episode8-9

 屋敷地下にある研究施設にて。

「いやあ? 想像以上に良い働きをしてくれるねえ、“アレ”は。実際のところはもう少し派手な活躍を期待していたんだが、まあいい、十分さ」

「好き勝手言ってくれるものだ。……もっと多くの被検体を融合させれば、更に多くの能力を得て、より強力な存在を創ることが出来るだろう」

 そこには白衣の男とメイド、そして【幻相】があった。

 彼らは空になった円柱状のガラスを見ながら、話し込んでいる。

 【幻相】は非常に愉快そうで、達成感に溢れた表情をしている。

 反対に白衣の男はどこか上の空で、【幻相】の話は話半分で聞いていた。

 メイドは自分には関係ないといった表情だが、苛立ちも覚えているようだった。

「流石“ブルーアイ”を創っただけのことはある。説得力が違うねえ。君と契約を結んだのは正解だったようだ、流石私、慧眼だ。さてと、君への対価を払うべき時が来たね。確か、そう。……君をミラジオに連れていく、で良かったかな?」

「ああ、そうだ。そして、あの森へ行きたい! 彼女に会いたいんだ!」

「分かったよ……」

 【幻相】はそう言うと、白衣の男に手を差し出す。

 それが握手を求めるものであることはすぐに理解できた。

 しかし、手の主は不気味なまでに柔らかい笑顔を浮かべる【幻相】。

 彼に不信感を感じずにはいられなかったが、渋々、白衣の男は手を差し出す。

 自身の目的を達成するためには、目の前の男の不興を買うべきではないのも事実。

 白衣の男は黒い衣服を身に纏った【幻相】に向けてゆっくりとその手を差し出す。

 そして、その手を握った時、

「ありがとう、君の経験、君の記憶、総て私が……」

 不意に男の青い目が妖しく輝く。

「何ッ!?」

 白衣の男は逃げることも、視線を逸らすことも出来なかった。

 脳の中を直接探られるような、そんな悪寒が奔り、身体を振るわせる。

「旦那様ッ!?」

 メイドが主人に駆け寄ろうとするも既に遅かった。

 白衣の男は力を失ったかのように、固く冷たい床に倒れ込む。

「……確かに。これで君も私の一部。ミラジオに行くという願いは叶えられる」

「待てッ!」

 物言わぬ主人を抱きかかえながら、メイドは【幻相】を睨みつけて言う。

 だが、【幻相】は不敵な笑みを浮かべながら、悠々とその場を去っていく。





 同館の三階にて。

〈ちッ!〉

「キエォォォォ!!」

 鎧を身に纏った椿姫は、舌打ちをしながら、自身を狙う攻撃を的確に躱す。

 敵は山羊の異形。数分前に接触し、現在まで激しい戦闘を繰り広げている。

〈危なッ!〉

 振り下ろされる黒炎纏う貫手を、椿姫は寸前で躱す。

 彼女の背後にあった壁に穴が開き、その部分が融けて広がっていく。

 普段と違い特殊なコートを鎧の上に纏っているせいか、彼女の動きは平時より鈍い。

 しかし、異形の攻撃が当たる気配はない。怒りに任せた動きは読みやすかったのだ。

〈やられてばかりな訳……ないで、しょっ!!〉

「ァァァァ!!!!」

 躱している間に椿姫は把持したライフルで異形の柔らかな腹を撃ちぬいた。

 弾丸は異形の胴体で留まり、その肉体を毒のように内側から攻撃していく。

 すかさず、椿姫は異形の脳天に目掛けて再び発砲した。三発の弾丸が放たれる。

「ヤメロォォッ!」

〈申し訳ないけど貴方はもう、無理なのよ。人の世では決して暮らしていけない〉

「アァァァァァァッアァァァァァ……」

 憐みの情を覚えながらも、椿姫の銃を構える腕は下がらない。

 人を護るのが使命、椿姫の胸には固い決意と信念が確かにあった。

 たとえ自分が人でなくとも、人に危害を加える存在は必ずこの手で倒す。

〈これで、終わりよ。安らかに眠れるといいわね〉

 そう言って、彼女は引き金を引く。

 だが、

〈……何っ!?〉

 それは突如として床から突き出てきた触腕によって遮られた。

 その数は徐々に増えていき、異形と椿姫を囲うように突き出る。

 床は穴だらけになり、不安定になった足場はぐらぐらと崩れていった。

 椿姫は落ちないように右腕のワイヤーの先端を天井に突き刺して浮かぶ。

 異形はカーペットに捉まろうとするが、床がない状態では意味がなく、落ちていく。

〈幻獣は一体じゃなかったというの? もしかしてドローンを潰したのは……〉





「んんんー!! んんん!! んんんー!!」

 隆一は相も変わらず、縛られていた。

 いや、彼を取り巻く状況はより悪化していると言ってもいい。

 口の周りは唾液に塗れ、それが染みこんだ布はもっと不快だ。

「んんんー、んんんんー!」

 誰か来てくれ、彼がそう言った時、扉が大きな音を立てて開かれた。

 いや、跡形もなく破壊された、そう言った方が正しい。

 隆一は目を閉じて扉の破片から目を護る。

 そして、落ち着いてから目を開いた。

「こやつビビっておるわ! かかかっ!」

「アンタってホント趣味悪いわよね、そんなだからお父様がお母様に逃げたのよ」

 扉を破壊したのは、【水龍】とクロエであった。

 何故二人が一緒に来ているのか分からないが、敵対しているわけではないようだ。

 それは二人が言い合いをしながらも、決して険悪な雰囲気ではないことから分かる。

「いやいや、番と妾ってもうそういう域を超えておるから。夫の気移りを暖かく見守るのも良き妻の務めじゃと思うし? まあ、最後に戻ってくる居場所でありたい的な?」

「アンタ、ちょっと前までの自分を思い出すべきだと思うわ……」

「んん、んんんん!」

 おい、ちょっと! などと、布を噛んだ状態で言っても伝わるはずもない。

 だが幸いにも、二人は彼の行動に気づいたようで、彼を縛っていたものを次々と外していく。

「おろろ、口の周りが涎でべたべたでばっちいのう? ほれ、目を瞑っておれ」

「えなっ、あばばばばばば!!!」

「ちょっ、アンタ何してんのよっ」

 有無を言わさず、【水龍】は隆一の顔に大量の水が勢いよく掛けていく。

 あまりの勢いに、彼の鼻や口の中には幾らかの水が入ってしまった。

 ひとしきり水を掛けられた後、隆一は【水龍】に食って掛かる。

「ここに来てから一番の拷問らしい拷問だぞこれ!」

「おろろ、案外元気じゃのう? よかったの、クロ?」

「唐突に私に振ってくるんじゃないわよ……」

「まあいいや。外の状況どうなってる?」

 冷静になった後の隆一がそう言った。

「本館の方で人間と幻獣が戦っておるようじゃ。多分アレお主の妹じゃなあ」

「すぐに助けに行かないと! っぐ!」

「隆一! 大丈夫!?」

「あれまあ……」

 【水龍】の発言に隆一は身を乗り出すが、思わず膝を付いてしまう。

 白衣の男によって、身体に注入された薬の影響が未だ抜けていないのだ。

 青年の肩を【水龍】とクロエが持って立ち上がらせ、部屋を出ようとする。

「さっさとここを出るぞ。時期に火が回る、まあ、ある程度は時間があるがの」

「なあ、椿姫は!? 椿姫はどうなるってんだよ! そうだ、木島だってまだ!」

「その身体では無理じゃ。敵から出されたものを飲むなと言うべきじゃったなあ」

「……返す言葉もございません。でも頼む、俺一人だけでもいい、行かせてくれ」

 場に沈黙が訪れる。

 実に愚かで、滑稽なことを言っているのは分かっている。

 しかし、引くわけにも行かなかった。二人の命が掛かっているのだ。

 それすら守れなかったら、自分はここへ来た意味すら失ってしまう。

 家族や同僚を裏切ってまで来たのだ、そう言った意味でも引けない。

「……はあ、前にもこんなことがあったのう」

「ため息を付くと老けるって言うわよ?」

「この見た目は変わらんから良いんじゃ」

「そ」

 押し黙っていたクロエと【水龍】が口元を緩ませる。

「行かせてくれるのか?」

「もう好きにせい。何だか懐かしくなってきたわ」

「昔を懐かしむだなんて、お婆ちゃんなみたいね」

「何とでも言え。ほれ、妹の所へ行け。さっきも言ったが火が回っておる」

「いいの? 【幻相】に見られたら、面倒なことになると思うんだけど?」

 クロエは当初から思っていた疑問を口にした。

 それは【水龍】が思っていたことでもある。

 だが、

「ああもう、面倒じゃ! 隆一、やってしまえい!」

「ああ、そうだな!」

 【水龍】はそう言って懐から注射器を取り出し、青年に手渡した。

 彼はそれを受け取り、自身の左腕に刺し、アドレナリンを注入する。

 すると、青年の身体を包み込むように暗雲が渦を巻き、周囲を水浸しにする。

「妾たちまだ離れてないんじゃが!?」

「服濡れるってばぁ!」

「…………ゴメン」

 白き魔人は消沈しながら現れた。

 厳つい甲殻で覆われた姿には、似つかわしくない態度だ。

 しかし、ある意味では“彼らしい”態度とも呼べるだろうか。

「よいか、敵はお主の友だけではないぞ」

「手強いとだろうけど、まあこっちで出来るだけバックアップはしてあげる」

「…………ァァ」

 魔人は二人を見て頷くと、その場を後にした。





 それから僅かな間を開けて。

 【水龍】とクロエは向かい合って話していた。

 この後の行動について、明確な方針を決めておくためだ。

「さてと、どうするかのう?」

「まあ、さっき言った通り、隆一を影から支援するんじゃないの? 今、下手に【幻相】に近づくのは相当危険よ。あいつ、何時にも増して不気味だったもの。情報を探ろうとするのはやめといた方がいいわ」

「確かに、殺されちゃ敵わんのう。取り敢えずは、二人で行動しようか。お主は母譲りの“鼻”を利かせて、ヤツが近づいてきたら報せるように」

「はいはい、分かったわよ。アンタも足りない部分はカバーしてよね」

「おうおう。よし、じゃあ行くとするかの」

 そう言って、二人は屋敷の何処かへと消えていく。

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