episode9-last

 突如として暗転した竜人の視界。

 竜人の視界の不調の原因は、言う間でもなく【疾風】であった。

「くっ、何だコイツはッ!?」

「お父様!?」

「ヴァル!!」

〈……次から次へ何なんです!〉

 その場にいた椿姫やクロエ、【轟焔】までもが状況に驚いていた。

 竜人に関節を極められていた【疾風】が光りだしたのだから無理もない。

 その眩い光に思わず、竜人は掴んでいた黒い甲殻に覆われた右手を離した。

「======――!!」

 彼は漆黒の体を発光させながら、聞いたことがない雄叫びを上げている。

 聞くに堪えない、苦痛に満ちた叫びである。

 そして、

『バァン!! やあ、びっくりしたかな?』

 【疾風】の背中が投影機のように、空中に【幻相】を映し出した。

 発光する黒ずくめの男は、総てのモノを見下すように嗤っている。

「【幻相】……!!!」

 竜人が全身の覆う龍燐を逆立たせた。

 それが怒りによるものであることは推察できる。

『久しぶりだねえ。ヴァル?』

「っ!」

『おっとすまない! まだ言っちゃいけない状況だったりしたかな? だったら許してね。……んん、まあ私が気付いた時期に関しては、追々言うとして。これはこちらの世界で言う、動画みたいなものでね、会話は出来ないんだ。古き友人と話に花を咲かせる、とはいかないんだよ。悪いね』

「…………」

『そう怖い顔をしないでくれよ。私と君の仲じゃないか』

 まるでこの空間を直接見ているような物言いだった。

 竜人の血管などは見えないが、人ならば青筋を立てているだろう。

『んん、今日は宣戦布告に来たのさ。生まれ変わった私が、君という紛い物の“王”を討ち倒すためのね。……青い海に我が城が現れる、それが貴様と決着をつける時だ。……何てね?』

「嘗めたことを言う……!」

『まあ、それはこの【疾風】に勝てたらの話だけどね』

 そう言い残して、【幻相】の体が消えていく。

 竜人は苛立たし気に地面を蹴りつけた。

 黒き魔人が息を上げる。

「====――!!」

 【疾風】を覆う、黒い甲殻が膨れ上がっていく。

 より硬く、より強靭なものへと加速度的に変化していく。

 細身だった【疾風】は屈強な並外れた大きさへと変わる。

 彼は蒸気を噴き上げながら、紅い瞳を輝かせ、竜人に向き直った。

「【幻相】の傀儡、掛かってこい。これまでの借りを返してやる」

 竜人は構えを取り、【疾風】を待ち構えた。

「======!!!」

 【疾風】が再び雄叫びを上げる。

 怒りとほんの少しの悲哀を感じさせる叫びであった。

 それと同時に、姿なき刃が漆黒の竜人に襲い掛かる。

 【疾風】の異名にふさわしい、鋭い風の刃であった。

「ふんッ!」

〈きゃ!〉

 竜人は自身の背中に付いた翼を、力強くはためかせる。

 離れた所にいた椿姫さえ、体勢を崩されそうになるほどの風だ。

 そして、その勢いによって風の刃を相殺され、無に帰っていく。

「ッ!? ======――!!」

 【疾風】は更に怒りだし、まるで指揮者のように腕を振るう。

 突如として削られた岩たちが、竜人に向かって飛んでいく。

 その動きは滑らかで不規則、その流れを読むのは非常に難しい。

 今度も翼でどうにかしようとした竜人だったが、周囲に目が行く。

「中々、面倒なことをしてくれる」

 竜風を起こして岩を跳ね返せば、周りにいる者たちに飛んでしまう。

 そんな位置を、岩たちは的確に飛んでいた。

だが、敢えて竜人は悠然と歩きだす。

 進むべき道には当然【疾風】がいた。

「====!!!」

 【疾風】の叫びに合わせて、岩石が竜人に次々と衝突していく。

 ぶつかった岩石は竜人と接触する傍から粉々に砕け、辺りに散らばる。

 硬い岩石が粉々になる衝撃は凄まじいものだが、竜人は構わず進んでくる。

「====――!!」

「いくら石ころをぶつけた所で無意味だ」

 瞬時に移動した竜人が、【疾風】の腹部に蹴りを入れる。

 巨体は容易く後方へ吹きとばされていく。だが、

「これで終わりではない」

 竜人は吹き飛ばされている【疾風】に追いつき、彼を空へ打ち上げた。

 宙を舞う【疾風】と、闇より深い黒の線が縦横無尽交差する。

 それは目にも留まらぬ速さで、竜人が連撃を行っているのだ。

 しかし、肉眼でさえ、その攻撃を捉えることは出来ない。

「==ッ!」

 【疾風】が風を制御して、空中で体勢を立て直そうとする。

 だが、竜人の速さに反応出来ず、姿勢もすぐさま崩された。

 まさに竜人による一方的な戦いだった。

「……!」

 竜人が紅い眼を燦然と輝かせ、【疾風】に止めの蹴りを放つ。

 黒い巨体が崖に向かって物凄い勢いで落下し、地面に亀裂を入れた。

「==ッ」

 【疾風】の肺から一瞬にして空気が吐き出された。

 しかし、死には至っていない。まだ辛うじて生きている。

「アァァァァァァ!!!」

 竜人は加速して、文字通りの正真正銘、最後の蹴りを付けに行く。

 圧倒的な速さで、鋭い踵を【疾風】の頭部に突き刺そうとする。

 風を薙ぐ轟音とともに、竜人が急降下してくる。

「ッ!!」

 しかし、【疾風】もやられてばかりではなかった。

 ギリギリまで引きつけた後、一瞬だけ強烈な風を竜人にぶつけた。

「くぉッ!?」

 蹴りの軌道を逸らされた竜人。

 あまりの速さで翼による軌道修正も間に合わない。

 だが、問題は軌道をずらされたことなどではなかった。

〈ッ!〉

 あろうことか、逸れた先の進行方向には椿姫がいたのだ。

 椿姫はすぐにその場から動こうとするが、間に合いそうもない。

 軌道変更は不可能だが、せめて減速するために、竜人は翼を広げた。

 だが、それでも椿姫の纏う鎧を容易く貫くだけの威力があるだろう。

「……!!」

〈……ッ!〉

 死を覚悟した少女は思わず目を瞑った。

 まさか、訳も分からないまま死ぬ羽目になろうとは。

 混乱する少女の脳裏に、走馬灯が次々と再生される。

 くだらないことから、人生の転換点と呼べるものまで。

 本当に、色々な記憶が一瞬のうちに頭をよぎっていく。

 皮肉なことにその記憶の多くは、兄とのものばかりであった。

 本物の兄は、今頃、いや、もうとっくの昔に死んでいるのだろうか。

〈………………、?〉

 しかし、いくら待っても死ぬ瞬間は訪れなかった。

 椿姫はおずおずと目を開き、モニターに映る光景を見て絶句する。

〈な、何で……?〉

「――ァ……」

 椿姫を庇うようにして立つのは【疾風】だった。

 腹から夥しい量の血を流して、黒き異形は地面に膝を付く。

 椿姫は兜を投げて、彼に駆け寄り、黒い甲殻に覆われた手を握る。

「何で私を助けたんですか? どうして?」

「……ィ……、……ァ……ィ」

 【疾風】は何らかの言葉を発している。

 とても安らかな表情を浮かべている、ように見えた。

 彼の黒い甲殻が、泡のように融けて無くなっていく。

 刺々しい脚からは段々と青白い男の肌が見えてきた。

 太ももから上に向かって、黒いベールが剥がされていく。

 そしてついに、顔を覆っていた甲殻が融けてい消えていった。

「え?」

 椿姫は思わず竜人を見た。

 竜人は力が抜けたように後ずさる。

 彼女たちを取り巻く空気には、まるで現実感がなかった。

「お兄ちゃん……?」

 漆黒の甲殻の内側から現れたその顔。

 それは椿姫の兄、【滝上隆一】と瓜二つだった。

 【滝上隆一】は椿姫を真っ直ぐ見据え、右手に張り付いた何かを見せる。

 朽ち果てているが、椿姫にはそれが何か分かった。いや、分かってしまった。

「そんな、嘘よ。嘘だと言ってよ。お兄ちゃん。……い、いや、嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 それは、枯れ果てた水仙の花。

 五年前に【滝上隆一】が摘んだものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る