episode9-4

 俺、死ぬのか?


 空を猛烈な速度で落下していく中。

 走馬灯のように時間が引き延ばされていく。

 “青年”は独り、何気なく自身の心に問う。

 恐怖はなかった、呆然と目の前の事実を認識するだけ。

 自分を遠くから眺めているような、客観的な感覚があった。


 兄さあああああああああああああああああん!


 遠くから“妹”の声が聞こえてくる。

 いや、本当に“自分”の妹だったのだろうか。

 今となっては、他人のようにさえ思えてくる。

 自分に“妹”など、始めからいなかった気がした。

 ならば、“私”は一体、何モノだったのだろうか。

 “何者か”は独り、自分という存在を見つめ直す。


 お主は我が番に似ているな。


 “私”にとって愛おしいモノの声だ。

 “俺”にとっては新しい仲間の声だ。

 どちらにとっても、落ち着ける存在だ。

 彼女とは数えきれないほどの思い出がある。

 “何者か”は、懐かしい記憶に思わず笑みを溢した。


 隆一、行こっ!


 “俺”が好きだった女の子だ。

 でも、この恋は偽物だったんじゃないかと思う。

 きっと、内に眠る“私”が持つ、父性を恋と間違えたのだ。

 そうに違いない。いや、それが正しい答えなのだと思いたい。

 


 終わりだよ、ヴァルジール。


 この声の主は誰だろう。

 まるで、“自分”の胸の奥に語り掛けてくるようだ。

 これは“私”の記憶だ。ほんの少し、五年前くらいの。

 “五年”とは、“人間”にとっては長い時間のはずだ。

 しかし、今の“私”からすれば、ほんの一瞬の時間に思えた。

 “何者か”は、自分をまるで人間ではないかのように考えていた。


 許さない、アイツだけは!!


 これは“俺”だ。

 いや、“私”といった方がいいか。

 あの時の記憶が“俺”に語り掛けてきている。

 これも、そう、五年前の出来事だったと思う。

 そう……あれは、ほんの五年前のことだった。


 愛しているわ、ヴァルジール。


 ああ、“私”もだ。

 そろそろ海面と接触する頃だ。

 この高さからではコンクリート並の硬さになるだろうか。

 いや、それよりも更に硬いだろうか。……いずれにせよ。

 酷く眠い。今にも、意識を手放してしまいそうなほどに。

 だが、ここで死ぬわけにはいかない。この怨みを晴らすまでは!

 そして、“何者か”の全身を覆っていた白い甲殻が弾けて消えた。





「滝上理事、ご無事ですか?」

「あ、ああ……」

 崖から少し離れた森の中。

 隆源はAPCOの隊員によって十字架から解放された。

 隊員たちは隆源の首に掛かった鎖を外そうと躍起になっている。

 しかし、鎖が外れることはなかった。そして、外そうとすると、

「ぐぅぅッ!」

「熱っ!」

 鎖が物凄い勢いで熱を帯び、隆源や隊員を苦しめた。

 隊員が手を放すと、すぐに熱は引き、元の鎖に戻った。

「言い忘れていたが。私が外そうと命令しない限り、決して外れない」

 遠くにいる【轟焔】が、まるで位置を把握しているかのように話す。

「無理に外そうとすれば、その男が死ぬまで熱を持つだろう」

 【轟焔】の言葉には若干の笑いと挑発が含まれていた。

「それを外したければ挑みに来い」

 ……。

 …………。

 びっくりするほど、誰も挑みに来なかった。

 【轟焔】は白い異形が落ちていった崖の方を見る。

「ふん、流石にこの高さからでは助かるまい。……だが」

 もしかしたら、生きているかもしれない。

 【轟焔】は生きているなら白い異形と戦いたいと思った。

 そして、彼は自身の近くに、激しく燃え盛る火柱を上げる。

 だがそれは、周囲のモノたちに対する威嚇などではなかった。

「ふぅん!」

 火柱が奇怪な音を立て、その姿を徐々に変質させていく。

 轟々と燃える炎は脚を作り、腕を作り、そして頭を作る。

 炎の人型はまさに一瞬のうちに創り出された。

 見た目に似合わぬ非常に器用な芸当だった。

「崖下の様子を見て来い」

 【轟焔】は炎の従者にそう命じ、クロエに向き直った。

 炎はゆらりゆらりと、けれども素早く崖の下へと向かう。

 炎の従者は自身の身体を九〇度に曲げて海を覗き込んだ。

 そして……揺らめく炎は跡形もなく、この世から消えた。





「何?」

「え?」

〈……兄、さん?〉

 夜の闇より深い漆黒の身体を持つ、翼の生えた人型の異形。

 それは紅い両目を輝かせ、空から椿姫がいる崖を見下ろしていた。

 全身を覆う硬い鱗が太陽の光を浴びて、美しくも妖しい輝きを放つ。

 その姿はまさに竜人、そう言い表すのが一番的確であるように思えた。

「あ、あれは……!」

「嘘……嘘と言ってよ……!」

〈何が、起こっているんですか?〉

 竜人が現れて以降、クロエと【轟焔】の様子が一変した。

 椿姫は状況の異常さには気づいてはいたが、上手く呑み込めないでいた。

 竜人と二人は、いや、

「――――――――――――――!!!!」

 黒き異形【疾風】も含めた三人は、一体どのような関係なのだろうか。

 椿姫がそんな思考を巡らせている間に、強烈な暴風が彼女たちを襲った。

〈な、何ッ!?〉

 急な突風で倒れ込んだ椿姫は、体勢を立て直す前に周囲を見渡した。

 先程まで空にいた竜人の姿が、何時の間にか消えてしまっていたのだ。

 何処へ消えた。逃げたのか。いやそんなはずは、だが、竜人は見つかった。

「ぐ、ぐうッ!」

「…………道理で、記憶が戻らないはずだ」

 視線を動かすと、【轟焔】が鍔迫り合いをしている姿が映った。

 その相手は竜人である。竜人の腕と【轟焔】の剣が競り合っていた。

「……どういうつもりだ。【ヴァル】!!」

〈ヴァル? 兄さんじゃないんですか!? 兄さん!〉

「……私は……俺は……!!」

竜人が【轟焔】に向けて無造作に拳を放つ。

 炎の岩石蜥蜴は、目にも留まらぬ速さの拳を剣で捌いていく。

「滝上隆一じゃなかったんだから!」

 竜人は思いの丈を周囲にぶつける。

「ヴァル! ヴァルジール! 生きていたとはなあ!」

 【轟焔】が爆炎を竜人の顔にぶつけた。

 常人ならば軽く頭が吹き飛びかねないが、竜人は人に非ず。

 燻った黒い煙の隙間から、漆黒の竜人の紅く輝く両目が覗いた。

「違う! 今の俺は、ヴァルとも隆一ともつかない、半端モノだ!」

「どちらでもいいさ! これほど嬉しいことはない。死んだはずの友と再び相まみえることが出来るとは! 全く、貴様というやつは、……本当に面白い!」

 拳と剣がより激しくぶつかり合う。

「だが、少し鈍ったな!」

「……!」

「“滝上隆一”だった時間のせいか?」

 そして、竜人の腹で炎が爆ぜた。

 だが、それと同時に鈍く重い音が響く。

 【轟焔】の剣が音を上げ、中ほどから折れてしまったのだ。

「何ッ!?」

「……煩いぞ、グランザ!!」

 竜人は【轟焔】の名を呼び、彼が握っていた剣の破片をバラバラに砕いた。

 そしてすかさず【轟焔】の腹に、重い掌底を食らわせる。

「やはり、鈍っても龍かっ」

「…………お父様」

〈……〉

 クロエは今にも泣きだしそうな顔をしながら竜人を見た。

 椿姫も何も言わず、漆黒の龍燐を持つ竜人をじっと見る。

 竜人は彼女たちに視線を合わせることが出来ずに顔を背けた。

「クローリア、椿姫。……すぐに終わらせる」

 竜人はクロエの本名と椿姫の名前を呼ぶ。

 彼は一瞬のうちに【轟焔】の腹に青い雷を放った。

 雷撃は片手間のようで素早く精確、【轟焔】は後ろへ吹きとばされた。

 二メートル近くある巨体が、背後にある木々を次々となぎ倒していく。

「……グランザ、俺に付け。俺にはやらなければならない事がある」

 岩のような鱗で覆われた【轟焔】の顔が苦痛に歪む。

「ご、ごふッ……。はぁ、はぁ、どういう、意味だ」

「そのままの意味だ。俺には決着を付けねばならないやつがいる」

「我が友よ、それを断れば、どうなる?」

「倒すのみだ。……ッ!?」

「――!!」

 背後から襲い掛かってくる【疾風】を、竜人は自身の尻尾で叩き落とした。

 黒い甲殻に覆われた身体が、堅い地面にめり込んで、重く鈍い音を立てる。

 竜人が【疾風】に追撃を加えようとするが、すぐにそれは体勢を立て直す。

「――――ッ!!!」

「邪魔をするな! 【疾風】!」

「――――――――――――!!」

 怒りに身を任せて、【疾風】は竜人に攻撃を仕掛ける。

 だが、それらは悉く避けられて、空を切った。

「その執念、一体どこから来るというのかッ!」

「――――!!」

 【疾風】の拳を真正面から、右手で受け止める竜人。

 竜人は甲殻に覆われた拳を掴んだまま、【疾風】の後ろへ回る。

 関節が人間と同じ【疾風】は、そのまま動きを封じられてしまう。

「キミに対して怨みはないが、邪魔をすると言うならッ」

「――――!!」

 黒い異形が地団太を踏む。

 関節を極められているのだから、相当な痛みが奔っているはず。

 だが【疾風】の動きが止まることはない。まるで子どものようだった。

 駄々を子どものように、何度も、何度も、堅い地面に蹴りを入れていく。

「――――ッ!!!」

 瞬間、竜人の視界が暗闇に覆われた。

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