episode9-2

 風切家にて。

「……何、父さんが【轟焔】に攫われた!?」

『ええ! ええそうです。兄さんも今から送る場所へ来てください!』

「――――――――分かった。すぐにそちらへ向かう」

『……兄さん? 大丈夫ですか? いつもと雰囲気が』

「いつも通り、俺は大丈夫だ」

 青年はそう言って通話を切る。

 彼の額からは玉のような汗が大量に流れ落ちている。

 呼吸は荒く、肩で息をして、苦しそうに胸を押さえていた。

 そして、青年は呻き声を上げながら、ふらふらと立ち上がる。

「隆一、行くの?」

「父さんが攫われたんだ、“息子”なら行って当然だ」

「なら……私も行くわ。【轟焔】とは色々とあるから」

「そうか……。ありがとう」





 海辺の廃墟にて。

 【轟焔】はボロボロのカーテンを僅かに開き、窓の外の様子を窺う。

 複数の人間の気配を感じ取った彼は、位置を把握するとカーテンを閉めた。

 その表情は至って平静で、敵を何の障害にも思っていないことを示していた。

「ふん、そろそろ此処に突入してくる頃合いか……」

「何をするつもりだ? 下手な動きをすれば、君もタダでは済まないそ」

 相変わらず、縛られている隆源が【轟焔】を睨みながら言う。

 しかし、それでも【轟焔】の平静さが崩れることはなかった。

 不気味なまでに冷静な男は、一体胸の内で何を考えているのだろう。

「知れたこと。“王”から賜った名に懸けて、正面から戦うのみ」

 屈強な男の周囲で紅蓮の火の粉が舞う。

 今は人間の姿に擬態しているが、やはり異形の存在なのだ。

 人間とは根本的な生態が違う、決して交わることのない存在。

「投降するなら、手荒な真似はさせないと誓おう」

「これが余計なお世話というやつか。私の目的は闘争だ」

「どうやら、話すだけ無駄なようだな」

「そうだな。黙っていろ」

「ッ!」

 突如、【轟焔】が炎を右腕の周りに集める。

 炎は一瞬にして長剣へ姿をと変え、それが隆源の喉元に向けられる。

 隆源は背筋を反らしながら、顎から玉の汗を一滴、二滴とぽつぽつ流す。

「場所を変えるぞ」

「……分かった」

 何時の間にか足を縛っていた縄は切れ、隆源は立てるようになっていた。

 隆源は目隠しをされ、首筋に剣を当てられながら、外に移動させられる。

 コツコツという二人の重い足音が、深く暗い闇の世界へ響き渡っていく。

「っ!」

 外の強い風に当てられた時、唐突に隆源の視界を覆っていた布が外される。

 眩しい日差しに隆源は一瞬目を瞑ったが、段々と慣れて徐々に目を開く。

 目の前には五年前の、隆一が事故に遭った崖が広がっていた。

 皮肉にも崖下は青く美しい海が、キラキラと輝いている。

「ここは……」

 隆源は五年前のあの時から、ここへ来るのが決まっているような気がした。

 まるで時間が静止したように、周囲から総ての音が消えた、と感じられる。

「滝上隆源、しばらく待っていてもらおうか」

「なっ!?」

 長剣と同じように炎で作られた十字架と鎖によって、隆源が磔にされる。

 あまりに一瞬の出来事で、隆源は反応すら出来ず、為すがままだった。

 そんな中、突如として、黒い影が【轟焔】へと迫ってきた。

「フゥン!」

 【轟焔】は長剣の切っ先を、襲撃者の首に狙いを付けて振った。

 その勢いは眼で追えない速さであると同時に類を見ないほど正確だ。

 だが、その攻撃を襲撃者は真向から受け止め、【轟焔】と火花を散らす。

 人外の腕力は拮抗しており、長剣と異形の腕がカタカタとぶつかり震える。

「――――ァ!」

「……どういうつもりだ」

 【轟焔】は目の前にいる、黒い異形を睨みつけながら呟く。

 それは隆一でも椿姫でもなく、ましてや、隆一の協力者でもない。

 黒き魔人は唸り声を上げながら、【轟焔】の長剣と鍔迫り合いをしていた。

「もう一度聞く。【疾風】、何のつもりだ」

「――――――!」

「ふん、ダメもとで聞いては見たが、やはり会話は不可能か」

 やれやれ、とでもいうように【轟焔】は首を横に振る。

「それにしても……!」

 【轟焔】の長剣が徐々に押されていく。

 【疾風】の腕力が【轟焔】の力を凌駕しているのだ。

 単純な腕力では、ミラジオで【轟焔】に敵うモノはそう多くはない。

 【疾風】がこれほどの力を持っているとは、【轟焔】は露程も知らなかった。

 何度か手合わせをする機会はあったが、ここまでのものとは思いもしなかった。

「ぐっ……」

 【轟焔】は真の姿を晒していないとはいえ、悔しさを覚える。

 それと同時に胸の奥底から、沸々と強い喜び湧いてくるのも事実だった。

 だが、それよりも何故【疾風】は攻撃を仕掛けてきたのかを考えるべきだ。

 少なくとも、【疾風】を操っている【幻相】の邪魔になることはしていない。

「はぁッ!!」

 【轟焔】は黒き異形の腹を蹴り、無理やり距離を取らせた。

 軽やかに受け身を取った【疾風】は、即座に構え、様子を窺う。

 ……そもそも、滝上隆源を攫ったのは【幻相】の指示であったはず。

 そうすると、【疾風】は自分の意思で攻撃をしているということか。

 それとも、真意は分からないが【幻相】が消せと命令でもしたのか。

 どちらにせよ、【疾風】をこのままにしておくのは、非常に面倒だ。

 と、【轟焔】は思いつつ、長剣を地面に刺し、精神を集中させていく。

「……奴らが来る前にこの姿を見せることになるとは、全く思わなかったぞ」

 【轟焔】の肉体が炎で包まれていく。

 猛々しく燃える炎が、【轟焔】の表皮を焼焦がす。

 いや違う。表皮自身が紙のように燃え、新しい皮を生み出している。

 浅黒かった人肌は、岩のようにも見える、爬虫類の鱗に変わっていく。

 異形のモノへと変貌、いや、元に戻った【轟焔】が【疾風】を睨みつける。

「【疾風】、私は今【幻相】と相対するつもりはない。ヤツの腰巾着をしている貴様と戦うことは本望ではないということだ。だから、この辺りで止めにしておく方が賢明だ。その首と胴体を分離させられたくなければ、な」

 その言葉には、半ば闘争心を煽る意図が含まれていた。

 内心では目の前の黒き魔人と戦いたいという欲求が湧き上がっている。

 【轟焔】はどちらに転んでも自身が得をする状況に笑みをこぼしていた。

「どうする? 本音を言うなら私はどちらでもいいぞ? ……む?」

 彼が最後の一押しをした。

 草木が伸びた道から堂々と向かってくる気配に気づいた。

 【疾風】が予期していた訳でもないようで、後方を見つめる。

 そこには三つの影が【轟焔】達のいる崖に向かって歩いて来ていた。

「ほう……やはり、変わった組み合わせだ。一体何があったんだ?」

「――――!!!!」

 機械の鎧と青年、そして白髪の少女。

 三者の接点は【轟焔】には解らなかった。

 【疾風】は突然の来訪者に威嚇する。関心はそちらに移ったようだ。

「隆一、椿姫……」

 炎天下の中、軽度の脱水症状に陥り始めていた隆源が目を見開く。

 僅かにぼやけた彼の目には、鎧と青年しか映っていなかった。

 自分の血を分けた子どもが、自分を助けるために来たのだ。

 これ以上嬉しいことはない。だが、同時に不安もあった。

 【轟焔】は明らかに強敵だ。死んでしまう可能性もある。

 ……そう考えた時、隆源は軽い自己嫌悪を覚えた。

 ――今更自分は何を言っているのだろうか、と。

「【雷姫】、父の仇を討つのではなかったか?」

「っ……! それは……」

「愛に走るか。くだらない」

 【轟焔】は青年を、“滝上隆一”に視線を移し、睨みつける。

 黒髪の青年もそれに怯むことなく睨み返した。

 その視線には多分の殺意が含まれている。

「【轟焔】、【疾風】……父さんを解放してもらう」

 一定の距離を保った状態の青年が、低く唸る獣のような声で言う。

 その場にいた誰もが、青年を“滝上隆一”だと思えなかった。

「滝上隆一、いや違う。……貴様は一体何者だ」

 【轟焔】は警戒を露にして、剣を青年に向ける。

 その行動は敵に対するものなどではなく。

 異物に向けたものと例えた方が正しい。

「っ、俺は……!」

〈兄さん?〉

「隆一……」

「俺は……!」

 青年は【轟焔】の言葉に全身の毛を逆立てたように見えた。

 彼は懐からペン型の注射器を取り出し、それを己に勢いよく突き立てる。

「俺は、“滝上隆一”だ……!」

 青年の肉体が轟音とともに、深い暗雲に虚しく包まれていく。

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