱な身体、全く不便ったらないね」
「お前は……!」
「…………ふはは!」
【幻相】は遠い目をしながら嗤う。
「“私”は君がいない世界で、ゆっくりでも、確実に再び力を付けてやるさ。どれほど姿が変わろうと、必ず成し遂げて見せる。あの世で指を咥えながら見ているんだね。大丈夫、君の大切なモノたちも、力を付けたらすぐにあの世に送ってあげるさ。そして、“私”が総てを支配下に治める! はははははは!」
「随分と……陳腐な事を言うのだな」
皮肉を言う竜人。
しかし、その姿は弱弱しい。
ただの負け惜しみにしか聞こえなかった。
「いくらでも言えばいいさ、君はどうせすぐに死ぬ身だ。安心するといい、君の体は僕が海に流しておいてあげるよ。もしかしたら、あの孔に落ちてヒトの世に行けるかもしれないね。どのみちその傷では死ぬだろうが」
「…………」
「喋る力さえなくなったか、まあいい。後は僕に任せておいてくれ。いいかい、君はゆっくり休むといい。本当にお疲れ様だったね。………………さようなら」
竜人の体が灰色の海に浸かっていく。
海水は酷く冷たく、竜人の体から熱を奪う。
竜人の意識は途絶えそうになるが、復讐心は増々強まっていった。
貴様だけは絶対に許さない。貴様の思惑は確実に私が粉砕してやる。
そして、竜人の体は孔へと落ちて、彼は少年と出会ってしまったのだ。
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