episode10-1
『随分と憔悴しておるようじゃの』
APCOの所有する留置所、その一室にて。
取り調べが終わった青年は、そのままここに連れてこられていた。
留置された青年のすぐ傍には、青白い身体を持つ霊体の姿があった。
それは着物を来た女の形をしていて、何処か妖艶な雰囲気を纏っていた。
彼女は屈みながら、青年の頬を撫でる。霊体では触る振りしか出来ない。
それでも彼女の思いやりは、青年に十分すぎるほど伝わり、彼の心を癒した。
「……アザレア」
『生きていて、安心したぞ』
「ありがとう。でも」
否定の言葉を呟こうとする青年の口を、彼女は透き通る指で制した。
『それ以上はなしじゃ。あまり己を責めると、体に障るぞ』
「…………」
『さてと。言われるでもなく、あの白い樹について調べておったが、まあ【幻相】の仕業であることは言うまでもなかった。じゃが、ここからが驚くべき事実があった』
「驚くべきこと?」
『妾も聞いた時は思わず声を出したわ。アリシアによれば、どうやらあの白い樹は、“王”が持っていた力と、とてもよく似ておるらしい。いや……』
「つまり?」
『確証がない。これ以上はよすべきじゃ。いずれ分かる』
「……」
『もう一つ、悪い報せがある』
着物の霊体、【水龍】の声色が一段と真剣になる。
『ゆっくりとではあるが、白い樹の根っこが、どんどん地面に向かって伸びておる。妾の勘が、良からぬ事になると言っておる。早い内に決着をつけた方が良いぞ』
「……そうか」
『出る気にはなれないのか?』
「いや、そういうわけではないが、何というか、こう」
『思春期の童のようじゃな? ……“滝上隆一”だった時間のせいか? それに関しては、今は気にしているような場合ではないと思うぞ。まあ、本音を言えば、番としてお主の気持ちを分かってやりたいとは、思うがの』
「すまない」
『いいんじゃ。では必要な準備はやっておくから、……待っているぞ』
「ああ、ありがとう」
そう言って、霊体はその場から消えた。
留置所の中に静寂が再び訪れる。
そんな時、
「今の、見られていたら危なかったですよ」
扉に開いた僅かな格子部分から、声が掛けられた。
その声の持ち主を、青年が間違うはずはなかった。
「椿姫くん……」
「むず痒い呼び方ですね。椿姫でいいです」
「そうか……ありがとう、椿姫。どうしてこんな所に?」
「本当なら、来る気はなかったのですが。まあ、色々とありまして」
椿姫が複雑そうな声をしている。
その程度のことは、青年は扉越しでも理解できた。
「訊きたいことがあるんだね?」
「……話が早くて助かります」
曲がりなりにも、“兄妹”として暮らしてきた経験によるものだった。
何という皮肉だろう、と、青年は己に対して、内心で舌打ちをする。
「貴方とは曲がりなりにも五年間、一緒に過ごしてきました。打ち解けたのは本当に最近のことでしたが、それでも、本当の兄妹のように過ごしてきました。いいえ、貴方の正体が分かるまでは、本当の兄妹だったと、そう思います。……貴方はどうでしたか?」
椿姫は他に訊きたいことがあった。
しかし、それを訊けばきっと自分は我を失うだろう。
だから、椿姫は始めに違うことを訊こうと思ったのである。
「俺も、自分が何なのか、どういった存在なのか理解するまでは、君の事を本当の兄妹のように、家族のように思っていたよ。……でも、今はもう、そう思うことは出来ない。そう思ってはいけないんだ。それは、隆一君に悪いから」
「そうですね」
嘘偽りのない真実だった。
「やっぱり、椿姫は俺のことが憎いか?」
「ええ、とっても」
「そうか、兄思いのいい妹だ」
これも紛れもなく、本心から来る言葉だった。
両者の間に気遣いといった壁はなく、ありのままをぶつける。
ある意味で、兄妹を演じていた頃よりも、二人の心は近かった。
「訊きたいことは別にあるんだろう?」
「…………何故、兄に成りすましていたんですか」
「【幻相】へ復讐するために“私”は身体を休める必要があった」
「罪もない子どもを、犠牲にしてでも、ですか?」
「“私”はやらなければならないことがある、その為には」
「兄を犠牲にしてでも構わないということですかッ!!!」
「そうだ」
きっぱりと青年は肯定した。
己を恨めと、そう言わんばかりに。
言い訳などするつもりはない、と。
「……隆一君はきっと意識を取り戻す。だから、君はその時まで待っていてほしい。笑顔で彼を迎えることが出来るように、俺がやるべきことをやり遂げて見せる」
「やるべきこと。……あの白い樹に関係していること、ですか?」
「そうだ。俺がこの世界でしなければならないことだ。命に代えても」
「まさか、死ぬ気じゃないですよね?」
「いいや死なない。死んだら罪が償えないからな」
「安心しました。貴方を兄の元に連れて行かなければならないですから」
「……そうだね。まずは謝るためにも、戦いを終わらせなくては」
乾いた笑いを浮かべる青年。
椿姫は一抹の不安を覚えながらも、彼に合わせる。
「これはどういう事だ」
「見ての通りでございます。御当主」
APCOの会議室にて。
隆源は目の前の書類と出席した人間たちを睨んでいた。
この場にいるのは、APCOでも高い地位にいる者ばかり。
そんな彼らが何故一堂に会しているのかと言えば、それは、
「留置している【ヴァルジール】の処刑、か」
「そうです。元々あれは、貴方のご子息である“滝上隆一”であったから、作戦に参加することや、自由を与えることを了承していた。だが、それが偽物、それも敵の親玉ならば話が変わるというものです。……装甲機動隊第一班の人間に対して、敵意を向けたという報告も上がっています。そんな危険なモノを置いておくわけにはいかないでしょう」
見るからに高そうなスーツを身に着けた女が、自信満々に言う。
よほど自信があるのか、女の口の端がやや上がっていて、挑発的だった。
隆源は書類を怪訝な表情で眺める。そこには【ヴァルジール】が如何に危険な存在であるか、彼が行った言動や振る舞いなどが事細かに書かれており、どういう処分を下すべきか書かれていた。
「あの白い樹を何とかする方が先決だと思うが」
「あのようなものは上空から焼き払ってしまえばいいでしょう。そのための話し合いは既に着々と進めております」
「そういうの、創作だと碌な事にならないよねぇ」
皮肉な顔を浮かべる中年が、愉快気に言った。
話の腰を折られた女は、憎々し気に中年を睨む。
「そう簡単に上手くいくとは思えない。だから、あの白い樹の対処には、【ヴァルジール】の力を借りるべきだ。借りないにしても、もう少し調査が必要だ」
隆源の断固とした姿勢は崩れない。
「しかし、調査を行うにしても、これ以上、人的被害を増やすわけにもいきますまい。あの白い樹の調査で何人が犠牲になったことか」
横から恰幅の広い老人が口を出してくる。
その者が言う事も、間違っている訳ではなかった。
「かといって、あのような訳の分からない化物の力を借りるなど、以ての外です。今まで、あのようなモノの力を借りていたことが間違いなのです。我々の問題は、我々の力で解決すべきです。皆さんもそう思いませんか?」
「だからと言って、処刑する必要は」
「……化物に情が湧きましたか? 貴方の“彼”に対する、これまでの逸脱した行為に関しても、糾弾させていただきますので、お忘れなきよう」
女の鋭い指摘に隆源は言葉に詰まる。
彼の表情は増々険しくなったが、会議は強引に進んでいく。
そして多数決を行い、二六対四という圧倒的票差によって。
明朝、【ヴァルジール】の処刑が行われることが決まった。
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