episode7-6
“かみず”から出てすぐのこと。
男二人は道路の脇を二人して歩いていた。
「滝上は……このまま病院か?」
「ええまあ、体のメンテも兼ねてるらしいので……」
「そうか、私もだ」
空模様に似合わず、どんよりとした空気を背負う隆一と東藤の向かう道は同じだった。
気持ちの悪い沈黙が二人の間に流れる。元々、東藤は寡黙で口下手な男であったが、今日は何時にも増して無口だった。纏う雰囲気も平時より鋭く、肌をひりつかせる。その原因が雑貨屋“かみず”で起こったことであること、そして、恐らく“白羽事件”と関係していることは明白だった。
「東藤さんは、さっきはその、白羽事件で来たんですよね」
「ああそうだ。それがどうかしたのか?」
彼から敵意や怒りは感じられないものの、妙に淡々とした口調だった。
隆一は若干気が咎めるような思いをするが、それでも聞かなければならない気がした。
「“かみず”へは、いや、上沢さんにはどういった用件で?」
「彼は以前、もう六年も前か……白鳥の被害に遭ったんだ。とても酷いものだった……。復讐心に囚われても仕方ないくらいにな。本当に……。まあ、今回の捜査対象になるのは必然とも言えるのだろう」
最後の方はどこか他人事だった。それまでが感情的だったせいで余計に分かりやすい。確実と言っていいほどに東藤と上沢、そして“白羽事件”には浅からぬ縁があり、過去と現在とを鎖のように繋げているのだ。いや、蜘蛛の糸に絡めとられた蝶の方が的確なのだろう。東藤の瞳には目の前の景色は映っていない。苦く辛い記憶を投影している目だった。
「……」
それ以上の言葉を紡ぐことは、隆一には出来なかった。必要以上に聞けば、この長い道のりをより険しくすることだろう。それは何としてでも避けなければ、と隆一は決意する。しかし、この重苦しくなった空気を打開することは果たして可能なのだろうか。いや、何としてでもやらなくてはならないのだろう、と決意、いや、天啓めいた何かが隆一を動かす。だが、そんな思いとは裏腹に目的地が見えてきた。
「なあ」
「……はいっ何でしょう!?」
病院を間近にして、意外にも東藤の方から口を開いた。
思わず隆一の声が上擦ってしまう。
「この後、時間取れるか?」
「ええまあ、はい」
「そうか、助かる」
そうしているうちに、二人は病院の玄関先まで辿り着いていた。まだ夕方なせいか、せわしなく人の行き交いがある。しかし、東藤はこの病院に一体何のようがあるというのだろうか、と隆一は心の中で考えていた。そこへ、
「あら、隆一くんじゃない? お出かけしてたの?」
“かみず”を教えてくれた看護師、水木桃子が隆一を見つけて話しかけてくる。しかし、隣にいた東藤の姿を見て、浮かべていた笑顔を一変させ、複雑そうな顔を浮かべる。細かい部分は異なるものの、それは上沢と同系統の表情に思える。
「……刑事さん」
「どうも、ご無沙汰してます」
東藤と水木の間にも深い因縁があることは確かだった。
このままここに居て二人の事情を知りたいと思う隆一であったがある光景を見てしまったがために、この場にいるわけにはいかなかった。
「すまぬが、銀髪の女を見なかったかのう? 背丈はこのくらいなんじゃが」
「うーむ? 見ていないが、探すのを手伝おう」
ロビーの奥にあるエレベーター付近にいる、父、隆源と【水龍】が一緒にいるのだ。想定していた最悪の光景が今、予想以上に早い段階で形となって目の前にある。
何故このような事態に至ったのかはこの際どうでもいい。とにかく何とかしなければ、と隆一の脳裏でサイレンが鳴り響き、身体を動かせと指令を出される。そうなった時の隆一の行動は早かった。
「私の名前は滝が」
やべえ名乗る気だ! ――――
「あっ、東藤さん! 僕ちょっと行きますねえ!」
「あ、ああ」
「こらっ廊、下は……」
水木の制止すら振り切って、隆一はエレベーターへ走った。
東藤と水木の目が追い付く頃にはいつのまにか隆一がエレベーターの前に映っているように見える。だが同時に、そんなことはどうでもいいことだと感じた。今、目の前にいる人物と話すことの方が自分にとっては大事なことなのだ。
「刑事さん、今日はどんな用件で? 千草のことならもう……」
「いえ、私はもう刑事ではなくて、それに」
空が段々と闇に染まりつつある頃。
隆一と東藤は特別に開放してもらった屋上のベンチに並んで座っていた。
「ふう……暑い、夏だからか。この歳になると本当に辛い」
「まあ……」
本人にとっては軽口なのだろうが、正直に言えば物凄く反応し辛い――――
隆一は適当な相槌を打ちつつ、コンビニで買ってきたアイスコーヒーに口を付ける。黒い液体が透明なストローを通って口の中へと入ってくる。砂糖を入れたお陰で、独特な風味を持った甘さが身体の疲れを癒してくれる。
東藤も彼につられてアイスコーヒーを口に運んで、大きなため息を吐くと、口を開いた。
「さっきは大変そうだったな。何かあったのか?」
「い、いえ! 特に何も! 知り合いと迷子を捜しただけなんで!」
「それで、見つかったのか?」
「ええ! それはもう!」
なるべく、詳細を省きつつ些事であることアピールする隆一。
そんな彼に思う所はあった東藤だが、年頃の彼の秘密を暴くことは止めることにした。
「娘が小さい頃は、こうしてよく一緒に星空を見ていた」
「娘さん、いたんですね」
「ああ、もう就職してるがな」
星がちらちらと弱弱しい輝きを放つ夜空を見上げる。幾つかの雲に覆われているせいで、天体観測に適した空模様とは言えないが、それでも美しい空だった。黒いキャンバスに散りばめられた宝石はダイヤモンドにも匹敵する美貌を放っており、うっとりするような夢見心地にしてくれる。しかし、それを見る東藤の表情は暗かった。
「六年前、私がまだ刑事だった頃のことだ。当時の私は交通捜査課というところに所属していてな。あの日も通報を受けて現場に向かったんだ。被害者は結婚前のカップル二人組。男の方は意識不明の重体だったが奇跡的に一命を取り留めた。しかし、女性の方は……」
苦虫を嚙み潰したような表情だった。
本当であれば、話したくもないことに違いないと隆一は感じる。
「……到着した現場は、滝山市から離れた人通りの少ない道路だった。これが酷い有様でな。接触したと思われる場所から、約四〇〇メートルに渡って引き摺られた生々しい血の跡がアスファルトに残っていた。しかも、遺体には殴りつけられたような跡が幾つも付いていてな、必死にしがみついていたんだろう」
「それが、上沢さんと……」
「……さっきの看護師、水木さんの妹さんだ」
段々と話が見えてきたような気がした。
「犯人は大型バイクに乗っていたことはすぐに分かった。……車種だって数日のうちに割り出せたし、周囲の防犯カメラや目撃者のお陰で容疑者だってすぐに割り出すことが出来た。だが奴は、国松重四郎には、結局、危険運転致死ではなく過失運転致死が下された。現在は刑期を終えて悠々自適に生活しているはずだ」
「殴られた痕や何百メートルにも渡って引き摺られていたんですよね? 証拠の映像だって残っていそうなものなのに……」
「法廷に提出する証拠の紛失、証人が直前になって出廷を拒否、他にもたくさんのアクシデントがあってな。……それらが権力を持った何者かの働きかけによって引き起こされたのは、誰の目にも明らかだった」
「…………」
「だが、分かっただけだ。何の意味もなかった。哀れなカップルが事故に遭い、その片割れが無残にも亡くなった。……それだけ。世の中に残った結果はそれだけだ。どれだけ奴が不正したのだと、国松の名もわからない父親が権力者なのだと叫ぼうと、意味はない。何も」
きっと、彼は足掻いたのだろう。警察という絶対的な縦社会の中で、懸命に。
「まあ、そんなこんなで入れ込み過ぎたんだろう。気が付けば私の居場所は無くなっていた。至極当然のことだ。規律を重んじる場所で、それを乱していたんだからな」
一周して何処か晴れ晴れとした顔を浮かべながら、東藤が言う。
隆一はその顔を直視できなかったが、一言一句聞き逃さないように耳を傾けていた。
「……丁度その頃だったな。今の、APCOへ移る話が来たのは」
「……」
無言という相槌を打つ隆一に催促され、東藤が言葉を紡ぐ。
「警察に居場所がなかったという理由もあるが、当時は娘の大学受験が控えていてな。給金に魅力を感じた所が大きい。……そんなこんなで、逃げるようにこの職場に来たわけだ。……どうやら過去のツケってやつは、振り切ったつもりでも、必ず自分に着いて回ってくるものらしいが」
「……」
何と言えば良いのだろう、と迷ったまま隆一はずっと黙り続けていた。
しかし、一向に適した言葉を見つけることは出来ず、ただただ穏やかに時間だけが過ぎていく。だが、心地の良い静けさだった。何モノにも縛られない自由な時間のように思えた。これから来る辛い現実を予感させるような、緩やかに刻まれていく平穏な静寂。
「済まない。こんな話を聞かせてしまって。情けない話だが、誰かに話したかったんだ」
「いえ、別に……」
ずっと黙っていたことに申し訳なさを感じつつ、愛想笑いを浮かべる隆一。
実際、彼は全く気にしてはいなかったのだが、東藤の目にはそう映らなかったのだろう。やや寂しさを含んだ、爽やかですっきりとした顔を浮かべる。そして、ゆっくりと立ち上がると、背筋を伸ばしながらくぐもった唸り声を上げる。
「話せたお陰で、いい決断をすることが出来そうだ」
「決断?」
見下ろしながら、非常に穏やかな眼差しを向けてくる東藤に対して、隆一は父親である隆源の姿が重なって見えた。東藤と隆源の姿は決して似ているとは言えないが、優しさの籠った瞳がそう見せたのだろう。しかし、それは安心感を覚えるものであると同時に、一抹の不安を過らせるものでもあった。まるで、この後目の前の男が死んでしまうのではないだろうか、とそんな予感をさせるのだ。
「事件を冷静に見ることが出来るようになったということだ」
「は、はあ……?」
いまいち東藤の言うことが呑み込めない隆一。
それを補足するように、東藤が再び言葉を紡ぐ。
「現在“白羽事件”の最重要参考人は、一連の現場付近の監視カメラに映っていた国松重四郎だ。だが……」
「だが……?」
「いいや、憶測でモノは言わない。……ありがとう。それじゃあ、仕事に戻るよ」
そう言って、隆一に有無を言わせないまま、東藤は屋上と下階とを繋ぐ扉を開けて下へ降りていく。その背中からは確固たる意志のようなものが感じられた。それは他者に口を出させない、いわば境界線のようでもある。
隆一は彼の背中が見えなくなるまで見守った後、空を見上げて呟く。
「……死なないでくださいね」
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